介護に向き合う、、、自分視点で考えたらどうだろう?
どのような気持ちで介護に向き合えば良いのか?
気持ちの整理ができないでいた。
親は何を望んでいるのか?
わからない、、、
そんな時に、ある人から、「視点を変える」という考えを学んだ。
そうだ!自分視点で考えたら良いのではないだろうか?
母はアルツハイマー、老老介護の父が脳梗塞で倒れた。今日でちょうど1ヶ月になる。
母は在宅を望んでいた。
その気持ちに応えようという、妹と弟。実家の近くに住む弟と、隣町に住む妹が交代で実家に泊まることになった。
私は長女だが、自己犠牲を強いてまで在宅介護に積極的になれないでいた。以前から施設入所を勧めていたのだ。
でも、長女の私が妹弟に任せっきりでいいのか、と自分を責め続けていた。
自問自答の日々を過ごしていたのだ。
というわけで、昨日の土曜日は、初めて実家に泊まることにした。
行動を起こさなくては進展しない。
実家に泊まることで自分の中の何かが動くかもしれない、と期待していた。
昨日は、母の隣で寝た。
そこで感じたことを書いてみたい。
自分が介護される立場になったらどうだろう?
子どもたちに何を望むだろうか?
・子に犠牲を払って欲しくない
・子に疎まられたくない
・でも気にかけて欲しい
・楽しかった時間を忘れて欲しくない
そんなふうに思う。
「じゃあ、『自分だったらこうしてほしい』、と思う介護をすればいいのではないか?」と思い至った。
・母は子が犠牲を払うことを望まないはず。
自分ができる範囲で介護にかかわればよいではないか。
長女だというプライドを捨てればよいではないか。
・自分が母との思い出を忘れたくないから、楽しかった思い出を母と振り返ったらよいのではないか。
昨日は、アルバムを一緒に見て思い出を語り合った。
母は時々目を輝かせてアルバムに見入っていた。
母のためでもあり、自分のためにもなる優しい時間。写真はいいものだと改めて思った。
時が止まったような、蝋燭が消え入りそうな時間を生きる母。その母との今を共有しよう。
そんな結論に達した。
実家に泊まって気づいたことは、
母は先が長くないだろうということ。
何をしても「ありがとう」を繰り返す母。
「こんなになってしまって、、、でも仕方ないね」と現状を肯定する母。
起きたことが全てなのだ。
自分も現状を受け入れ、自分にとっての最適、最善の介護をしよう。
長女のプライドも捨てよう、と思った。