幼い頃の楽譜を手元に、もう一度ピアノをやってみる。
今日はピアノのレッスンの日、お姉ちゃんがやって来る。
3畳の部屋に置いたアップライトピアノの前で私は緊張をつのらせる。鍵盤に手を置いて、APOLLOの文字を見つめる。
何と言おうか、練習していない言い訳を...。
ツェルニーの課題曲を前日になって慌てて練習しはじめたのだ。気持ちが焦っているから楽譜を追うので精一杯で、とちって詰まって音楽になっていない。誰が聴いても練習してないことがバレバレの状態に冷や汗を流す小学生の私。
バカバカ!
なんであの日、マキちゃんとこに遊びに行っちゃったんだよ!。
なんであの日、テレビ見ちゃったんだ。
なんで弾きたい曲(ナウシカとかは弾いてた…)しかやんなかったんだ。
なんで書き込みなんてしちゃったんだよう。
こうなると分かっててなんでさぼったんだよ...…
思えばブルグミュラーまでは楽しかったなぁ。
メロディーになって自分で曲を弾いている感覚が嬉しくて。牧歌とかアラベスクとか曲調も様々で楽しく弾いて、自分が上手になった気にもなってピアノが好きって思えていた。それが、ツェルニー30番になってから急に気持ちが萎えたのだ。指の運動的な練習曲になったのが面白くないと感じて、毎日楽譜を開くことも億劫になった。
でもお姉ちゃんに怒られたくない!絶対に回避したい!
怒るとめっちゃこわいのだ。(←当たり前です)
仕方なくレッスンの直前に慌てて練習する羽目になる。今考えると脂汗がでるけれど、当時の私は”やりました”感をアピールするのに、楽譜の余白に「ゆっくりと」とか鉛筆で書いてみたりした。全くもって恥ずかしい事なのだけれど、追い込まれると悪知恵だけは浮かぶのだ。でも悲しいかなそんな稚拙な小細工は、当然ながらお姉ちゃんには全く通用しない。(←当たり前です。2回目)
お姉ちゃんというのは、正確には母方の年の離れた従姉で双子だった。
二人して同じお嬢様大学に通い、一人は声楽一人はピアノを専攻するという互いに恵まれた才能を持っていた。小さい頃からたまに遊んでもらっていたけれど、一卵性双生児の従姉たちは顔も声も髪型もおんなじで、二人して同じ服を着ているとまるで区別がつかない。
私がピアノを習うにあたり、母が自分の姉に頼んでくれて、週に1度電車とバスを乗り継いで1時間以上かけて狭い団地の部屋まで通って来てくれたのは、ピアノのお姉ちゃんの方だった。ピアノを教えてもらうようになって個性に触れるようになって初めて区別がつくようになったぐらいだ。
お姉ちゃんはその当時21、2の大学生だったはずであるけれど、80年代の流行とは別の空気をまとった落ち着いた雰囲気を持った大人の女性だった。
怒るときも声を荒げる事はない。
ただ、静かに怒る。言葉が少なくなる。目に温度がなくなるのだ。
そう、それはまるでチベットスナギツネの目。
そんな目をお姉ちゃんにさせるわけにはいかない。
ダメ、絶対。
不毛な思考がぐるぐると頭を支配するなか、緊張感満載のレッスンが始まった。焦り、震える手を必死でおさえて、とりあえず課題曲を1曲詰まりながら、止まりながらなんとか弾き終えた。
数秒の沈黙が流れる。
「……練習してないね。」
冷静で冷徹な簡潔な一言に、もう言い訳もでてこない。
お姉ちゃんは長い時間かけてわざわざ通ってきたのだ。私のやる気をそがないように気を配りながら、習得する上で必要な課題が学べるテキストを選んでくれたのだ。結果、成果のなかったこの1週間の徒労を思って呆れるのも当然至極。
お姉ちゃんはもはや私の方さえ見ず、楽譜に書かれた「ゆっくりと」の鉛筆書きをスナギツネの目で見つめたまま微動だにしない。
多少の誤魔化しになると思った自分が恥ずかしく愚かで、私の耳は真っ赤である。怒らせてしまったと思う気持ちが、もう誰の為にピアノをやっているのか、いろいろすり替わって分からなくなっていた。
「……ハイ…」
と蚊の鳴くような声を絞り出すのが精いっぱいだった。
中学生になって部活がはじまることを理由にピアノを辞めた。
自堕落な生徒は進みも遅く、テキストはソナチネの途中までしか進まなかった。
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なぜ急にこんな回想をしているかというと、実家の母から電話があったのだ。あんたが使っていたピアノの楽譜、捨てていいかと。
うん、いいよ。そう答えて電話を切ったあとで、思い出したのだった。こんなことあんなことを。
そしていま、この記事を書きながら、ブルグミュラー、ツェルニー、ソナチネの優雅な演奏をYouTubeで聴いている。流れる音に併せて指が少し動く。もう40年近く前になるのにまだ指が反応するのだからすごいと思う。
今の家には、息子の為に買った小さな電子ピアノがある。イヤホンが付けられて外に音漏れすることもないから、恥ずかしくないじゃない?
やっぱり、要らないといった楽譜を送ってもらおう。
以前弾いていた曲がまた弾けるようになるか、自分を喜ばせるためだけの修練をやってみよう。
ところで、言い訳の書き込みはまだ消えずにあるかしら。