ふっきれるとき
あの別れからかれこれ12日
ちょうど1週間の日に、ふと、あっこれもう平気かもと漠然と思った。
もちろん今もふと思い出して、寂しくなることはある。それは誰とのどんなお別れでもずっとついてまわるだろう。
でも、元に戻りたいと願ったり、もしかしたら連絡がくるのではと期待したり、こちらから気の迷いで連絡しそうになったり、習慣づいてた時間に気になったり、そういうことがなくなった。
都度、もう“ちゃんと”終わったのだと
思うと、心の中で納得がいくくらいには
なった。
その後の彼がなにをしていようと、どう思っていようと、それはそれでいいんだ、もうちゃんと終わったのだから、と。
昨日、久しぶりに髪を切った。
その帰り、兼ねてから決めていた肉を食べることにした。
ワンポンドステーキ(450g)を。
ライス付きで(なんならコーンスープ付き)。
見た時、あ、これいけるかなぁ?と思ったが、一口食べて、即、余裕だなと思った。
そしてその通り余裕だった。
今回のお別れでも泣きながらチョココロネを食べた事もあった。今までの別れでも、別れではなく別の辛い事の時でもそうだけれど、泣きながら食べることは今までもあった。やっぱり食べることは生きることだなとつくづく思う。
楽しく食べても、泣いて食べても、食べるということは、生きている証であり、自分自身への生きる意思表示なのかもしれない。
またもう少ししたら、この事について書いてみよう。
今この時点ではこんな感じだ。
次書く時はどんな自分になっているだろう。
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