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学びについて、改めて考えた1月

2024年10月から放送大学で学び始め、先日、学期末の単位認定試験を受け終わりました。今はホッと一息ついているところ。
でももう今月中には、4月から始まる学期の履修登録をしなくてはなりません。

届いて間もないシラバスを見ながら「4~5月は仕事が忙しいから、科目数減らさないと無理かな」「でも受けてみたい科目にチェック入れていったら20科目ほどあるけど、どーすんだ?コレ…」などと考えつつ日々過ごしています。


面接授業も受けてみたいけど
仕事の都合で無理そう…


さて、今回の単位認定試験を受けるにあたり、わたしなりにいろいろ考えました。
今やっている「学び」は、ちゃんと自分に合っているのだろうか?と。



哲学を学んでみたかった

この1年ほど哲学への関心が高まってきて「哲学をちゃんと学んでみたい」という気持ちが強くなり、地方在住という事情もあって学びの形態として通信制(放送大学)を選びました。ほかにも歴史や日本語など、もともと興味があって過去に学んでいた分野の科目も履修しましたが、そもそも「学び直し」を始めたきっかけは、哲学への興味でした。


でも、でもなんですよ!
恥ずかしながら、その哲学の授業があまりにも理解できないんです…

1月上旬に全科目の授業の受講を完了してから試験が始まるまでの10日間ほどの間、ほかの科目はほっぽって哲学のテキストを読み直したりノートのまとめ直しをしたりしていましたが、それでも一向に理解が進まないのです。

「どうしよう、理解できる気がしない…」と正直、途方に暮れました。

もともと自分で哲学の入門書籍を買って読んでみて理解ができなかったので、放送大学での学びを選択したわけなのですが、結局学び始める前と同じところに戻ってきてしまいました。

やっぱりわたしは根本的に哲学が向いてないのかもしれない…


そもそもテキストに書かれている文章が難解すぎて理解ができないのです。というか、日本語として違和感があるから脳が理解を拒む。決して筆者の文章が下手とか、そういうことではありません。わたし個人の見解ですが、西洋哲学は西洋の言語で論じられ、研究されてきたものなので、その論理や概念を日本語にあてはめると、なんだか「無理した日本語」のようになってしまうような気がするのです。

書かれている日本語がまず理解できていないのだから、その思想が理解できるはずもなく、、、

なので、試験を受けるべきじゃないのかもしれないと悩みました。

これが現役の学生時代であれば、「理解できていなくても試験はダメもとで受けとく」の一択です。たとえC判定であったとしても単位が取れれば儲けもんの精神。卒業のためには何よりも単位が必要ですから。

でも今、わたしがやっている学びは違います。
単位は別に必要ではないのです。(必要じゃないと言ってしまうと語弊がありそうですが)卒業どうこうには無縁の科目履修生だし、何かの資格取得のために受講しているというわけでもない。

ただ自分の知識を深めたい、新しいことを知って理解し、考え方を身に着けたいということだけです。

だから理解が深まっていない科目は、試験を受ける意味がないのではないか。そう思って迷っていたのですが、結局迷いながらも受験しました。 

その結果、撃沈…

選択問題はテキストやノートを見ながらどうにか解答することができましたが(※放送大学の試験は、テキストや自分のノートなどの参照はOK)、最後の記述問題はいっこうに書く内容がまとまらず、着地点も見つからず、あえなくタイムオーバーで強制終了。

ああ、やっぱり無理だった…とちょっと凹みました。
時間をかけたところで理解できそうもないし、もうここらが潮時なんじゃないかとも思いました。学び始めて3ヶ月しか経ってないんですけどね(笑)

でも、『ソクラテスの弁明/クリトン』(プラトン著)は読んで素直におもしろいと感じたし、倫理学系の本の中には考え方が変わるきっかけになったようなものもあります。

対話篇は初心者にも読みやすい


“哲学“と一口に言ってもその裾野は果てしなく広い。その広い広い世界の中には、わたしでは到底理解できないようなものもあれば、「おもしろい」と感じるものものもあり、それは実際に触れてみなければわからない。だったら、自分がおもしろいと感じるものをもっと読んで、そこの領域を開拓していった方がいいんじゃないか?


そう思うと、「どうせわたしなんて…」という劣等感で凝り固まった心が、少し軽くなりました。

ちょっとだけ、雲間から青空が見えた
ような心境


というわけで、次学期は哲学の授業の受講は見送ろうと思います。しばらくは読み物としての哲学を、自分なりに楽しんでみよう。

以上が、1学期間授業を受けてみて、自分なりに考えたりもがいたり自己嫌悪に陥ったりしながらたどり着いた一つの答えです。


学び始める以前の「きっとわたしは哲学なんて向いてないだろうな」と思っていた時期とは、同じようなのですが、違っています。
学んでみてダメだと分かった、別のアプローチを探そうと思えた。だからこの3ヶ月間の取り組みはわたしにとってはきっと無駄ではなかったのだと思います。



さて、次に向けて。
哲学はいったん見送るとして、じゃあ何の科目を履修しよう?歴史と日本語は継続して学びたい。和歌の授業も気になるし、宮沢賢治と天文学をからめた授業にも興味津々。哲学の代わりではないけれど、心理学や思考法にも興味がある。

まだ見ぬ学びの世界が、眼前には広がっています。


仕事終わりの夕焼け
空がきれいだと前向きになれる


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