志望合格!は目標じゃない。
私の土台が傾いた1番の原因はここだった。
《音楽高校に入る!》ことを目標に、
小学校6年生から受験準備に入った。
早期教育が定番の音楽業界で、
小学6年生からのスタートはレイトスターター。
小学校低学年の時にコンクールでの入賞歴はあったものの、それ以外の人前での演奏機会はせいぜい年に一度の発表会。
そこは、新幹線が通ってない太平洋側の陸の孤島。
福島の田舎町。
自分と同じ教室のちょっと上の先輩たちしか知らない。
同世代がどんな戦いをしているかなんて知る由もない。
『バイオリニストになりたい!』
『某オケのコンサートマスターになりたい』
純粋無垢に言っていた。
それが一体どういうことなのか、
全くわかっていなかった。
多分、両親も。
母は、専業主婦。
父は、機械工学科の先生。
音楽とは全く無縁の2人だったけど、
音楽は好きだったんだと思う。
あとは、ただひたすら娘を信じてくれたんだと思う。
…思うとしか書けないのは、もう2人ともこの世にはいなくて、確認のしようがないから。
父は、私が10歳(小5)の時に亡くなった。
練習も自分から一生懸命にやるタイプではなかったし、発表会ではいっつも止まるし、楽譜も小3まで読めなかったし、こんな娘のどこをみて『この子には音楽!』と信じてくれたのか、全くわからない。
今にして思えば、【娘の受験】を支えにしなければ、母自身が立っていられなかったのかもしれない。
私も知らないうち、その母の思いを背負って受験に向かったのかもしれない。
とにかく。
小6から中3まで【目標 音高合格】で走り続けた。
最後の一年は受験曲だけをひたすら弾いて、
聴音の訓練と楽典の勉強。
それが何のためなのか、
どうしてそれが必要なのか、
理解する暇もなく。
ただひたすらに訓練。
音楽高校がどんな場所なのかもよくわからないまま受験した結果、第一志望には不合格。
滑り止めとして先に受験していた第二志望へ進学することになる。
合格報告したら『(受かって)当たり前』としか言われなかった第二志望。
あぁ、私はそんな学校に行くんだ。。
これが私が傾いた瞬間だった。
《音高合格》
第一志望ではなかったものの、
目標は、達成。
だけど、私を待っていたのは
…それで?
私はなんでここにいるんだ?
何のために弾いているんだ?
音高はあくまでもツール。
私は何をしたかったの?
さらに私が傾いていく。
母の想いを背負った受験。
高校入学と同時に寮生活になり、
母からも離れて、ますます音楽をやる意味がわからなくなっていった私。
苦しくて、
長い戦いの日々のはじまりはじまり。