こんな親で、ごめんなさい。
わたしがうつ病と診断されたのは23年前。でも症状は
その前から出ていたはずです、と当時の主治医は言った。中学生の頃、毎晩金縛りにあっていた。
幻聴も聞こえた。そして隣の部屋に襖を隔てた隙間からわたしを覗いている7才年の離れた兄の存在が怖かった。一階に降りれば、父と母が口汚く罵り合っている。
又は、兄が降りてきてわたしのいる前で性器を露にしてボリボリとひたすら掻き毟るのだ。とても嫌だった。
兄は生まれた時からアトピーで、皮膚が湿疹で赤く爛れていた。痒くて掻き壊すのでシャツに血が滲んでいた。母に似た可愛らしい童顔はケロイドのように膨れ上がり目も満足に開いてはいなかった。
そんな兄は、わたしのすべてを破壊した。
父も母も知っていて止めなかった。寧ろ、差し出された生け贄のように。そして三浪してやっと大学生になれた兄はわたしを家から追い出した。16だった。
夜過ごす場所がどこにもない。祖父を頼ったが、同居していた伯父に追い出された。
どこに行っても厄介者だった。朝が来るまでずっと
歩き続けるしかなかった。中学生のときはずっと電車に乗っていたな。終点まで来たら引き返して、を繰り返す。今はそれが出来なくなってしまったけれど当時は入場券でそれが可能だった。高校は学校からの推薦で私立に入学、楽しかった。友達もすぐ出来た。なのに、どうしてかどうしても、一年生の夏休み明けから行けなくなってしまった。家を追い出されて下宿にいたこともあったが、母がくれるお金は5万。家賃は3万。お風呂なしなのでわたしは食事より銭湯に行くことを優先した。
わたしはバイトをして食い繋いだ。参考書で独学して大検の資格を同級生の子がまだ学校に行ってる時に取得していた。
わたしはまた、あのときみたいにひとりぼっちに、
なる。
ならなければいけない。
わたしのされたことを自分の子どもにしてはいけない。
わたしは子どもに依存していた。
解放してあげないと子どもの人生がわたしに捧げるものになってしまう。
愛着障害、というのか。知らなかった。
コロナ禍以前まではバリバリ働いていた。
働き過ぎてしまった。寛解と再発の繰り返し。
子どもたちは言う、「お母さんは笑いながら平気で絶対に言っちゃいけないその人を傷つけることを言う」
それでとても傷ついたって。それを子どもらに対してだけではなくて、他の誰にでもしているそうだ。
言い訳ではないが、自分はそんな酷いことを言ったつもりはなかった。なぜかと言うと、悪意に満ちた罵詈雑言の中で生きてきたから。
今、鬱の波に飲み込まれかけている。
わたしはまた、独りに、なる。
にぎやかなあたたかい家庭を夢見てた。
誰にも頼れずにひとりで子どもらを育て上げた。
それを誇りにしなさい、と言われた。
わたしは、いいお母さんでは、なかった。