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濡れるは恋の潤い (閑吟集4)
「恋の中川 うっかと渡るとて 袖を濡らいた あら何ともなの さても心や」
「濡れる」
という言葉を辞書で調べれば、
「表面に水などがつく。また、水がかかったり水につかったりして沁み込む」とあり、「雨に濡れる」「濡れた瞳」という例がある。
そしてもうひとつの意味として、「男女が情を通じる。情事を行う」という意味も併記され、「しっぽり濡れる」という例がきちんと掲載されている。
この「濡れる」という言葉は、あまりにも安直に猥談的に使われてしまっているが、英訳がきわめて難しい、男と女の情と秘め事を情緒的に表す日本語の独特の表現の一例といえよう。
実際に人の心の中は、不思議なほど水とは深い関係にある。
心が殺伐としている時は砂漠のように涸れた状態であり、多少の水の補給などみるうちに干上がってしまう。そうかと思えは、恋をすれば野鳥が群れ飛び、多くの草花が咲き乱れる湿原のような瑞々しさを保ち、 時には津波のように何もかもを流しつくすほどの勢いになったり、ちろりちろりと青葉の先から滴り落ちる雨水のような謙虚さにもなったりする。
人の心にはちょうどよく潤う、濡れる程度が良い按排(あんばい)。
そして男と女の体の重なりにおいて濡れるという状態は、心と体の加減を見事に制御してくれるもの。
「濡れる」といえば、女の体が密かに潤う現象が連想されると共に、男に体を委ねるときの覚悟の心の潤いでもある。
心においては心の中の潤滑油として、体は体の重なりの潤滑油として、しかし根底ではしっかりとその水路は繋がっているのだ。
「恋の中川 うっかと渡るとて 袖を濡らいた あら何ともなの さても心や」(閑吟集)
恋の川をうっかり渡ろうとして 袖を濡らしてしまったわ。 川の水のせいではないのよ、私の心が濡れたからなのね。
この女がなぜ袖を濡らしたのか。
涙が流れたから?
否それだけではなく、着物の奥の深いところを濡らしたからに違いなく、そしてそれは男を思う心がそうさせた。
想い人のことを想い、じわりと心と体を濡らす女。
滴る女は艶かしい。
あなたは今宵、誰を思って、どこを濡らす?