ずっと抱いていた【妊活】という言葉の違和感
妊娠するために行動を起こそうと思ったとき、【妊活】という言葉は、まだまだ今ほど使うことのハードルは低くありませんでしたが、社会的には認知されていたので、比較的使いやすいと感じていました。
でも、友だちや家族、それ以外の方へ「不妊治療をしている」と話すことはあっても、「妊活している!」と話したことは、一度もありません。
治療がなかなか上手く行かないことが重なり、時間もそれなりに過ぎてしまうと、【妊活】という言葉のラフな感じが、逆に「そんなに簡単な言葉で語れない」と思うようになりました。
10年を超える不妊治療を終えたとき、【妊活】という言葉に抵抗すら感じるようになっていました。
頑張っても頑張っても、結果はついてこない。誰かから認められて「頑張ってるよね!」と言葉をかけられることもない。ただ、ただ、自分にプレッシャーをかけ、新しく誕生する命を楽しみに待てない状況に、更に自分にもっと頑張らないといけないノルマを課してしまったりもしていたように思います。
治療から離れて3年半が経ち、【赤ちゃんに会えることをもっと楽しみに待つこと】が出来たなら、【今】不妊治療と向き合ってきた時間の捉え方も変わっていたのかな?と思うことがあります。
そんな不妊治療にどっぷり浸かりきり、生活が不妊治療最優先で、不妊に良いと言われることを頑張って、言い方を変えれば、自分を犠牲にしてきたこと、家族を犠牲にしてきたこと、それでも新たな命に会えることに希望を持って過ごした時間を超えて、やっぱり【妊活】という言葉のカジュアルさが、私には受け入れられないということに気づきました。
もし、授かることが出来ていたなら【妊活】という言葉は、今と違う印象で私の中に存在したことでしょう。
不妊ピア・カウンセラーとして、不妊カウンセラーとして、当事者サポートをしていこうと決めたとき、やっぱり私の中で引っかかったのは【妊活】という言葉でした。
私の中のこだわりとして【妊活】という言葉は使いたくない。
だけど、サポートの場で【妊活】以外の社会的に広く認知されている言葉が見つからない。
自分でも「これだ!」という言葉が浮かばない。
そうこうしているうちに3年が経ち、屋号に【妊活】を入れたまま活動をしていました。
不妊ピア・カウンセラーとして当事者支援をしようと思った矢先の難病診断で、奇しくも【不妊治療】で感じていた様々な出来事や想いが【難病治療】でも繰り返されました。
同病の患者さん、全く違う疾患の患者さんたちと交流が出来てくる中で、抱える状況や想いが【不妊】と変わらないことにも【やりきれなさ】を感じてしまいました。
【不妊】だけではなく、まさに今たたかっている病の経験の中で【難病】患者さんへも当事者(ピア)としてサポートしていこうと決めたとき、屋号の【妊活】は邪魔なものでしかなくなりました。
そして今年早々に【愛媛ぴあさぽルーム ホッtoこころ】へと名称を変更しました。
だけど、【妊活】という言葉は、社会的認知度があるため、使わないという選択は難しい。違和感を抱きながら使い続けていくことも、心に引っかかりを持ちながら抵抗を感じながら、それでも折り合いをつけて使わざるを得ない言葉になっていました。
昨日・・・何気に頭の中に突然うかんだ言葉。深く考えていたわけでもなく、すーっと浮かんだ言葉。それが【授活】でした。
授かるための活動
その言葉にやっと自分の居場所を見つけた感じがしました。
【授かるための活動】は、【子ども】だけを指しているものではありません。
想いだったり、経験だったり、学びだったり、健康だったり・・・ちょっといやらしいかもしれませんが、お金だったり地位だったり、様々な【授かる】ことは、人それぞれに違ってくると思います。
子どもを授かるために頑張っている。
その形は様々です。
病気が良くなり、やりたいことを見つけたい。
何を授かるかは違っても、それぞれの【授かりたい】が叶いますように!という願いもあります。
どなたかが既に使われている言葉かもしれませんが、私としては【妊活】ではなく【授活】を使っていきます。
妊娠するための活動ではなく、授かり育てることにつなげる活動、授かれなくても子どもではない【それぞれの授かりもの】に出会うための活動。
わたしが【授活】により授かったものは【子ども】ではなく【ピアとして当事者支援をしていきたい】という強い想いでした。
たくさんの方の未来。
笑顔の花咲くそれぞれの人生に、それぞれの授かりものが訪れますように。