想像していなかった自分
私には、どうしても欲しかったのに
手に入れられなかったモノがあります。
モノ、とは違いますね。 それは子供です。
当時、頑張りました。不妊治療。
まだ公的補助も確立していなかった頃です。
体外受精には、けっこうな金額が必要でした。
そのため旦那さんと相談して、3回を限度としようと決めました。
私達ができる、上限でした。
不妊治療のほかに、手術も受けました。
大げさに言って、全身全霊をかけて頑張りました。
2回目の不妊治療もうまくいかず、思ったより傷ついていました。
心が、回復しませんでした。
「あなたに、その資格はない。」
神様からそう烙印を押されている、そんな気持ちでした。
3回目の不妊治療をすることなく、私は子供を諦めました。
旦那さんも了承してくれました。
ふっと、肩の力が抜けたのを 今でも覚えています。
私には子供ができなかった。
私は 想像していた未来を
手に入れることができませんでした。
私達は、どこへ行くにも夫婦2人。
だって子供がいないんだから、そうなるでしょう。
子供がいないんだから。
そんなある日、よく行くごはん屋さんのご主人に声をかけられました。
「2人はいつも、仲がいいねぇ。アツアツだねぇ。」
「あ~、いや。我が家は子供がいないんですよ~」 と旦那さん。
「そんなのは、関係ないよ。2人はいつも幸せそうだよ。」
「あははは。ありがとうございます~」
旦那さんはそう言って、私達はお店を出ました。
私は怒っていました。
何が幸せそうだ、何が関係ないだ!
こちとら、子供ができなかったんだ。
あんなに頑張ったのに、お金もかけたのに、欲しかったのに。
そんなのなんて軽々しく言うなああぁぁ!!!
下を向いて、ぐぐぐっ となっている私。
その横から 旦那さんの声がしました。
「照れるね。 嬉しいなぁ~」
私は驚きました。
なんで、そんなふうに笑っているの?
悔しくないの? 私達は、子供ができなかったんだよ!
普通とは 違うんだよ。
幸せを手に入れられなかったんだよ!!
んんっ? あれ? あれっ? あれあれ?
何かの本に書いてありました。
幸せは “なる” ものじゃないんだよ。 “ある” ものなんだよ。
私を救ってくれたのに
不覚にも、何の本だったか覚えていません。
著者の方、ごめんなさい。
毎日は、この日から少しずつ変化していきました。
けっこう、時間がかかりました。
本当に少しずつですが、ちょっとずつですが
“区切り“ ”整理“ みたいなものがついてきました。
現実は何も変わっていません。
何が変わったのかというと、「私」なんです。
誰かに 幸せですか?と聞かれたら 幸せです、と答えます。
子供はいません。 でも、幸せです。
今は、笑ってそう言えます。
あっ、どうだろう? 満面の笑みはムリかもしれません。
だって、これを書いていても涙がこぼれるから。
でも今は、幸せが “ある” ことに 気づける私がいます。
私には、手に入れられなかったから 手に入れた今があります。
相も変わらず 夫婦2人の毎日です。
これから どんなおじいさんとおばあさんになるのでしょう。
恐怖とともに 楽しみでもあります。
どんな 未来 がやって来たとしても
なんとかなるのではないか、と思えます。
なんとなくですが、大丈夫な気がします。