マントヴァでの経験をイタリアデザインの理解につなげる
先週、マントヴァに旅したが、ルネサンス→マニエリスム→バロックの推移がこんなにも面白いものだったのかと深く感じ入った。
ルネサンス期においてマンテーニャが他の巨匠たち、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロといった画家たちと明らかに異なる特徴を示している。ミラノのブレラ美術館にある「死せるキリスト」は気になっていたが、そう好きなタイプとは言い難かった。ラファエッロがぼくの好みだった。正統派は外せない、と。
かつて中世から近代の絵画のコレクションをまとめて売却するプロジェクトに関わったとき、マンテーニャも属するパドヴァ派の絵画が他の派と比べるといまいち評価が高くないように思われた経験も影響しているのかもしれない。
ドゥカーレ宮殿をまわり、その先入観が完全に崩れた。彼の作品には楽しさがあるのだ。
そして、この空間では別のことも発見した。
ブレラ美術館で展示されている作品を中心に、中世から近代のイタリアの絵画で犬が描かれるのは、子どもか女性と一緒の場合であることが多いと認識していた。しかし、そんなことはなかった。
あっ、ちゃんと幅広い範囲で絵画を見ていなかったのだ。それがマニエリスムからバロックへの流れに対する食わず嫌いを招いたのである。テーマは異なるが、問題のありかは共通している。未体験が偏見をつくり視野を狭めるのだ。
マニエリスムの代表者であるジュリオ・ロマーノが設計したテ宮殿に足を踏み入れると爽快感が漂う。これがマニエリスムなんだ、技巧に走った亜流という評価はどこからきたのか?と思わせる。
トリノに住み始めた当初、トリノにあるバロック様式の建物が多い街に息が詰まると感じたが、半年ほど経過したとき、バロックとは内面から湧き出たもの、という理解をした。そのときから、ぼくはイタリアの魅力の嵌っていった。
そのバロックへのルネサンスからの変遷をマントヴァで経験した。あそこにある絵画の数々は制作当時の空間と共にある。どこかの外国から収奪したものを集めているわけではない。だから、時代の動きが空間と一緒に体感できるのである。
ミラノに戻って翌日、トリエンナーレ美術館のイタリアデザイン史の新しい展示を見に行った。「動き」がテーマとなっており、ファッションとプロダクトデザインの関係も問われている。1970年代のプロダクトデザイナーとファッションデザイナーの交流が1980年以降の新しい世界観を切り拓いていったと考えているぼくにとって、この新しい展示には膝を打った。
「動き」「遊び」が時代を揺るがすのが、マンテーニャをみても、ロマーノをみても、プロダクトとファッションの関係をみても痛感する。ロマーノの世界にピカソの作品が展示され、バロック様式の家具にメンフィスの家具が並ぶ。どちらも正統派とは異なる世界を築いてきたものゆえの力だ。
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冒頭の写真はマンテーニャの自邸にある中庭。結婚の間にあるフレスコ画と同じ世界観を自邸で実現したのである。
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