理不尽を許せた理由② 「母を尊敬した初めての出来事」
母を初めて尊敬した出来事。
これも小学校1~2年生の頃。
自宅アパートで過ごしていたら、外から
聞いたことがなかったような大きな音。
母と一緒に何事かと外に出て確認。
道路の方を見渡してみると、交差点で交通事故!!
母、慌てて現場に走る。
私もその後を追う。
私が到着した頃には、母、車内に男の子と母親らしき女性発見。
と、同時に、私に即、いくつかの指示を出す。
①近所の人(少し先に商店があった)に助けを求めて救急車を呼ぶ
②大人をたくさん呼ぶ
③自宅へ帰り清潔なタオルを急いでもってくること
その指示で、①で②も可能になるので①⇒③の順に行動。
いくら小学生低学年でも急がなければいけないくらいわかる。
猛ダッシュで近所のお店の人に119番をお願いし、
助けに来てもらうようお願いをする。
そして、自宅にあった
ありったけの清潔なタオルを現場にもっていく。
私が現場に到着すると、車内にいた男の子が救出され
私の母の腕の中に抱かれている。
良く見ると、男の子の頭には、当時の私の手のひらくらいの
大きなガラスが深く突き刺さっていて
頭を触ろうとしているところを、母が男の子が頭に触れないよう
自らの手で男の子が動けないよう動きを固定し
ガラスが動かないようにしつつ、止血するため、何かでガラスを
くるみ、それを手で押さえていた。
(母は看護師ではないが、そういう学校出身で、応急処置に詳しい)
その手は真っ赤になり、私の姿を見つけると
ありったけのタオルをその場に置くよう指示。
母にタオルを渡すと、ガラスをくるんでいた上から
タオルで抑え、
「ありがとう。あとは大人がやるからあなたは家に帰っていていいよ」
「救急車が来たら、私も家に帰るから」
と私に言った母。
ここまで、あまりの衝撃で
アドレナリン(興奮)がMAXだったのでしょう。
母に言われたこの言葉まで、記憶がいまだに鮮明。
正直、小学校低学年で、交通事故現場の被害者目撃は
とてもヘビー体験でしたが、不思議と怖さより、
母への尊敬が今でも深く脳裏に刻まれています。
これ以降も
バイク転倒事故で足が切れる
火事現場に直行しご近所助ける
など、目撃するたび、かなりの頻度で、母出動&救助。
私含め、家族はそんな母を「野次馬」と言っていますが
私は心の中で、「尊敬」していました。
そして小学生低学年時の私の脳内に
理不尽 < 恩・尊敬
という構図が作られ、同時に
「自己の否定」
が生まれた時代であったように思います。
今でこそポジティブと言われる私も
自己否定していた時期もあったんです。
「どんなに理不尽だと思うことをされたとしても
いつか、その人の気持ちが分かるようになるのかもしれない。
自分が悪いのかもしれない。
だって、青母は、周りに感謝される人物で
私は、いつも叱られる子どもなのだから。」
次回、「引っ越し」そして「7年間のイジメの始まり」
について投稿していきます