ふへらふへら #1【連載小説】
変わってるねという表現は私にとっては褒め言葉だったのだけれども、どうやらその言葉は相手によっては傷つけたり怒らせたりする失礼な表現にもなるようで、さらにあんたの方が変わってると言われてこっちはふへらと笑みを浮かべてしまったものだから、いよいよバイト先のコンビニで私は疎まれる存在になった。
そんな話をしたら、「つまり、レイちゃんはマイノリティ」とユキちゃんはパソコンに向かって動画を仕上げながら言い放ったが、そんなプロタゴラスな、価値観は人それぞれだ的な返しによって私が頓悟することはなく、むしろマイノリティは社会的弱者を指す言葉だから数多くの自由が認められている我が国においてマイノリティはほぼ存在しないんじゃないか、なんて別の思考が脳裏を埋め尽くしてしまったのでアウトプットを止め音楽に逃げる。何を言っているのかよくわからないボカロの声は思考停止にちょうどよい。世の中すごい。インターネット上には溢れんばかりの才能がゴロゴロしていて、その一人になりたくて私も頑張っているわけだけれども、要はそれってやっぱり他者評価を求めているのだから、ああ本当の天才はそんなこと気にせずに絶対軸で自分の中にあるものを発信し続けているんだろうなと、自分の無能さに死にたくなる。ユキちゃんが作っている動画、ボカロのPVの作詞は私。ユキちゃんは曲を作ることはできるが歌詞が書けないらしく、文学部なので何か書いてみてよと言われて書いた。ユキちゃんいわく害のない歌詞。メッセージ性もなく意味不明を狙い過ぎてもなく、青臭い言葉ばかりでもない。いやいや私だってODDS&ENDSとかアイロニみたいな歌詞書けますからと意気込むと必ず採用されない。再生数はこないだようやく1000達成。これ自分達でパソコンやスマホからアクセスしてるカウントが積み重なってるだけじゃない? ああ、駄目だ。気が付くとまた考え事してる。ヘッドホンを外し天井を眺める。コツコツと足音が聞こえてきた。
「ただいま」
「しーちゃん!」
扉が開くと同時に飛びつく。ドサドサとスーパーの袋から野菜が転がり、あ~あとため息をつくしーちゃん。人参、ジャガイモ、玉葱。「カレー?」と聞くと、そうと頷く。ということは今日は月曜日か。
しーちゃんは毎週月曜にカレーを作り、週末までそのカレーを使い回しながら色々なレシピを生み出す。麻布十番に位置するシェアハウス、エバーガーデンなんて冗談みたいな名前だけどクリエイターにオススメなんてタグを真に受けた私も私だ、そんなエバーガーデン料理長しーちゃんの料理の腕前は天下一品。一つ欠点があるとすればカレー風味が強すぎてほとんどカレー味になることだけれども、賄ってもらっている身として我がままは言えない。何より私はカレーが大好きなのだ。
夕食はリビングでみんなで食べる。ユキちゃんもこの時だけは部屋から出てくる。半干支周り分お姉さんのしーちゃんが決めたルール。ご飯はみんなで食べる方が美味しい。そんなの実家で一回も言われたことない。とはいえ基本的に私もユキちゃんも人見知りで引き籠り属性だけれどもルールには従う。そしてみんなで食べるご飯は確かに美味しい。
「レイ、大学サボり過ぎじゃない?」
「単位は大丈夫だよー」
声が音になって耳に届いて気が付く。しまった、親に対して使うような月並みな返答だ。案の定しーちゃんからは「卒業するために大学通ってるの」と蔑視される。違う、違うんだよしーちゃん。私は崇高な夢を抱き切磋琢磨できる環境に身を置こうと決めたんだ。そこら辺の今どき学歴だけで社会を生きていけると信じて日々セックスしてるような阿呆猿どもと一緒にしないでくれ、なんて言い訳をすればするほど逆効果であることは分かっているので言わないけれども、ポイント稼ぎに今日はお皿を洗おう。
