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FUDO-KI《考察3》

今回も『FUDO-KI』の世界を中心とした、歴史考察をお届けしていきます。あくまでも個人的な考察、エンタメとしての考察となります。『FUDO-KI』は吉備津彦伝を基にした『桃太郎』話です。

かつて倭や大和そして日本は、「わ」や「やまと」「にほん」などと呼ばれていました。その分別や分岐点は今も論議されています。その変遷についての考察は次の回で。
今回は『ヤマト王権』に絞り、その信仰について考察していきます。


①古代の信仰

古代にはたくさんの信仰がありました。アニミズム(自然信仰・八百万神信仰)という全てのものを崇敬する考えが基礎となっています。つまり色々な神様を受け入れる土壌があったこともあり、後発の信仰にも寛容だったと言えるのです。まずは、どの様な信仰があったのかを簡単に紹介していきます。

(1)太陽信仰

太陽の恵みがなくては生きていけません。信仰の対象になることは容易に想像できますね。古来より春分や秋分を大切にする風習が多くあり、それを知るため太陽の位置を計測していたようです。

(2)月信仰

稲作は季節変化が密接に関わります。月の満ち欠けや位置を把握することにより、暦として季節を把握していました。古代の夜は真っ暗です。月はその神秘性とともに信仰されていたのです。

(3)北極星信仰

航海をする人々は星の位置を目印にしていました。その中心にあるのが北極星です。驚くほどの知識を誇る古代の天文学は、北極星信仰から発展したのかもしれませんね。

(4)海洋信仰

貝塚などが多く発見されているように、海漁は古くから営まれてきました。漁の成果は生活に関わると共に、海は死をももたらす恐ろしい場所です。海を敬い、時には贄を捧げるなどの行為は必然的に信仰となりました。

(5)山岳信仰

山も海と同じく死をももたらす恐ろしい場所です。古来より神聖な場所として、山へ入るのを拒んできました。また火山への畏怖の念もあったことでしょう。山のご機嫌を損ねないよう祈りを捧げたようです。

(6)龍蛇信仰

今までとは違い生き物の信仰ですね。脱皮が生まれ変わりを表しているとも言われます。世界には何故か龍蛇への信仰が多く、共通性が見られています。

(7)塞ノ神信仰

アラハバキ神、クナト神、ミシャグジ神など日本には古来からの神が存在しています。いまだに多くは解明されていません。一部にその痕跡を残していますが不明点も多いのです。

(8)磐座信仰

山中に巨石を祀り、時には環状列石など意図した配置をしています。神社がある場所には磐座があることも多く、繋がりが示唆されています。磐座が神の拠代とも考えられていたようです。


②ヤマト王権の信仰

一般的に『ヤマト王権』とは神武天皇以前に連合国家を形成した時代を指します。しかし神武天皇即位からとする説や崇神天皇即位からとする説もあります。
自然祭祀から、祭祀者自身が権力を持ち始めた時代であり政治とも密接になっていく時代です。

[考察]
ヤマト王権と言えば近畿地方を想像されると思いますが、今回は宇佐神宮について記載します。三輪山祭祀や、場所が変わる伊勢神宮、宮中から出された三種の神器などありますが、ヤマト王権の祭祀を紐解くには宇佐神宮がキーとなると捉えています。


③宇佐神宮

大分県に鎮座する宇佐神宮。全国最多で約40000社ある八幡宮の総本山です。伊勢神宮と共に二所宗廟とされ皇室から崇敬されていました。御祭神は八幡大神、比売大神、神功皇后の三柱です。元宮は矢幡八幡宮や薦神社、大元神社と言われています。宇佐神宮には幾つかの謎があります。

(1)成り立ちの謎

八幡は元来「やはた」と呼び、神仏習合の際に八幡大菩薩と習合し「はちまん」と呼ばれるようになりました。
御由緒は幾つかの説があります。
 ・宇佐嶋の御許山に宗像三女神が降り立った
 ・御許山に八幡神が降り立った
 ・菱形池に応神天皇が顕現した
それを祀ったのが宇佐氏、辛嶋氏、大神氏です。


[考察]
地名の宇佐は古くからあり、宇佐氏が土着の勢力であることがうかがえます。宇佐氏は「因幡の白兎」の兎という説がありますが、その話は別の機会に。
御許山は古くから磐座信仰の場でした。そこに辛嶋氏や大神氏が入り込みます。元宮が複数あることから、別々だった信仰が集まったと考察します。
ヤマト王権成立に当たり、首都へ人が集まります。そこに国によって違った信仰も集められ、人々の拠り所になったと思うのです。

(2)御祭神の謎


御祭神は八幡神こと応神天皇、比売大神こと宗像三女神、神功皇后の三柱です。中央に祀られているのは比売大神。ここに謎があります。中央が主祭神とされる八幡大神ではないのです。

[考察]
元の御祭神は御許山の磐座神だったでしょう。そこに『宗像三女神』が習合します。これが比売大神の正体であると考察します。比売大神が磐座のある宇佐嶋の御許山に降り立ったとの記述がそれを表していますね。
更に矢幡八幡神社の『ヤハタ神』が遷座して二柱となります。前述したようにヤマト王権成立によって集まってきたのです。その後『ヤハタ神』の信仰が広まり神社の呼び名となります。しかし主祭神ではないので端に鎮座しているのです。
さらに時代が進み、地域で貢献があり人気だった神功皇后が祀られ三柱となります。宇佐では宮司の権力争いも熾烈であり、辛嶋氏が衰退したタイミングで主祭神が応神天皇とすり替わったと考察します。

(3)二所宗廟の謎

二所宗廟とは時の皇室が重んじた2つの神社を指します。伊勢神宮と宇佐神宮です。宇佐神宮に至っては皇位継承の判断を行うこともありました。格式の高さがうかがえますね。しかし、なぜそれほどの権力を持ったのでしょう。


[考察]
宇佐神宮にあったとされる「宇佐宮」。かつてはヤマト王権の首都だったと考察します。神武天皇や祟神天皇の東征の際、全ての戦力を持って遠征したのでしょうか?故郷を全て捨てて行ったとは考え辛いのです。それであれば祖都として残し、その後も「宇佐宮」に相談するとこに納得がいくのです。


(4)卑弥呼との関係

宇佐神宮に祀られる比売大神は卑弥呼だったという説が語られます。ヒメメコとも呼ばれておりヒミコに発音が近いと言われています。魏誌倭人伝における邪馬台国の位置も宇佐との説があるようです。


[考察]
ヤマト王権は2人の王、政治王と祭祀王がいました。ともに『まつり』と読めますね。ヤマト王権下では神様だけでなく、神様の言葉を代弁する祭祀者を敬ってきました。次第にその権力は強まっていったのです。祭祀者の権力は他国より顕著だと考察します。
なお、ここに祀られている比売大神はもっと古い時代の神であり、卑弥呼ではないと推察します。しかし祟神天皇時代には卑弥呼がいたことでしょう。

(5)八幡大神の正体

[考察]
辛嶋氏が朝鮮半島から連れてきた『ヤハタ神』。その『ヤハタ神』こそ『ヤハウェ』ではないでしょうか。
発音が似ていることもありますが、宇佐神宮は御神輿発祥の地とも言われています。御神輿は古代ユダヤの聖櫃アークと類似しているのです。『ヤハタ神』は大陸から朝鮮半島を経てやってきたのです。
天之御中主神や秦氏についても『ヤハウェ』説がありますが、何度か伝わったのかも知れませんね。
一神教の神が、三柱で祀られているはずがないとの意見があると思いますが、時の権力の仕業ではないでしょうか。


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