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「従順であること」から「主体的であること」への転換(1/5)

工業時代において、「従順であること」は重要事項でした。学校においても「学習規律」という名のもとに「静かに着席すること」「教師の話を黙って聞くこと」「指示通りに行動すること」等が「隠れたカリキュラム(hidden curriculum)」として教育現場のあらゆる場面で繰り返され、強化されています。

現在日本の多くの学校では、教師はその時間の「めあて」を黒板に板書します。子どもたちはその内容をノートに写しながらその時間の「めあて」を知ります。そして、教師の指示のもと、テキストの内容の読み取りやテキストの指示通りの作業が始まります。

工業時代の学校では、その時間の学習が全体のどの辺りにあたるのか、それを理解すること(できるようになること)にどのような意味があるのか、その先どのような学習につながっていくのかは重視されていません。また、子どもたち自身が途中で気になることがあったとしても、興味関心がどのように広がったとしても、あらかじめ決められた学習から離れて学びを広げていく自由はあまり認められていません。建前では「主体的な子どもを育成する」 と言いながら、工業時代のシステムが「真に主体的に学ぶ子どもの育成」を阻害している一面があるのです。

そのような工業時代のシステムのもとで、子どもたちは一年間を通して何文字の漢字を学び、算数ではいくつの単元を学び、理科や社会ではどのような内容を学び、国語ではどんな物語を読み、どんな内容の作文を書くのか等々、年間で学ぶ学習内容を知らされているでしょうか。言い換えるなら、子どもたちは「学びの全体像」をつかんでいるでしょうか。残念ながら学習の年間計画は教師だけが知っていて、子どもたちはそれを毎日少しずつ小出しにされながら学んでいる現状があります。

それは言わば目的地を知らされずに毎日黙々と歩かされるような行為に他なりません。 私は多くの学校で起きている状況は、教師が先頭に立って「そんなに先のことは考えなくていいです。黙って私についてくれば大丈夫です。今日はここを歩きます。しっかり歩いてください。さぼったり、ふざけたりする子には注意をします。」というものに近いと考えています。そのような状況の中で、果たして楽しく主体的に歩く子は育つでしょうか。目的をもって学ぶ子が育つでしょうか。

私は「目的地は〇〇です。そこに行けば、こんないいことがあります。そこに行く過程でこのような力が身につきます。到着の時期は△△です。では、今週はどれくらい歩けばいいでしょうか。一緒に考えて計画を立てよう。」というスタンスで子どもたちと接した方がいいのではないかと考え始めました。工業時代の思考である「従順であること」よりも「主体的であること」を育てるための最初の変化を起こすことを目指したのです。

以前の私は「子供たちに年間計画を伝えたところで意味がない」「そもそも子供たちが 一年間も先を見通して学べるわけがないし、その必要もない」と考えていました。

しかし、結論から言うと、事前に学ぶ内容を伝えるようになってから、明らかに子供たちの学習に対する計画性や主体性が増していくことになります。そして、子どもたちは 「年間に学ぶ膨大な学習内容やその学びがどこにつながっていくかを知っているからこそ、今週の学習や今日の学習に対する取り組みに意味を見いだせる」といった内容を語るようにもなったのです。

子どもたちに先を見通して学ぶための取り組みとして、私は試しに3年生の二学期の算数と国語のドリルの学習を一覧にして示してみることにしました。主に宿題として子どもたちに課していた課題です。

これは、2学期に行う予定の1~5の学習をB4版の一覧表として作成し、終わったら色を塗っていくという単純明快なプリントに過ぎません。しかし、この単純なプリントの効果が抜群でした。私はこのプリントを配布し、「12月の終業式までにこの学習を全て終わらせる必要があること」「自分のペースで進んでいいこと」「これができるようになると、次の学年に向けて学習が積みあがっていくこと」を丁寧に説明しました。

すると、それまで「やらされ感」に満ちていた数人の児童を含むクラスの全員が主体的にドリル学習に取り組み始めることになったのです。「12月までに全部を終わらせなくてはいけないから、今週はここまでやろう」と自ら計画を立て始める子まで現れました。

そこで次に取り組んだのは、年間の基礎的な学習内容全てを年度当初に子どもたちに可視化することです。いわば一年間の「学びのロードマップ」を児童に分かりやすく示すことにしたのです。