話の流れでそういえばレイって何を勉強してるのと尋ねられ、しーちゃん親かって思ったけど、ポイント稼ぎをしなければならない私は真面目にスリップストリームと答えたのに適当に返されたと思われてさらに減点され、いやいや村上春樹は知ってるでしょとまで言ってようやく伝わる。でもノルウェイの森しか知らないと言われて、それはちょっと違うかなって答えてこの話は宙にふわふわと気持ち悪い空気感を醸し出し始めたので、お皿でも洗おうと思ったら突然しーちゃんの部屋から見知らぬ男が出てきた。え、ここ男禁ですけど。しーちゃんが慌てて男を制す。男はうまそうな匂いがしたんでと三流性犯罪者にありそうな供述をしていたが、まあ確かにそれはわからんでもないけど、しーちゃんのたどたどしい説明によって彼氏だとわかり、でも男禁の家に私達に無断で男を連れ込んだことを詫び、その横で男はうまそうにカレーを貪っていた。その姿に私もユキちゃんも別に私達に害がなければ気にしないのでと返し、市民権を得た男は実は学生時代この近くでルームシェアしていて、しーちゃんとの出会いはしーちゃんが働いているレストランでナンパしてなんて自分語りを始めて、それにはあまり興味を抱けなかったのだけれども、今は広告代理店でコピーライターをやっているというワードが出てきて少なくともそれは私には響いたので、一緒にお酒を飲むことになった。
「大学出るなら最初はYoutuberよりも企業に勤めた方が食えるよ。エンタメ人手不足だし。テレビよりはITの方がいいとは思うけど。AppleとかGoogleとか受けてみれば?」
お酒が回り始め饒舌になる男。その横で苦い表情を浮かべ続けるしーちゃん。AppleとかGoogleとかどうやったら受かるのと聞いてもそんなことは知らないと雑に返す男。蹴とばして家に帰そうかと思ったが、「選択肢は二つだよね。相対で優秀な成績を収めるか圧倒的な何かで相手を巻き込むか」と言い、じゃあ貴方はどっちですかと尋ねたら本当は後者になりたかったけど前者だねと答えたので、ああこいつはそんなに悪い奴じゃないのかもなと思ってしまった。無知の知、ソクラテス。「どんなの作ってるの」と尋ねられ、「再生数1000くらいしかないショボい動画なんで」と答えてハっと横を向いたら既にユキちゃんは寝床に着いていたようでいなかった。私の詩はともかくユキちゃんの音楽は決して悪いものではない、どうしようなんて考えている間に、しーちゃんが先に教えてしまい男は許可も得ずに動画を見始め深夜の静寂の中に音楽が流れる。イントロ、Aメロ……誰も何も言葉を発してくれないので説明を加えようかと思ったがそれは見苦しい行為だと知っている。3分弱の動画、男は無表情で見続けていた。私はまるで初夜に一枚ずつ服を脱がされてく乙女のような気持ち、まあそんな気持ちは知らんけど、とにかくその場に硬直し続けた。
「他にもある?」
「ううん、次のは作ってるけど……」
そうと答え男はそれ以上何も言わず、私としても感想を聞きたい反面、辛辣な言葉は聞きたくなかったので深追いしなかったのだけれども、空気を読まないことで有名なしーちゃんがどうだったなんて聞くので、私はこの時おそらくしーちゃんを初めて睨みつけていただろう。や、よかれと思ってだってわかってるんだけど、しーちゃんは私のためにしてくれてるんだってわかってるんだけど、男はもったいぶることもせずに結構よかったよとだけ答え、その言葉に私はふへらと笑みを浮かべてしまったものだからしーちゃんは満足げにそうかそうかと頷いた……だけならまだよかったのだが、もっとアドバイスないのなんて言い出し、男もしーちゃんを制したものの子供のようにキラキラした眼で次の言葉を待っていて、心合わざれば肝胆も楚越の如しで、私は心の中でしーちゃんにあばずれというあだ名を付けた。男は私の方を瞥見し、「ちゃんと成立してるし、一つの作品を完成させることはとても大変なことだけどたくさん作るともっとうまくなるよ」との言葉に不覚にもグッときてしまって、それ以上は面映ゆ過ぎてその場にいられずそろそろ寝るねと部屋に駆け込んだ。
でもお酒も相まって全然寝られなくて、しばらくして、そろそろもうみんな寝たかな、そういえばカレーまだ残ってるかなとリビングに戻ったら、しーちゃんの部屋から喘ぎ声が漏れ聞こえてきたので、顔に似合わずアニメ声だなあなんて、どうでもいい感想を抱く自分の淅瀝たる姿に何もかもが嫌になった。日記に八つ当たりして寝よう。
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