真の文化はつねに、どんな観点から見ても、正しいフェアプレイを要求している。
ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』第6章 遊びと知識 第11章「遊ビノ相ノモトニ」見た文化と時代の変遷 第12章 現代文化における遊びの要素
競争とは遊びであり、その範囲は広い。神託、賭け、訴訟、謎に加え、知識や学問もその対象になる。宇宙開闢論的な思弁の基礎には遊びの性格があり、それらの説明はもともと祭式の謎からきている。
哲学的思考も例外ではない。知恵の探求者は、原始の初期の人々から後期のソフィストに至るまで、典型的な闘争者の姿をとって現れていたのだ。
チェスの駒を動かすようなイメージがあるなら、それは遊びである。
これらを歴史の事象に適用すると、あらゆるところに遊びの因子を見いだせる。古代ギリシャよりも一見、遊びが少ないと思われるローマ帝国においても、そうだ。「パンと見世物遊びを」との民衆の国家への要求は、生活の基盤となる民衆の聖なる権利を表している。
中世にあった、騎士叙任、封土授与、馬上槍試合、紋章、騎士団と騎士宣誓は原始的なものと結びついており、遊びの因子は力を保ち、創造的に生きているのが見いだせる。
ルネサンスの精神は軽薄さとは遠く離れていた。古代を模倣して生きるのが、この時代の聖なる真面目さであった。造形的創造や知的発明の理想に対する献身には、それまでにはないほどの激しさ、深さ、純粋さがあった。それでいて、ルネサンスの精神態度は全体として遊びのそれだった。
ルネサンスの輝かしさは、すべての空想的・理想的な過去に装いに身をこらした陽気で、壮麗な仮面劇である。
ルネサンスは、とくに2つの遊び的な人生のイメージ、すなわち田園生活と騎上生活というものを高度に具象化し、そこに新たな生命を吹き込んだ。
人文主義も同様だ。真面目な観念を結び付けようとするのが普通だが、彼らは古代的・異教的な形姿を持ち上げ、古典時代の言語によって語ったが、それによってキリスト教的信仰に表現を加えた。そのため信仰がわざとらしさい色合いを帯び、心の底まで真面目に考えているようには見えない性格があった・例えば、エラスムスの『痴愚神礼賛』『逸話集』『談話集』、いずれもそうだ。
(バロック、ロココ、ロマン主義、それぞれの時代からも事例を挙げることができるが、この要約では省略するが、この章が本書の真骨頂とも言えそうである。19世紀におこった真面目の支配を極めて批判的にみている。ホイジンガ執筆当時の現代に踏み込んだとき、彼のこれまでの論がどこに向かっていたのかが明確になる。以下の部分は筆圧を感じる)。
政治は競技の形で遊ばれる文化というものを根源的地盤としており、そのなかにすべての根をしっかりとおろしている。それは友好・敵対関係には基準として価値を認めず(敵とは、自分の一派を妨げ、阻止しようとする異邦人の意味)、また自国民の要求だけを最高の規範として認めることをしないエートスによってのみ、そこから解き放たれ、高まってゆくことができる。
特に下記はそのまま引用しておこう。
<わかったこと>
最後の2章は実にダイナミックだ。
そうか、ホイジンガはここに至るために、延々と多大な知識と解釈が提示されたのか・・・。本書の構想は1903年であったとしても、1930年代後半、ナチス政権を批判するに、自分の体の隅々に通じる感覚を一つ一つ検証していったのではないか、との想いが忍び込んでくる。
そのような解釈を拡大させ過ぎてはいけないのではないか、とも一方で想いながら、彼の生きた状況を軽くみてはいけない。実際、彼はナチスのライデン大学閉鎖の強制に最も強く抵抗し、強制収容所に入れられている。
「すべて遊びなり」という表現を、ホイジンガは「これは一見安っぽい比喩的表現であり、単なる精神の無力を示しているにすぎないように見えよう。だが、これこそ、プラトーンが人間を神々の遊びの具であると読んだときに悟り得た知恵なのである」と書いている。
我田引水的に思われることを百も承知の上で、ホイジンガは遊びというコンセプトで論をはるしかなかった。歴史学者としては「一歩踏み出た」と思われ、自分でもそう意識していたのではないかと推察されているが、やはり、あるところで自らを「拡張する」軌跡をみるのは嬉しい。
ところで、まったく話は違うが、TBS日曜劇場で『ブラックペアン2』というドラマがある。患者に危険なオペを施し、巨額の費用を要求する天城(二宮和也)は、オペの前に患者と賭けをする。患者が賭けにかった場合にのみ、医者は手術をする。運のついてない患者にオペをしても成功率が低いというのだが、当然ながら、同僚からも患者からも風当りが強い。
しかし、これをホイジンガの遊びの論からみると、別の見方ができるかもしれない。
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冒頭の写真は、現在、ミラノのプラダ美術館で開催中のピーノ・パスカーリ(1935-1968)の回顧展の展示作品だ。1960年代、イタリアでおこったアルテポーヴェラの運動に参加した1人だ。それまでアートの材料とはみなされていなかった日常的な材料を使ったのがアルテポーヴェラのアーティストたちだ。
パスカーリの写真にある彫刻は、回顧展の別のスペースでも展示されている。しかし、少しコースのはずれに、彼がよく使った手法―自分の作品と戯れる作家を撮影した写真がある。これが抜群に愉快だ。