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わたしには「やらない自由」もある
選択の余地が与えられたとき、「やらない」選択肢を選ぶひとはどれぐらいいるのだろう。
わたしは、「やらない」という選択をするのが苦手。
理由は、機会損失(本来得られたはずの利益を失うこと)が怖いから。
数年前までの私は、そもそも「やらない自由」があることにすら気がついていなかった。
マンションのメンバーや学校関連の行事があれば、「絶対に」参加しなければならないと思っていた。
仕事があったとしても、少々体調が悪くても、絶対に参加する。
なぜなら、学校やマンションでの人間関係が微妙になるかもしれないから。
「人間関係が悪くなる」というのは、私にとってものすごく大きな損失で、それが怖くて怖くて仕方がないから、気が乗らない予定にも絶対に参加していた。
でも、機会損失は「未来の損失」だから、不安が現実になるとは限らない。
実際、心配事や不安の96%は実際には起こらないというアメリカの研究もあるそうだから、ほとんどの不安は現実にはならないのだと思う。
そんな私が「やらない自由」を少しずつ選ぶようになったのは、理由がある。
それは、一度「やらない自由」を選択して、結果的にどうなったかを身をもって体験したから。
私は、2016年に税理士試験に合格したのだけど、7年経った今も税理士になっていない。
それは、「税理士にならない」という選択をしたから。
正確には、「今は」税理士にならない、という自由を選んだ。
試験勉強中は、夫に大きな負担をかけてしまったし、親は私が税理士になることを楽しみにしていたので、私が税理士にならないことで家族の関係がどうなるか不安だった。
だけど、実際には夫から離婚を突きつけられることはなかったし(笑)、親も「人生短いし楽しむのが一番だよね」と言ってくれた。(でもたまに、今でも「税理士になる気はないの?」と母から聞かれるのだけど・・・)
この選択をして分かったことは、不安が現実になるかどうかだけじゃない。
私にとっての一番の収穫は、たとえ税理士にならなかったとしても、税理士試験に合格したというその経験は、決して無駄にはなっていないということがわかったこと。
どんな経験もそうなのだけど、一生懸命やったことは、思いもよらない形で人生をサポートしてくれることが分かってきて、安心して「やらない自由」を選択できるようになってきた。
このことがきっかけで、日常の些細な場面でも「やらない自由」を選ぶようになってきた。(相変わらず苦手ではある)
たとえば、みんなと同じ園バスを利用しないとか、そもそもみんなと同じ幼稚園を選ばないとか。
ほかにも、ランチ会をお断りしたりとか、少しでも気が乗らない遊びの誘いは行かなかったりとか。
やらない自由を選択しても、私の生活に大きな負の変化はなくて、気持ち的な余裕や時間的な余裕につながっている。
そして余裕ができることで、新しいことに挑戦したり、タスクをスムーズに処理したりすることができるようになってきた。
充実した日常を送るためには生活に余白が必要で、その余白を生むためには、やらない自由に目を向けていく必要があるのだと最近実感する。
やっぱり、どんなことでも一度試してみることが大切なんだと思う。