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「標準化」から「カスタム化」への転換(2/5)

工業時代の学校においては「標準化」がすべてです。同じ年代の子どもたちが、同じクラスで、同じ内容を、同じ時間に、同じペースで、同じ方法で学んでいます。子どもたちの興味関心や能力が違うにも関わらず、「標準化」されたシステムのもと、「標準化」された学びが「標準時数」という枠の中で続けられています。そこには「カスタム化」はまったくと言っていいほど見られません。果たしてそれでいいのでしょうか。

年間の学習内容を知り、その月の学習課題が分かるようになると、子どもたちの学びに対する主体性は日に日に高まっていきます。やがて子どもたちは自然と「今週の家庭学習の計画を立てること」の必要性を感じるようになっていきました。一部の子は年間の一覧表に細かい字で毎週の学習予定を書き込むようになっていきました。

子どもたちの主体性がある程度育ってきたことを確信した私は、その頃に思い切った決断をしました。「今後は一律の宿題を出さないことを宣言し、家庭学習は自分で計画して自分のペースで進めること」を奨励したのです。その決断は子どもたちの学びを「標準化」から「カスタム化」 へと大きく舵を切るきっかけとなりました。

「宿題を無しにする」と伝えたときの子どもたちの目の輝きは忘れることができません。子どもたちが「宿題」というものに対して、いかにネガティブな印象をもっているかを改めて実感させられました。私たちは「宿題」があるのが当たり前の学校文化の中で、 その功罪について思考停止になっているのかもしれません。

そもそも、興味関心も学力の現状も異なる子どもたち全員に一律に同じ内容の「宿題」を出し、子どもたちに単純作業の繰り返しを求めていること自体が「工業時代」の思考そのものなのです。

「そうは言っても、宿題を無しにしてしまったら、子どもはサボるに違いない」と思われるかもしれませんが、ほとんどの場合、長い目で見るとそれとは逆のことが起こります

ある児童は2学期中に年間の算数のドリル学習を修了させ、3学期からは次の学年の参考書を自ら購入し予習を始めました。また、ある児童は読解の課題に集中して取り組み、1学期中にその学年の読解ドリルの予習を全て終わらせ、夏休み以降は次の学年の内容に取り組みました。また、漢字が苦手だったある児童は毎日漢字50問のプリント数枚に夢中になって取り組みはじめ、全てのテストで満点をとるまでになりました。

中にはサボってしまう場合もありましたが、そこは金曜日に行われる振り返りとフィードバックが力を発揮します。毎週金曜日にその週の課題の達成状況を個別でフィードバッ クする時間を作ったのです。子供たちはもし自分がサボってしまっていても、その事実に金曜日には向き合わなくてはいけなくなるのを知っているので、サボってしまう癖も日を追うごと、月を追うごとに解消されていくことになっていきました。

その過程は、「やらなくてはいけないもの」「叱られたくないからしょうがなくやるもの」だった「宿題」が、自分のために自分で計画して取り組むべき学習へと昇華されていく過程に他なりませんでした。

このように、学習計画を立て、振り返りを書き、そこに担任がフィードバックを与える活動は、学習の主体者は紛れもなく子どもたち自身であることを確認し強化する取り組みに他なりませんでした。これを一年間継続することで、主体的な学び手が育っていったの です。

子どもたちは毎週金曜日にその週の学習を振り返り、終わっていない課題に取り組み、 次の週の計画を立ててから下校するようにしました。金曜日に立てた次の週の計画をコ ピーして保護者に配布することで、学習者、教師、保護者の三者で子どもたちの学習の計画を共有することができるようになりました。
また、教室のボードには子どもたちの「今週の課題」を掲示し、常に計画に立ち返ることができる環境を整えました。

【事例】「家庭学習に全く取り組まないS君」
S君は3年生になった当初から学習に対する集中力が皆無で、家庭学習に取り組む習慣は全く身に付いておらず、授業中の集中は5分間が限界でした。厳しい口調で集中を促せばしばらくは課題に取り組むことができるのですが、それを維持するためには教師が彼の隣に立ち、集中を促し続ける必要がありました。 そこで、私は一週間の課題を一緒に設定し、金曜日に丁寧に振り返りを行い、「できていないこと」に対しての改善策を一緒に考えるとことにしました。最初の一か月は、 毎週金曜日になると、全く進んでいない課題を目の前に、「どうして課題ができなかったか説明できる?」という私の問いかけを叱責と受け止め、心を閉ざし泣き続けている S君がいました。
しかし、その取り組みを粘り強く繰り返していくことで、少しずつ変化が起こり始めました。それまで全く取り組まなかった課題に少しずつ取り組む日が増え始め、とうとう課題を達成する週がやってきたのです。その週の金曜日の振り返りでS君は満面の笑 みを浮かべながら「課題が終わると気持ちがいい。なんかスッキリする。」と自分の口で今までで最高の振り返りをしました。
そして、その後はみるみると成長していきました。課題を達成できる週が増え、達成できない週も「ちょっとサボり過ぎた」と自分の取り組みを自ら振り返り、改善する方向へと舵を切るようになったのです。さらに不思議なことが起こります。S君はその後、5分しか集中できなかった算数や国語の授業中も集中して学習に取り組むようになり、今では45分間集中して学び続けることができるようになったのです。まさに主体的な学び手として大きな成長を遂げたのです。

「カスタム化」は「標準化」よりも複雑なシステムです。「カスタム化」を進めれば、 30人学級では30通りの学びが生まれることになるからです。全員を一律に「標準化」 する方がシンプルでわかりやすいことは明らかです。ましてや全ての教科の全ての学びを 「カスタム化」するとなるとその複雑さは想像を絶するものがあるように感じてしまうで しょう。

私はいずれ全ての教科(教科という概念は薄まっていくはずですが)の全ての学びがカスタム化されるべきだと考えています。しかし一気にその変化を起こすのは現実的ではありません(いずれは完全なカスタム化を成し遂げるべきですが)。その最初の一歩として「宿題」をカスタム化することから始めるのが現実的だと考えます。時数や指導要領という「標準化」に縛られた分野よりも自由度が高いからです。

つづく…

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