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「英国やヴェネツィアが、世界にネットワークをつくる理由を島国だからとしたのに対して、日本は島国を孤立する理由とした。それはなぜか?」を考えるヒント。

読書会ノート

ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』第5章 技術革命と技術の遅れー三大技術革新

イスラムが15世紀まで旧世界を支配できたのは古代アラブ人の航海のおかげである。彼らは7-13世紀、スエズ運河を利用することもできた。黄金、象牙、奴隷もアフリカ東海岸で手にいれることができた。だから喜望峰をまわり西アフリカに行く理由がなかった。

一方、中国やイスラムと違って<プロレタリア>であった西ヨーロッパは「世界を必要とした」。資本主義的な都市の発展があり、それが動機(黄金への、世界への、香辛料への飢え)となり、そこに技術が加わり、外洋航海にでた。あえて西ヨーロッパが外洋に出たのは、冒険心が他の地域よりも強かったから、航海技術が他より優れていたから、という理由ではないのだ。

技術を三つみてみよう。

火薬は中国で9世紀に発見され、11世紀には火器があった。最初の大砲は1356年だ。ヨーロッパにおける火薬の発見は中国よりも遅いが、大砲は同じく1300年代だ。ただし本格的な兵器として活用されたのは1400年代前半だ。そして1400年代後半となってヨーロッパの大砲の技術は中国のそれを上回る。

砲撃という戦争の仕方の変化は要塞都市のあり方を変えた。それまで戦争とは城門を巡る戦いだった(鍵を渡す)。だが、砲撃によって従来の石造りの囲壁は容易に崩せるようになってしまった。そこで落下した砲丸がのめりこむような、分厚く土盛りした囲壁が築かれるようになったのである。

大砲が艦船に装備されたのは1300年代前半であるが、1300年代後半から1400年代前半に普及した。1500年代になって海賊船が増えたことで、軍艦と商船の区別をつけることがなくなった。同時に船の小型化と武装の改善によって、圧倒的な機動力が発揮できるようになった。世界の7つの海をイギリスとオランダが制したのは、小・中型船の性能向上の恩恵である。

産業革命以前、兵器は小さな作業場で作られるに過ぎなかったが、軍事費は莫大だった。1500年代、ヴェネツィア市の歳入を超える額の金額が火薬にかかっていたとの数字が残っている。

活字の発見の前に紙が羊皮紙に代わったことに注目すべきだ。コスト減と12世紀以降のヨーロッパにおける大学の創設もあり、写本が急激に増えた。それに紙は絶好の材料だった。15世紀のグーテンベルクを活字の発見者として祭り上げるのは不正確で、それ以前に各地で印刷術はそれぞれに発達していたとするのが正しい。かつ18世紀まで印刷術の大きな発展はなく、金銀細工師の仕事であり続けた。

印刷はコストがかかり費用にも回収がかかる。それゆえに金貸しに縛られ、やがて金貸しが印刷物の配給網の支配者となった。西ヨーロッパで書物は権力を振るう手段であり、思想の流れが速まった。宗教や人文学の書物が優先され、科学は後回しになった。16世紀末ー17世紀初めの近代数学の進展が緩慢だったのは、この理由によるだろう。

そして、冒頭に述べた航海技術が三つ目である。

<わかったこと>

恩師に次のようなことを言われたことがある。

「英国やヴェネツィアが世界にネットワークをつくる理由を島国だからとしたのに対して、日本は島国を孤立する理由とした。それはなぜか?」

アラブも含め地中海沿岸の国家が陸から離れる遠洋をせず、大西洋や北海に面した国々の船が遠い先を目指したのは、必要があったのだ。そして必要の背中を押す技術と資金があったとき、世界に飛び出ていった。本章最後にある次のフーレズにすべてがある。

「ヨーロッパはまだ成功しないうちから、早くも自らの真実の相貌を呈するにいたり、そして将来の卓越した地位の約束をとりつけたのであった」

トップの写真:サン・タントワース号の航海

ド・フロンダ殿の指揮のもとで55か月にわたって行われたサン・タントワース号の航海。この探検航海のあとを辿ってみると、これまた、18世紀にはいまだに世界が果てしなく広がっていたことを示すに役立つ。当時のすべての船舶がそうであったように、サン・タントワース号は海上で過ごすよりも長い時間を港湾で過ごしていたのである(パリ国立図書館の資料)。ー111ページ。




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