『主戦場』(監督:ミキ・デザキ氏、2018年)を観てChatGPTと語りあいました。
『主戦場』は慰安婦問題を題材に、様々な主張を取り上げながら過去のニュース映像や新聞記事の分析、あるいは歴史家などへのインタビューを通してその内容を検証していくドキュメンタリー映画です。出演者の一部は映画が一般に公開されたことが取材時の合意に反しているとして訴訟を起こしましたが、2022年9月28日に知的財産高等裁判所は出演者らの控訴を棄却し、監督側が全面的に勝訴しています。
歴史認識はどうすれば共有できる?
(問)映画『主戦場』を観ました。いわゆる保守派の考えがいかに欺瞞に満ちているかが明らかになる描かれ方がされていたと思います。また、いわゆる保守派がなぜそのような思考に染まっているのかについて、もともと保守団体のメンバーだった女性による指摘がそれを解くカギのように描かれていました。彼女はもともと南京大虐殺を否定していましたが、それが事実だったと信じるに足る証拠を示されたため考えを変えたという趣旨の発言をしました。共通の歴史的真実を築くには、その根拠を丁寧に示すことで十分でしょうか。
(問)なるほど、正論だと思います。そしておそらく多くの人が誠実な対話や相互理解が必要なことを知っています。にもかかわらず、そうなっていません。たとえばSNS上では誠実な対話など成り立たず、むしろ差別的な主張が過激化しています。なぜでしょうか。
SNS時代の共通認識について
(問)たしかに、匿名であることで人は自己を認識されるという抑圧から自由になり、欲望のままにふるまいますよね。その点では、抑圧が一定程度あることが欲望を自制する、つまり他者への気遣いを持つことに繋がりますか。
(問)すると、相互に他者を認識しているという状況であれば、共通認識をより得やすくなるといえますか。
つまり、その匿名性ゆえにSNS上では人は他者から認識されるという抑圧から解放されていますが、そのような抑圧がある環境、言い換えれば他者との共生が求められる環境においては相互理解をした方が個人にとって有益だということですね。
差別思想と共生できる?
(問)映画『主戦場』は一方が他方の欺瞞を暴き、その差別的な表現に向けた批判が様々な分析をもとに為されているのですが、非匿名的な環境においても差別的な攻撃が存在しています。なぜでしょうか。
(問)差別主義的な思想との共生は可能でしょうか。あるいは、差別思想は排除されるべきですか。
(問)つまり、社会的に差別が許されないという環境をつくり、そのもとで共生するという抑圧の原理が差別の廃絶に向けて有効といえますか。
(問)映画『主戦場』は差別的な思想を批判する内容だったと思います。このような映画が社会的に力を持つこともまた、差別思想の根絶に向けた一歩と言えますね。
おわりに
(問)あなたはリベラルな考えをお持ちですね。ポリティカル・コレクトネスへの批判もありますが、どのようにお考えですか?
以上でChatGPTとの語らいを終わりにしました。個人的にChatGPTは正論ばかり繰り出してくる印象を受けました。大量のテキストデータを学習させたAIがそのような反応をするということは、世の中は正論のテキストで溢れているのかもしれません。また、差別的な表現を許さないと考えるのは今日的にはリベラルと呼ばれるのかと思いますが、AI的にはそれがリベラルというわけではなさそうです。
ところで、他者との共生には「自分を認識される」ということが前提にされているため、それはある程度の抑圧を条件としているといえると思いますが、この抑圧に耐えられないことも人にはありますよね。ChatGPTはこれになんと答えるでしょうか。