傾いた私が出来るまで③
福島に戻って、中学校の先生を目指して教員採用試験にむけて勉強する日々が始まった。
人材不足の教育業界とは言え、
音楽の教員は、基本的に1校1名。
気が遠くなるくらい狭き門。
ひと世代上の先輩に聞いた話では、採用試験をほぼ同じメンバーで10年くらい受け続けて、、1人、また1人と受かっていくのをみていて『ああ、、流石には私かな』と思ったらしい。笑。
通常採用試験準備中の人は(ストレートで採用される人はのぞいて)講師として学校にパート勤めしながら経験を積む。
講師経験があると採用試験にも優遇されるし、非常勤でなくて常勤は"ほぼ"採用者と同じ扱い。
講師の採用に試験はなく、教育事務所に登録しておいて、欠員がある場合声がかかるシステム。
私もこれを狙ったのだが、戻ってきた時期がギリギリ過ぎて、新学期には間に合わなかった。
でも、その登録に行った教育事務所で、講師はないけどふらふらはするのはもったいないからここで働きな〜ってことになってことになって、とんとん拍子で仕事が決まった。
傾いている時って恐ろしい。
全く向いてない事務職に就いてしまったのだ。
ご縁をいただけたこと、
勉強する機会をいただいたこと、
あと、実はここで働いていた期間に夫と出会うので、全てはバランスなのだと思う。
ただ、仕事内容は全く向いてなかった。
私に与えられた主な仕事は、
交通費の精算伝票つくること。
あとは、資料の印刷、教育委員会主催の研修会の運営手伝いとか、、
男性職員10数名にお茶を淹れて出すとか(これは仕事か?!)、、
全く向いていない仕事だったけど、
その時は向いていないことにすら気づいてなかった笑。
中学校の先生になるためにそこにいたから、あんまりそこでの評価は気にならなかったのかもしれない。
一回りも二回りも上の先輩方にたくさん可愛がってもらって、助けてもらってなんとか乗り切った。
勉強の機会も色々いただいて、
挑んだその年の教員採用試験は、福島も併願していた東京都もどちらも不合格。
また来年か、、と自動操縦的に思っていた矢先、人生が変わる出来事が起こる。
時は、2011年3月。
東日本大震災。