イジメについて思うこと

いつの世も弱いものいじめはなくならない

人が人である以上
生物である以上
残念ながらそれは無くすことはできないと
思っている。

でも、イジメなんてもんは
誰しもやるものではない
やらない人は一生やらないで
人生を終えるし、その方が圧倒的に
多いはずだ。

私は一方的な理由で、悦楽で
誰か一人をターゲットとし
するイジメは全て悪だと思っている。

そこは変わらない
クズだと言い切ってもいい。
語るにも値しない。

また、人と人との関わりの中で
ちょっとした行き違いや、コミュニケーションの誤解から、嫌いになり行うイジメもまた悪だと思っている。

なぜなら、その程度の行き違いで
人をイジメていたら、キリがなく
そしてあまりに理不尽だからだ。

許容という意味で
あまりにも未熟だ。
そのせいでイジメられたらたまったものではない。

ただ、世の中の「いじめる側が絶対的に悪い」
というのには同調しない。

自分に原因があって自分に跳ね返ってくるイジメもある。

例えば元はひどいいじめっ子が 
立場が変わっていじめられた時
同じ事が言えるだろうか。

例えば人を壊れるほど追い詰めたいじめっ子が
いじめられる側になった時、周りの人は
いじめる側が絶対的に悪だと言えるのだろうか。

私ならば言えない。

例えば、元はいじめっ子ではない子の
飼っていた大切なインコを逃がしたのをきっかけに
その子から虐められたとして、いじめた側が悪いと言えるだろうか。

どちらにも原因があるいじめもあると思うのだ。

なので私は上記のイジメに対しては
悪だと言えるが、例えのような場合にまでも
言えるかといえば否なのだ。

イジメる側が絶対的に悪い
勧善懲悪のこの姿勢こそがある限り
私たち大人はイジメの本質など
きっと変えられないのだろう。
もちろん私もそうだ。
私の例も違った見方があるかも知れない。

絶対的にやってはいけないイジメがある
それはお互い決別すること、分かり合うこと
許し合うことでしか解決はしない

悦楽の為のイジメならば、残念な話だが
その子、その人の人間性を諦め
関わらないこと、場合によっては罰することでしか
収まらないだろう。 

その上で
イジメる側が絶対的に悪いと
勧善懲悪で正義の旗を掲げている
イジメを単純化している大人もまた
なんとも短絡的と言わざるを得ない。



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