あなたは誰。
簡潔に行きたいと思う。感情に流されないように。
わたしが心療内科を訪れたのは今から23年前のことだった。何度も病院を変えた。薬も変えた。
誰もが知る国立大付属病院の精神科医師にも会った。
どこに行っても大量の薬を渡された。
そして症状は一向によくならなかった。
副作用でかえって苦しむばかりだった。
そんなわたしを救ってくれたのは叔母だった。
わたしのそれまで処方された大量の薬を全部捨てた。
そして、山の上にある救急指定病院の内科に連れて行ってくれた。
何時間も何時間も待合室で待った。
わたしはとても怖かった。
先生はとてもやさしかった。
そして、今までどこの医師に尋ねても教えて貰えなかった病名を問うと、教えてくれた。
「うつ病です。あなたは今より以前からこの病気の兆候が出ていたはずです。原因は幼少期の家庭環境です。」
薬はわたしに合う薬をみつけられるまで一週間ごとに、
診察に来るようにと言われて、なかなか薬との相性が合わなかった。
やがて、アメリカで出た新薬を試した。
コロナワクチンで話題になった製薬会社が特許を取ったものが日本でも認可が下りたところだった。
その薬との出会いでわたしは普通の生活に戻れた。
家事も仕事も出来るようになった。
寛解していた。
突然の出来事だった。主治医が急逝した。脳内出血だったとあとから知った。その日は診察日で病院の窓口の
プレートに書かれた訃報に泣き崩れた。
それからわたしは病院から遠ざかっていた。
薬も飲まなかった。
すると、フラッシュバックが襲ってきた。
堪らず、受診した。引き継いだ後任の医師はカルテを
見て、薬を継続しないとこちらは責任を持てないと
言った。山の上で通院が難しいなら、近くの心療内科に紹介状を書く、と。
それを持って駅前の心療内科に行った。
初診の方は受け付けていない、とのことだったが
予め電話で紹介状を持っていることを話すと訝りながら医師に取り次いで貰えた。
亡くなられてから知ったことだったが、わたしの主治医だった先生は内科医として精力的に活動されている方だった。
わたしは同じ処方薬で薬を出して欲しいと今度お世話になるドクターに頼んだ。
そしてそれは聞き入れられた。
だけど、そのドクターも胃ガンで帰らぬ人となった。
こうして二人の主治医を失くした。
今はドクターが死の直前、残される患者のために手配してくれていた病院から医師が来て、カルテに沿って
処方してもらっている。
減薬は、まだ出来そうにない。
医師に、自己判断で飲んだり飲まなかったりというのはよくないから、少しずつして行きましょう、と
そのために鉄剤をプラスされた。
元々、健康診断で貧血はいつも指摘されていた。
薬だけに頼っていては、心の平安は保てない。
認知行動療法というものに出会って、わたしは
確実に前を向き始めている。
わたしを虐げ続けた実家への復讐のために弁護士に依頼した。結果よりも、あの弱い者いじめしか出来ない小心者たちがビビっているのが痛快だ。
何人もの精神科医に会った。
ご自身が狂ってしまっている方もいらした。
患者であるわたしに
「心理学を学んだからと言って、他人の気持ちが理解出来るわけじゃありませんからね」と言い放った医師もいた。
何かと専門用語を並べ立て、扇動するかのような
誰それの本からの引用だとか、誰かの名言とか
そんなの、鼻くそ丸めて梅仁丹。
自分のことは、自分が信じてあげていればよい。
今、わたしは毎日が楽しい。