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初めに、現在も感染拡大を続けている新型コロナウイルス。

この強大な敵を、皆様と共に戦い乗り越えて行こうと思い恥を忍んで書き始めました。

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2007年8月31日

ボクは東京恵比寿で美容室を出店した。


実はその3年前、2004年7月に Bi:z(ビーズ)という名を冠したヘアサロンを「レンタル」という形で独立出店はしていたのだが、Bi:z はサロン名から内装、不動産契約に至る何から何まで元ある形を変えれなかった。


30代前半、血気盛んだったし見栄もあった。

全部自分でやりたかった。

そして生まれて初めて1000万円以上の借金をしPALETA(パレータ)を創った。


今思えば、事業計画もメチャクチャ(苦笑)サロンコンセプトもそこで何をしたいかも考えず、、、、

ただただ自己満足&承認欲求(笑)の為の出店。

内装やインテリアも、自分のセンスを表現したい!なんて信じていたけど、、実際はセンスのいい人たちの真似っこや雑誌の受け売りで、サロン名:PALETA(パレータ=ポルトガル語でパレット)は「ネーミング辞典」なるもの(あるんです!)を購入しパラパラとめくって名付けるというありさま。。


それでもお金を払うとサロンは完成した。

全ての費用を支払った時、残高がたったの10万円からスタートしたことは一生忘れないであろう。


そこから全て始まったんだ。




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安斉 剛 Anzy(アンジー)「小さなヘアサロンオーナーの大きな挑戦」
貴重なお時間を割いて、ご一読下さりありがとうございました!よろしければ応援頂けますと嬉しいです(T^T)