病みから闇へ
祖父のお墓で何度も
「死にたい」
「でももうこれ以上、苦しい思いをするのは嫌だ」
「おじいちゃん、どうしたらいい?」
「私はいてもいなくてもいい子」
って、嗚咽を堪えて(お寺の方に見つからないように)
泣いて訴えました。
(お寺の方の朝早いので、もしかしたら、知っていて
目をつぶってくださっていたのかもしれません)
が、ある日、急に、事態が変わります。
なんと、私のランドセルに、覚えのない連絡帳が。
クラスの男子の物でした。
私は入れた覚えないし、だいたい、席も近くない。
なんで入っているのか不明。
しかも、この男子も、控えめだけど、私を避けている。
頭、真っ白になりましたよね。
これ、どうしよう・・・と。
で、祖母の部屋の奥に、隠してしまったんです。
案の定、すぐバレました。
母、激怒。
何故、隠したのか、聞かれます。
当然、答えられません。
・・・畳の上で正座のまま、叱責。
暗い部屋に一人、何時間、正座させられていたでしょうか。
記憶では恐らく16時頃から、20時頃までだったと思います。
夕飯作る前から、家族が食べ終わったころだったので。
(もちろん、私は、食事には呼ばれていません)
今思えば、誰も見ていないんだから
脚崩せば良かったのに、頭の固かった私は
その時間、ずっと正座をしていました。
(因みに今でもその名残で膝や足の甲には色素沈着)
そして、私以外の家族の食事が終わり、
母が見かねて、また私に問います。
「なんでこんなことをしたのか」
ここで、初めて、私は青母に言うのでした。
「私が返しても、どうせ捨てられるから、返さなくてもいいと思った」
たしか、こんなようなことを言ったのだと思います。
そこから、青母からの質問の嵐で、イジメ発覚。
青髪、号泣
青母、号泣
なぜ、もっと、親に早く言わなかったのか
聞かれました。
母としては、自然な言葉です。
青髪「言っても変わらないと思った」
授業中でも先生は何も言わない。
保健室の前でいじめられてても先生は出てこない。
上靴を探していることを先生に伝えても
「遅くならないように(探すなら)」だけ。
授業で手をあげても、さしてもらえるのは参観日にだけ。
担任の先生も、学年の先生も、通りかかる先生も
みんな同じ。
父には相談して負担をかけたくないし
(この頃、毎日2~3時頃に帰宅し、7時半頃出社していた)
母は私を出来が悪いと思っているから、これ以上、
もう傷つきたくなかったことを伝えた。
(ような記憶がある)
だから、言いたくなかった。
言ってしまったら、言っても変わらない現実を知ったら
ギリギリで保っていた自分が壊れて、生きていけないと思った。
そこで、涙ボロボロの鼻声の母から
思わぬ一言。
「なんで親に言わなかったのか。私は悔しい」
「あなたが悩んでいたことにも気づかなくて悔しい」
「あなたは、こんなことされて悔しくないの?」
私は一言
「悔しくないわけない」
これが精一杯、親に発した、初めてのHELPの言葉でした。
次回、5/2は「闇からの転換~小学生の章~」
をお届けします。
お楽しみに。
※このお話は、私の記憶に基づいた実話です。
但し、どんな記憶で在れ、
過去の記憶は様々な影響を受け、湾曲します。
関係者の各位の視点ではまた異なる解釈となるでしょう。
そのため、私の一方的な記憶の解釈となっております。
ご了承ください。