人生のエッセイ第1話「アスパラガス」
今年で四半世紀を生きた。まだそれくらいかよ!と思う人もいるだろうが、なんせ小学生であれば4回通えるほど年齢が過ぎてしまったのだ。今の自分の価値観では長い時間である。また今年は色々な意味で区切りの年齢である。来年から社会に出るという(この言葉自体あまり好きではないが)一大イベントがある。そこで自分の四半世紀を振り返ってみようと思う。この試みには色々な理由がある。
一つは最近物忘れがひどい。昔出会った人の名前は結構な頻度で忘れるし、幼少期の思い出がトラウマ以外薄くなっていて辛い。そこでこのエッセイを通して覚えてる範囲で記録を残そうと思う。
もう一つは今後の自分のため。将来何かの間違いで自分がビックになって、または何かを成し遂げて勝手に好感度が上がったとする。その時にこのエッセイを見返せば、自分という人間がたいしたことがないことがわかるはずである。友人代表のような人が「彼は幼少期から勤勉でした。」などとうそぶくの止めることができるのだ。自分の実情は、プライドだけ高く人付き合いが苦手で、それを虚栄と根性で乗り切ったり誤魔化したりしているだけの人間なのだ。それをこのエッセイでわかってもらいたい。
そんな感じでエッセイを書いてみる。なにぶん飽き性なので1話以降更新されないかもしれない。しかし、こういうのは始めるが吉である。やってみる。本エッセイでは、ほぼノンフィクションで行う(当たり前だが)。そのため他の個人の名前は、お世話になった人はその人とわかる程度に仮名に、悪口は誰かわからないほど崩して書いていく。もし不快な思いをした場合はご容赦願いたい。また今のところは時系列は幼少期から書くつもりだが都合で飛び飛びになるかもしれない。まあとりあえず始めよう。
第一話「アスパラガス」
生まれて、その後の記憶はどこから始まるのだろうか?よくテレビではお腹の中でお母さん達の会話を聞いていた!などいう子供がいる。しかし、個人的にそう言うと親が喜ぶことを知っていた私は、その手の嘘を親についたことがある。なのでそんな記憶は存在しないと思う。
琵琶湖の近くで普通の親元に生まれた私は、人並みか少しそれ以上の愛情を受けて育った。叔母には昔オムツを替えている途中におしっこを引っ掛けられた話を満面の笑みで語られたくらいである。つまり昔の私はおしっこを他人にかけても不快にならないくらいには愛されていた。またおしゃぶりが離れないタイプで「あった」という名前でおしゃぶりを呼び、無くなると泣き叫んで手がつけられなかったそうである。そんな感じの幼児期である。
このような話は全て人伝いで聞いており、もちろん叔母におしっこをかけたことも、おしゃぶりがなくて泣き叫んだことも覚えていない。では何を覚えているか。アスパラガスである。幼児期の私はアスパラガスがどうしても食べられなかった。筋っぽいし青臭いしで、許せない野菜だった。しかし、保育園でアスパラガスの給食が出た時に、食べたくなかった私は一計を案じた。落として汚れれば食べなくていいのでは?と。そこで先生があっちを向いてるうちに、少しではあるが確実にアスパラガスを落としていった。そうして綺麗さっぱり皿から無くしてご馳走様を言った。立ち上がれば無惨なアスパラガスの残骸が残っていたはずだが気付かれずにその場を去ることができたのである。
これが私の幼児期に自覚することができる最初の記憶である。
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