食文化(チーズ)の歴史から、米国と欧州の間にある政治的紛糾の要因を探る。
ポール・キンステッド『チーズと文明』のはじめにと第1章
本書の第一の目標はチーズの科学と技術を、チーズの歴史を解釈するなかで捉え直すことだ。外界の変化とそれぞれのチーズの誕生の関係をみると、伝統的なチーズは、同時期にあるその他の伝統的食品とともに周りの文化をも形成してきたのが分かる。そして、伝統的な製品名の使用や安全規制に関する見解の違いが、米国・欧州間の政治的紛糾を招いている。そこで、これらの問題の要因をチーズから探ってみるのである。
チーズ製造に欠かせない、ミルクの豊富な生産、ミルクを保存・凝固できる凝乳(カード)と乳漿(ホェイ=乳から乳脂肪分やカゼインなどを除いた水溶液)を分けるための容器、という2つの前提が三日月地帯(下図)で紀元前7千年を少し過ぎた頃、突如に揃った。
それまで羊とヤギの牧畜が広がっていたが、食用目的だった。おそらく何世代もかけての交配を行って遺伝的変化をおこさせ、ミルク用の家畜に変えた。その痕跡は紀元前6500年頃の西部アナトリア(現在のトルコ)に残っている。人口増加や環境悪化から、草食動物に依存した生活とミルクが必要とされたと考えられる。牧畜の増加が人口移動と牛への移行を促した。
この新石器時代、人間の乳幼児に動物の乳を与え始めのである。成分にあるラクトース(乳糖)を新生児は消化できたが、大人には耐性がなかった。胃腸内に消化酵素であるラクターゼがないと下痢などの症状を引き起こす。紀元前5500年においても、ラクターゼは乳幼児だけで成人になると喪失していた。
上述の通り、紀元前7000-6500年、高温加工の発見が陶器製造を可能にした。これにより、発展した酪農から生じる余剰ミルクを保存できるようになったのだ。そこに、どこにでもあるバクテリアによって発酵されたミルクが凝固した。チーズやバター(カード)の誕生だ。そしてカードはラクトースが少なく、成人においてもミルクのような不適合をおこすことが少ないと分かった。
他方、レンネット(反芻動物の胃の内膜を乾燥させたもので、ミルクを凝固させるのに使用する物質)凝固によるチーズ製造も、新石器時代には行なわれていた可能性が高い。
新石器時代に酪農が定着した契機は、チーズ・バター製造で、結果的に人類の遺伝子的自然淘汰がおこったことによる。例えば、旅する羊飼いがミルクを飲んでいたとの神話は、チーズ・バターの製造がスタートして1000年後を経過していたならば、真実味を帯びることになる。
上図にみるような大規模な移動の一つの先がメソポタミアであり、そこに灌漑農業を中心にした新しい文明をおこすことになる。エジプトのナイル、インダスのハラッパ文明、これらもレバント地方の問題が遠因となっているのである。つまり、この時代、農民はどこに入植しようと、ミルク生産、バターとチーズ製造を含む混合農業に基礎をおく近東の特色を持ち込んだのだ。
<分かったこと>
機械的な工業製品においても米国と欧州の間には考え方の差があるが、食品においては更にその差が大きい。食品そのものに対する考え方の違い、そこに付随する文化の違い、それらがそのまま露呈している。そして、これが政治的なコンフリクトに繋がっているのである。
チーズとバターの場合、酪農の変化と陶器の発明が製造を可能とし、かつ人間の遺伝子変化がそれらの食品を受け入れ、その結果、大規模な人口移動の成功率が圧倒的にあがった。それにより重大な文明拠点がいくつかの地域にできた・・・頭がクラクラするほどに壮大な展開だ。
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