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子どもが苦手と言えなくて
わたしは、ずっと子どもが苦手だった。
自分自身がわがままで不機嫌で、
素直じゃない子どもだったと思う。
しかもきょうだいでは末っ子で、
圧倒的に「面倒をみてもらう」ばかりで、
「面倒をみてあげる」ことに全く慣れていない。
人間関係で色々学んで、徐々に立ち振る舞いを覚えていったけれど、
剥き出しのまま世間に挑んだ幼少期は、
反省がいっぱいある。
大きくなってからも、
子どもは慣れていないからこわいし、
なにか対応に失敗したりしたら恥ずかしいし。
素直すぎる子どもは残酷だし、
嫌われたらしっかり傷つくし。
という具合で、子どもとの関わりを避けていた。
まあ、自ら機会をつくらなければ、
自分より小さい子と関わることはそんなにない。
ただ、「子どもは好き?」という質問は、
恐怖でしかなかった。
なんか、素直に「いや、苦手」とか言ったら、
「この人って…」とか思われそうだし。
かと言って、「うん、好き〜」とか言っておいて、
なにかの機会に「あれ?好きなんじゃなかったの…?」とか思われるのも怖いから嘘つけないし。
そんなこんなで二十代も半ばになったころ、
友達が出産し始めた。
赤ちゃんはたしかに可愛い。けれど、
どう対処したら良いかわからない。
生まれたてならなおさら、
こわれてしまいそうなくらいふにゃふにゃな赤ちゃんを、下手に触って何かあったら。
怖くてたまらない。
ちょっと大きくなると、こんどは
どう話しかけて良いかわからない。
素っ気ない反応をされることにも慣れておらず、
子どものいる友達に会うのが憂鬱だった。
けれど、大切な友達に会わないという選択肢もなく、
毎回覚悟を決めて会いに行き、どっと疲れて帰ってきていた。
けれど子どもは欲しかった。
なんでかうまく説明できないけれど、
とってもとっても欲しかった。
自分が結婚して、さあそろそろ、となった時、
簡単に妊娠出来ないことに気づく。
タイミング法から始め、ネットで色々調べたりして、向き合ってみるもののうまくいかない。
旦那との関係も浮き沈みがでてくる。
家族連れをみることすら辛い。
子どものいる友達と会うときは、今まで以上に覚悟が必要だった。
ある日、大好きな友達の娘がわたしに言った。
「ねえ、いつ赤ちゃん産むの?」
小学生の彼女からの突然の言葉にびっくりしながらも、なんとか答えた。
「どうだろうね」
彼女は微笑みながら言った。
「きっと可愛いと思う」
その言葉は、今でも大切な言葉になっている。
全く他意のないまっすぐな瞳で、
心から言ってくれたのがわかった。
不妊に悩んでいたときのその言葉は、親や友達に言われたらむしろ苦しかったかもしれない。
けれど、彼女の言葉だからこそ、
純粋に受け止めることが出来て、
嬉しかった。
そういえば彼女はわたしのことをいつも褒めてくれていた。
彼女の母親である友達が、きっと良いことを言ってくれているんだろうな。
子どもは苦手だけれど、
1人ひとりが違う人間で、
胸を打つような言葉をくれる子がいる。
当たり前だけれど、子どもとだって、
人間どうしの関わり合いなんだ。
友達の娘の言葉を何度も思い出しながら、
数年の不妊治療の末、
わたしは出産した。
するとどうだろう。
なんか、気づいたら「子どもオタク」みたいになっている。
スーパーで赤ちゃんとすれ違うと、
絶対振り返って、怪しくない程度にベビーカーのなかを覗く。
ふにゃふにゃ寝てたらにんまりする。
起きてぽかんとしてても、にんまりする。
スーパーやレストラン、乗り物とかで無邪気に騒いでいる小さい子とか、可愛くてしょうがない。ついつい目で追って、にやにやしてしまう。
疲れた顔の親御さんに、密かに心から敬意を払う。
友達の子どもに会うのがたのしみで仕方がない。
赤ちゃんに会えたら、抱っこしたい。
久々に会う友達の赤ちゃんを抱っこさせてもらうと、友達が言った。
「え、泣かない。ばあばでも泣くんだよ。
すごいね、aoha」
同じ人間なのに、こうも変わるなんて。
想像もしていなかったけれど、
今の自分が好きだと思う。
ちなみにわたしは犬も苦手である。
いつか、また違う感情が生まれるときがくるだろうか。