子どもたちは、常に今行っている学習が年間の学びのどの部分にあたり、どの学習につながっていくのか、そして、今までに終わらせた学習量が年間の学習のどの程度なのかを知ることになりました。課題が終わるたびに子どもたちは思い思いのシールを貼っていきます。そして毎週金曜日にはその週で一番がんばった学習の成果物(プリントやテスト 等)をポートフォリオとしてファイルに蓄積していくことにしました。

それらは、子どもたちが学習に対して見通しをもち、主体的に学びを進めるための効果的なツールとなりました。

「歩く目的」と「目的地」を知った子どもたちは自らゴールを思い描き、自らのペースを調整しながら主体的に歩き始めます。教師が「黙って私についてらっしゃい」というス タンスでいたのでは決して起こりえない驚くべき行動をとり始める子もいます。

【事例】主体的に漢字を学び始めたS君  
もともと漢字の学習が大好きなS君は、一日2文字しか進めない学習にストレスを感じていました。ところが小学校3年生の4月に一年間で学ぶ漢字を全て見通したことで、「先生、漢字の勉強をどんどん進めていい?」と言い始めます。書き順をしっかり覚える方法や漢字の細かい部分に気をつけながら学ぶためのスキルを事前に丁寧に伝え、彼のペースで学ぶことをとことん応援することにしました。
すると、わずか2か月で3年生の漢字の学習を終わらせ、6月の終わりころから自主的に漢字検定の学習を開始しはじめました。そして、夏休みに漢字検定8級(小3程度)に見事合格したのです。その後も彼の自主的な学びは続き、小学校3年生の冬には 検事検定7級(小4程度)に合格、小学校卒業までに漢字検定3級に合格するのが彼の目標になりました。

  主体的に家庭学習に取り組むようになると、保護者からも次のような驚きの声が上がり始めました。「先生が宿題を無しにして、1~2週間まったく家で勉強しなくなり、心配していました。でも、先生に言われたようにガミガミ言わずに見守っていました。すると、ある日突然火が付いたように漢字の練習をするようになり、今では勉強しろということが全くなくなりました。先生、一体どうなっているのですか」というものです。こういった声が多くの家庭から寄せられるようになるのです。

  子どもたちにとって「しょうがなくやるもの」「怒られたくないからやるもの」「理由はわからないけどやらなければいけないもの」だった宿題が、「自分のためにやるもの」「年間計画を考えて今週はこのくらいやるべきもの」へと変化していったのでしょう。  私は子どもたちに「学びの全体像」をつかませることが、主体的な学びの実現に向けた 大きな突破口になることを実感しました。

 このように主体的な学びの突破口を開く可能性は日常の教育活動のいたるところに隠れています。工業時代の学校では「従順であること」を強化する仕組みが様々なところに張り巡らされているからです。我々が情報時代の学校を目指す上での最初の一歩は、学校のいたるところに「隠れたカリキュラム」として存在する「従順であること」という視点で書かれたプログラムを「主体的であること」という視点で書き換えていく作業なのです。

 この「従順であること」という視点で書かれたプログラムは教育のシステムだけでなく、日々子どもと最前線で接する教員のメンタリティとしても深く浸透しています。言わ ば、「従順であること」は学校においてあるべき「子ども像」(隠れた子ども像とでもいいましょうか)として定着しているのです。この事実が工業時代の学校の変革を難しいものにしています。学校では子どもたちから「従順さ」が見えなくなり始めると、本能的に 「規律」を強化し、「従順さ」を取り戻すための指令が発動するようになっています。現場で「主体的であること」を目指した様々な取り組みを行う若い教員を、「従順であること」を大切にする伝統的な教育を行うベテラン教員がたしなめるといった場面がよく見られます。

 では、どうしたら最初の一歩とも言うべき「従順さ」から「主体性」への転換を成し遂げることができるのでしょうか。私は、子どもたちが「主体性」を発揮し生き生きと学び始める姿のもつ説得力こそが転換への突破口になると考えています。  子どもたちが本当の意味で「主体性」を発揮し始めれば、「従順さ」なんてものがなくても学びの質は驚くほど高まっていくし、その姿には万人が認めざるを得ない説得力があ るからです。その高まり方は、教師の指示のもと従順に学んでいた時をはるかに凌駕することは間違いありません。

つづく…

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