②自分史を書いて人生を見つめ直す:混沌から自己受容へ


回復に着手する前、私はプライベートで「自分の主観を持つ事が出来ない」「自分の感情を伝える事が出来ない」という状態になりがちだった。
人に強く意見を言われると受け入れてしまう。自分の意見がない。

子どもの頃、自分の意見や感情を言っても、力や言葉で抑圧される環境だったため
伝える事ができない→自分の感情を感じる事に不安を感じる→諦めて感じなくなる。

20歳までの記憶がほぼなく、今、話しを聴いてくれる主治医も人間関係もできてきた中で、安心してやっと自分を振り返る事が出来始めた。
過去を年表のように書き出して、過去の経験が私の認知や感情に与えている影響を自覚し、それに気づかずに生きてきた日々を、自分史を書くという作業を通じて改めて見つめ直し、自分の中にある歪みを徐々に整え中。

自分史を書くことで気づいたこと

自分史を書く過程で、自分を客観的に見つめることの重要性を実感している。
自分の経験や感情をひとつひとつ言語化して、健全で信頼できる人達と話させてもらうと、自分が何を誤学習しているのかが明らかになった。
たとえば、「私は何でこの行動を取っているのか」「何を基準に行動をしているのか」という問いに対し、言葉を通じて答えを探す作業は、自己理解を深めるきっかけとなった。

自己受容と自己肯定

自己受容はまだ道半ばという感じ。
無価値観、学習性無力感はまだ影響がある。
20年以上、「自分は無価値で親に否定される事、人に愛着を持たずに一人でいる事が正当だ」というロジックを一人でこね続けてしまったので…子供の頃の私の誤学習を解いていくのは時間がかかる。
人に頼ったり、人と関係性を築いたり、何かあったときに相談をしたり、暖かくてオープンな本心を伝える関係という物を、今頃手探りでしている。(すでにそういった関係性を築いている方々、上手いなぁと思う方を見ると、情けなく感じたり、そういう方が身近に居る事に感謝をしたりしつつ)
(情けない、恥ずかしい、不安、寂しいという感情を自分が自覚できるようになったことを喜ばしく感じつつ)

少しずつ、自分の人生や経験そのものを受け入れ、少しずつ優しく向き合えるようになった。情けなさや格好悪さも受け入れて、自分を知っていこうとしている。

他者とのつながりを築く

自己受容への道を歩む中で、改めて見直している事がある。それは、人との関わりを大切にすることだった。
私は今まで無自覚に、人間関係において、相手と対立しそうなときは「わからないという」「記憶にないという」「逃走する」という、子供の頃と変わらないカードを使い、相手に諦めてもらおうとしていた。関係を失うのが怖いと、不安で自分から逃げ出していた。(実際のところは自分から率先して失っていた)

自分が人に本音を言う事、そんな話を人に聞いてもらえるなんて、考えたことがなかったし、期待して話して拒否をされたら立ち直れない気持ちで、本音を言う勇気がなかった。
SNSで独り言を言い、イベントを主催し、人が来てくれたらファシリテーターに徹して、対面では相手の話を聞くと相手が喜ぶと思い、自分が望んでいるものもよくわからないまま孤独でずっと10年以上ぐるぐるパターンを回し続けてしまった。(何してたんだ)

でも、私の中に自己信頼の種ができるようになってからは、信頼できる人に勇気を出して心を開いて本音を言えるようになってきた。
相手に怪訝な顔をしたり、今は話したくないと断られても、感情がゆらいだりしなくなってきた。(相手のマイナスな反応に、過剰に反応するくらい、圧迫感を出していたら、そりゃ話したくないよな…と思うし、まずは自分がリラックスしたほうがいいし、話し方にも工夫が必要ですよね、と今は思う)

心を開いて話をすることで、私自身も変化していく。相手も私の事を記憶してくれる。信頼できる人たちと時間を共有し、重ねて、人を大切に思ったり愛着を持っていいんだ、という事にシンプルに驚いている。

これからの生き方

「自分史を書く」というシンプルな行動から始まり、私は自分を客観視し、自己理解を深め、生き方や人との関係構築を模索している。
このプロセスを通じて気づいたのは、自分を整えることが、自分らしく生きるための最初の一歩だということ。
他者と関わり合いながら、自分自身の感情につながり、それを大切にして生きる。というプロセスを引き続き回していきたい。

「自分には価値がない」という感覚が強いと、自分の事を蔑ろにされても気が付かないし、丁寧に扱われるとすぐに感極まって泣き出すし、丁寧に扱ってくれる人としては「対等な人間なのに、そんなにしたてに出られると居心地が悪い!」となるらしい。という事に驚いたりしているので、まだまだ学習中。

脳機能と認知機能のトレーニングをしている気持ちです。
ひとまず今後も生きるために、取り組み中の3点
・自分を客観視する事
・自分の軸を持つ事
・その上で、自分の認知はそんなに正しくないかもしれないと疑う事

人なんて所詮人なので、私も家族も友人も、それぞれ普通で、愛すべきところもエラーもある。自分で自分を自浄して、変な事を言わず、多面的にグラデーションに物事を考えられるように、トレーニング中。
(友人付き合いが少ない、似ている人とばかり話す、SNSばかりやっている。という生き方をしてきてしまったので…反応がある生身の人間と親しくなり、相手に敬意を払い、本を読み映画を見て、知性を身に着け、自分の生き方をしつつ人と調和して生きられるように進みたい所存。

人生がめちゃくちゃで、よくわからないけど生きづらいと、ずっと世の中に困惑していたけど、
過去を自責も他責もせず客観視して、自分の軸を築きながら、内省したり人と関わったりしていくことで、前より圧倒的に生き方が分かってきた感じがしている。


おまけ

最近だと、成育歴からの生きにくさを考える時に、「毒親」「虐待」などのワードで検索をするとあまり回復に役立たない情報につながりがち。
なので、その辺を探りたいときに「未成熟な親」というワードで行くと回復に役立つ丁度いい情報につながれます。
私も一当事者なので、修正や他にお役立ち情報などありましたら、教えていただけたら嬉しいです。


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