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崩れる道から落ちぬよう走り続けて
どんな風にnoteを書いていくか、考えてみた時
「親愛なる人へ話しかけるように」
「大事なことを打ち明けるように、共有するように」
そんな風に語りかけ、書いていきたいなぁと思いました。
あと、こんなことあったよ!っていう楽しかったこと、面白かったことを誰かと共有するような気持ちで。
本日も親愛なる人へ、そっと言葉を綴ります。
暫くお仕事をお休みしてました、動き出すときにまた仕事探しからスタートせねばならない。
働かなきゃ、動かなきゃ、と思いながら、じりじり時間が過ぎていってしまって、想定していたより空白時間が長くなってしまった。
働くことの素晴らしさを知っている。
人のお役にちょっとでも立てた時は嬉しくて、労働の上に得たお金は尊い。
働くことが好きだ。
だけど、前のめりになって頑張らねば!!という気持ちと、自分の心と体が強張って動かなくなる、その狭間をずっとさ迷っていた、気がする。
働き始め、120%で頑張って、労働期間が長くなるにつれ無理が効かなくなり失速していく。
私のできること、できないことの差が、そのギャップの大きさに理解が得られず、努力が足りないと言われる。
ここをやるために少し時間がかかります、少し長い目で成長を見ていただければできるようになるんです、と正直に打ち明けるものの
「あなたみたいな人間、見たことない」と言われた。
たぶん、今までも、その人の近くに私みたいな不器用で長所と短所の差が激しい人間は存在したはずだ。
だけど、それを認識してこなかっただけだよ、当人に自身を言語化する機会がなかっただけかもしれない。
頑張ることで望まれた仕事に答えられればいいのだけど、そこまでの理解と、頑張りこなしていくため、飲み込み咀嚼し実行する時間が、与えられること、許されることはあまりない。
働くことってたくさん頑張らなきゃいけない、無理しなきゃいけない場面もあるだろう。
だけど、自分のキャパ以上のことを頑張り続けること、無理して我慢することは、続かないものだなぁと。
できれば、エンジンをふかしてアクセル全開で毎日過ごすことを強いられる場所ではなく。
ニュートラル、通常の状態でも着実に進んでいく職場で働けたらいいんだろうなぁと。
自分を削るのには、限界がある。
いつも、働いている時に、よくあるゲームみたいに後ろの道がガラガラと崩れていって、落ちないように恐怖心にかられながら走り続ける、立ち止まったらまっ逆さまに落ちる、という限界の精神状態で働いていた、ずっとずっと。
そうやって自分を追い詰めないと現実社会に適応して頑張れない、と思い込んでいたし、自分を律するためにしょうがないことなんだな、と。
でも、カウンセリングや就労支援の場でそんな話をしたときに
「そんな限界ギリギリで働くのはよくない」
「そんなに傷つく必要はない」
というようなことを言われて、会話を重ねるにつれて、そうか、無理をしないといけない、というのは自分の思い込みなのかもしれない。
能力が足りないところはあるかもしれないけれど、階段を上るようにちょっとずつ、頑張ることができたら、できることが増えていけたなら。
そういう機会、学生の頃も、社会人になってからも、なかったなぁ。
息子、大福の支援学級で初めてなわとびをする時のやり方を担任の先生から聞いたとき、衝撃を受けた。
まずやることは、縄を回すところから。
縄をぐるんと回して、目の前の地面に来た縄を、ぴょんっと飛ぶ。
最初はそれだけ。
連続して回し続けなくていい、縄に合わせて早く飛ぶ必要もない。
できることをする、それからちょっとずつ難易度をあげていく。
それを「スモールステップ」というらしい。
私は目の前に出されたハードルを全部倒してきた、自負がある。
周りの大人から怒られ続けて育ってきた。
すぐに、挑み跳ぼうとする勇気も気力もなくなり、ひねくれていった。
もしかしたら、幼い頃の私は戸惑い、困っていたのかもしれない。
もしも。
まずは縄跳びをまず回すだけでいいよ、と言ってもらえたら。
目の前にきた止まった縄を、ぴょんっと飛ぶだけで誰かが褒めてくれて、少しずつ縄跳びを跳べるようになったら。
できない、と縄跳びを投げ出した幼い自分の頭を撫でてあげたくなった。
縄跳び、少しはできたけど、二重跳びまではできなかったね。
なんかいっつも、色んなことがついていけなくて、うまくできなくて、いじけていた気がする。
最初はできなくて当然なのにね。
そこから、やってやろう!って一人でこつこつ努力する根性はなかった、残念ながら。
未熟なまま、社会人になりじりじり傷口が深まっていく私は、自分自身をスモールステップで育てていくことが必要で。
失望して、諦めて、投げ出したりしないように。
辛抱強く、導き、育ててあげたい、潰さないよう守ってあげたい。
失望するにはまだ早い。
まだ成長期、これからもできることは増えていくよ。
幸せな未来を生きることを願うなら、少しずつ良いことを、学びを、積み重ねていかなきゃいけないね。
わたしは、だいじょーぶ。
乗り越えていくことができたら、本当のだいじょーぶになる。
人の背中をいつか、心からの言葉で「大丈夫だよ」と押せるようになれますように。
がんばろう。
この経験が、誰かの糧になりますように。