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そっと隠れて、走って逢いにおいで (閑吟集5)

そっと隠れて、走って逢いにおいで

「あまり見たさにそと隠れて走て来た まづ放さいなう 放して物を言はさいなう
そぞろいとほしいて なんとせうぞなう」 (閑吟集)


なかなか逢えない恋人同士がようやく逢える時の気持ちは、高鳴る心臓の音まで聞こえてきそう。

遠距離の場合はその長い道のりすらもまた楽しく思え、
近距離の場合はたった一駅の長さがまるで大洋が隔てる距離にも思え。

心躍る気持ちを抑えつつ、想い人のところに駆けつける。

やっと逢える、いや、顔を見るまでは安心してはいけない。ここで電車が止まるかもしれない。地震が来るかもしれない。いやもっとそれよりも、想い人に急用が出来るかもしれない。

だからこそ気持ちがさらにはやるばかり。

でもこのはやる気持ちをこっそり隠しておきたい。
冷静に落ち着いて、会いに来たのだという、妙な見栄を張ってしまうのも、不思議な恋心。

それはたとえば、人目があるときはわざとゆったりと歩き、人目がない場所では、いそいそと小走りに変ってしまうという心理。

そして想い人の姿がついに視界に入った時。

その時点で周りの風景は見えなくなり、自分の先ほどまでの見栄も消え去り、まるで一足飛びするかのように飛んでいき、その胸に飛び込んでしまう。

そんなときのあなたの顔は、笑みに輝いているのか、涙顔になっているのか。

想い人はそんなあなたにきっとびっくりしながらも、あわてつつ、でも嬉しい気持ちで一杯になる。その顔は困ったような照れたような、どうしようという表情。

こんな情景を描くとまるで、初々しい青春時代の恋人たちのよう。でもこの気持ちは誰もが理解できるはず。 それまでの逢えないもどかしさが深ければ深いほど。

「あまり見たさにそと隠れて走て来た
まづ放さいなう 放して物を言はさいなう
そぞろいとほしいて なんとせうぞなう」 (閑吟集)

あまりにも私に逢いたくて、そっと隠れて走ってきたのですね。
でも、もう大丈夫だから体を放してくださいな。
体を放してまず言葉を交わしましょう。
あまりに私が愛しくて、愛しくて、
どうしようのなくなっている気持ちは
もう十分伝わっていますから。

溢れる愛情と情熱に二人の間に火が燃え上がりそうな言葉。
こんなふうに冷静に抱きしめてくる想い人をなだめながらも、自分が冷静にならなければ一気に落ちてゆくことがわかっているから
せめて自らを抑えようとする自制心。

やっと逢えたからその情熱に身を任せてしまえばよいのに、あえて冷静になろうとする天邪鬼の心理。

きっとあまりの喜びのために、心がおかしくなってしまったのかも。

早く飛んで行きたい。
早く飛んできて欲しい。

そっと静かに目立たぬように
そして、一目散に。

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