この世界ではちょっと生きにくい、不器用なテナガザルの話
以下は数年前、大学院修士課程を修了して就職する直前にまとめた文章に、いくつか注釈を足したものです。
今でも自分のバイブルとして、ふとした時に読み返しています。
大学院卒業という一つの区切りに、大学(院)での6年間の生活で考えたことを綴ってみようと思う。
大学受験が終わった頃から、新しい趣味として読書を始めた。
読んでいるのはほとんどが小説で、概ね年間100冊ペースで6年間続けることができた。
印象に残っている本は多々ある。ただしその中でも、学部2年の秋に出会ったある作家さんの作品が、今の自分に強く影響を与えている。
その作品のタイトルは「こんなにも優しい、世界の終わりかた」(小学館・2016年に文庫化)。
著者は市川拓司さん。大ヒット映画「いま、会いにゆきます」の原作者、といえば分かる人もいるだろうか。
ストーリーについては割愛するが、描かれているのは純粋な「愛」や「優しさ」だけ。「悪意」や「強欲さ」といったものは徹底的に排除されている。そんな物語に引き込まれてしまった。
600冊以上を読んだ今でも、一番好きな作品はずっと変わっていない。
(※注:さらに時が経って読んだ本は1000冊以上になりましたが、一番好きな作品は今も変わっていません)
自分がどういう性格かを考え始めたのが、学部4年の秋頃。
翌年6月に出版された市川さんの「ぼくが発達障害だからできたこと」(朝日新書)を読んだことで、少しずつまとまってきた。
(※注:2021年に「発達障害だから強くなれた ぼくが発達障害だからできたこと 完全版」として、加筆修正のうえ朝日文庫で文庫化されました)
特に自分の中でしっくりきたのが、作中で人間を4種類の類人猿に喩えたものだった。
(※実際のサルが厳密にこのようであるというわけではないと、作中でも書かれています)
市川さんは自分がテナガザルグループであると述べていたが、自分もテナガザルに当てはまるところが多いと感じた。
例えば、テナガザル(タイプ)は争いを好まない分弱いので、危険を察知するセンサーが敏感になる。
自分は飲み会の場で何人かのテーブルで話していても、他のテーブルで酔っ払っている人が気になることが他の人より多い気がするし、自分のいるテーブル以外の人の声がうるさくて、自分のテーブルの会話についていけないこともある。(周りの人の声が同じ大きさで聞こえるとまではいかないが、それに近い感じ?)
そういうことが気になってしまうので、自分が酔っ払って騒ぐことなんてできない。自覚のない状態で自分がお店に迷惑をかけるなんて、自分が許さないから。
眠りが浅いのも、そのせいかもしれない。(その分寝起きはいいのでプラスかも?)
そして、テナガザルはチンパンジー達のように競争はしない。
相手に尽くすことに幸せを感じ、利他的な振る舞いをする。
それが、平和主義・馬鹿正直さといったテナガザルタイプの特徴につながっていったのでは、とも述べている。
自分も「正直者が馬鹿を見る」という言葉が好きではない。
どうして、誠実に接し、利他的な振る舞いをしている人が割を食わないといけないのだろうか。
チンパンジータイプばかりのこの世界では、競争を勝ち抜くために相手を出し抜いたり騙したりしないといけない、ということなのだろうか。
去年自分が経験した、就職活動はその最たるものかもしれない。
ESなり面接なりで点取り合戦(というか点落とし合戦)をして、競争して残った人が内定をもらっていく。
就活サイトで色々な会社のページを見ても、「向上心がある」「独創的なアイデアが出せる」といった文言が「求める人物像」のところに並んでいる。その背景には、どうしても他社との「競争」が見えてきてしまう。
利他的な人が損をするのは、囚人のジレンマのようなものなのだろうと思う。
全員が利他的な行動をしていれば、「情けは人の為ならず」ではないが、全員が幸せになれるだろう。
しかし、一人でも欲張る人がいると、欲張った人が大きな効用を得て、他の人は利他的な行動が報われず損をする。
その結果、個人は欲張ることが最適解になってしまう…。
そんな過度な競争と不寛容が広がるチンパンジー的な世界で、不器用にしか生きられず、生きづらさを抱えているテナガザルタイプの人が、それなりにいるのではないだろうか。なかなか表には出てこないだけで。
そうした思いもあり、2年前くらいに「親切に、誠実に、寛容に」という座右の銘を作った。
せめて自分は、生きづらさを抱えている人にもこのような気持ちで接したい。
完璧な人間ではないので、いつでもできるわけではない。
社会人として「社会(=チンパンジー的な世界)に貢献すること」も期待されていて、競争を勝ち抜かないといけないかもしれない。
それでも、自分の根っこの部分は変えたくない、と思っている。
読書メーターで「優しい物語が好きな方のためのコミュニティ」を立ち上げ、「やさどく」を開催しているのは、「生きづらさを感じる人たちが少しでも安らげる場」を作れればいいなという思いがあったからだと、立ち上げてしばらくしてから気付いた。
4月からの仕事の延長上にあるかどうかは分からないが、こうした場をもっと広げられればいいな、と考えている。
今はそれを実現するお金もアイデアもないが、そういう人たちに寄り添う気持ちだけは持っていたい。
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