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なんにもしない自由

むかしむかし、進研ゼミのチャシンジ中学3年生を受講していたことがあった。
そのテキストには、読み物ページも充実していて、 
毎月、各界の著名人の方から15才の我々に向けての
メッセージが掲載されていた。
なかなか一筋縄では行かないラインナップの人生の先輩たちは、自分たちの青春の思い出を交えながら若い世代にエールを送ってくれた。
まぁ、普通、そうするわな。
もしわたしが同じ立場で執筆依頼を受けたらそうしただろう。
ただひとり、唯一Mr.オクレさんを除いては。
Mr.オクレさんをご存知ない方のために紹介すると、
お笑い芸人さんである。持ちネタは特になく、
いじられ役になってしまう、ちょっと悲哀漂うキャラで人気を得た。
彼の回の文章は、15才のわたしのハートを突き抜けて行った一本の矢だった。それはこう題されていた。
「何もしない自由」。
内容は、がんばりたいやつはがんばったらええ、高みを目指したいやつは目指したらええと思う。けど、俺は別に頑張りたくないねん、何者かになろうとかそんな欲ない、「頑張る自由」があるとしたら、「頑張らない自由」もあっていいと俺は思っている。
というものだった。

わたしたちの世代はガンバレガンバレと言われ続けて来た。受験戦争ということばさえ聞き慣れていた。
誰も疑わなかった。クラスメイトさえライバルだった。
蹴落とし蹴落とされ、「下克上」を地で行った。
頑張ることこそ、美徳。
それで結果が出せなかったら、努力不足。
競争社会。
なんにでも点数をつけられ、時短だとか、動線を考えろ、効率良く動け、無駄を省いてー

つまんない生き方。

そうして洗脳された我々は都合のよいアリンコになった
ひとつ、なんか動いたら、本音では一服したい、と思う。でも、そこで休んでしまったら、あっという間に時が経つ。やろうと思っていたことが進まない。それで、ついでだから、と続けて動く。同時並行で3つくらいまでなら出来る。全部終わって時計を見たら、二度見してしまうほど、短時間でこれだけのことを済ませたのか、と自分でもひく。それから休んでも疲れ切っているからなかなか疲れが取れない。そんなことの繰り返しをずっと続けて来たんだな、わたしは。


そして鬱になった。

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