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FUDO-KI

今は古代。何かが起きる時代。国が起こる時代。


〈前回までのあらすじ〉
 「氷川の丘」にて祭祀を執り行い、黍国へ侵攻したヒヌカ連合軍。戦いを有利に進めながらも、自国の危機に途中で引き上げていく。
 黍国内ではヒヌカ連合を返り討ちにしたとして勝利が流布されるが、実質的な敗戦から防衛戦線が見直され、有力武将が各地に赴任することになる。
 しばらくすると前国王の浦島鳴(うらしまなり)の死が発表され、葬送儀礼が行われた。それに際して賈智陽(かじやん)の新国王就任が発表される。
 反賈国王派である千田、佐田、佐々、八女、富田、百千は賈体制打倒のため、ヒヌカ連合との連携を模索し始める。


~第26話 一斉侵攻~

ヒヌカ連合は『ヤハト国』と国名を改めた。もともとヒヌカ連合とは稗国と糠国が連合を組んだ時に付けられた名前。その後、多くの国を傘下に収めてきた。首都は宇佐宮に遷され、央日比(おうひび)国王の指揮により国作りが進んでいる。偶像を崇めないヤハト信仰を進めるなか、自然信仰のアニミズム、祭祀者信仰と上手く習合させることに成功していた。国名をもヤハトと定めたのである。

そして十分に期を熟して黍国に侵攻する。

牟羅(もうら)陣を急襲したのはヤハト国の鴛巳(おしみ)&髭麿(ひげまろ)軍。いくら古代の情報網がアナログとは言え、行軍を隠すのは難しい。しかし、ヤハト国軍は朝靄の様に静かに素早く接近し、雷鳴の様に一気呵成に攻め込んだ。

牟羅軍は遊軍としての移動性を考え、簡易的な作りの拠点となっており、守備に重きを置いていなかった。さらに不意を突かれた状況。牟羅自身は難を逃れたが大きな被害を被った。ヤハト国目線で言えば、鴛巳&髭麿軍の襲撃は大成功となった。

そして牟羅軍は遊軍である。「遊軍」は隠された軍でもある。普通は居場所を特定するのすら難しい。それが見つかってしまったのだ。ヤハト国軍は丁寧に情報収集を行い、綿密な作戦をたてていたのである。

侵攻したのは鴛巳&髭麿軍だけではない。
◆楯築(たてつき)陣には佐祁間(さじま)の片腕である播磨宇鹿(はりまうじか)軍
◆阿宗(あそう)&八女(やめ)陣には海万部阿陀(あまんべあだ)軍
◆佐々(ささ)陣には伊世李(いせり)
4つの拠点を狙った一斉侵攻である!

ヤハト国の侵攻

前回にも増して黍国内は大混乱。戦争への対策は練ってきていたものの、北部以外の拠点全てが一斉攻撃されるとは想定していなかった。ましてや、バックアップ用の遊軍が一番に狙われるとは…。


百千武主実(ももちむすみ)は東の佐々孟利(ささもうり)陣にいた。ここにはヤハト国の実質的な総大将である伊世李が現れた。しかし急襲を仕掛ける訳ではなく、少し離れた場所に陣を張り、トップ同士の会談を求めてきた。佐々孟利がそれに応じた。

伊世李は堂々としている。
「佐々孟利殿だな。佐祁間と鴛巳から話は聞いておる。心は決まったのか?」
「貴国とは、我が黍国重臣の千田雨根彦(せんだうねひこ)との間で密約が結ばれたと認識しているが?」
「その通り。密約のもと侵攻を進めておる。しかし、孟利殿の口からも気持ちを聞きたいのだ。」
「ふむぅー。千田雨根彦の約束と同じだ。粳国と結託する勢力、つまり賈国王体制を倒すことには手をお貸しいたす。」
「その密約には続きがあるのもご存知だろう。賈国王体制が倒れた後には、ヤハト国の政祀を取り込むことを。」
古代、『まつりごと』とは政事と祀事を指す。統治する国王一人が司ることもあるが、ヤハト国では別々の王が立てられていた。つまり政治王と祭祀王の二人が存在していた。その両方に関与するというのだ。
孟利は言葉を選ぶ。
「国民に危害が及ばなければ異存はない。」

ヤハト国の要求を見ると分かりやすい。「敵は粳国」としながらも、政祀権限を奪おうとするなど、支配下に収めようとする意図が出ている。これこそ百千大江(ももちおおえ)らが警戒していたことである。千田雨根彦の交渉もあって完全な支配を受けないギリギリの状態に留まっているが…。やはり鍵となるのは『団子』部隊となる。如何にして賈国王の首を獲るか。

この会談を見届けると、その日のうちに百千武主実、佐々仍利、鵜照、鷹照は陣営を抜け出した。『団子』部隊が動き出したのである。前述したように『団子』は隠語。あくまでも秘密裏に活動することとなる。まずは富田真臣(とみたまおみ)との合流地点を目指した。


その頃、富田真臣が属する中央軍には播磨宇鹿軍が迫っていた。播磨宇鹿とは氷川の丘で合流した新参武将。もともと氷川付近の土着の武将であり、長年に亘り土地を守り続けてきた歴戦の武将である。氷川祭祀以降は佐祁間に従って多くの戦果を残し、今では海万部と並ぶ片腕となっている。

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