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文化とビジネスの不穏な関係にちゃちゃ(!)を入れる

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文化をどう定義するかはさまざまですが、基本的に人が生きるための工夫です。そうなんですが、なんか本末転倒みたいな話って多いのです。例えば、はっきり言うかどうかは別にして「ビジネスの…
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記事一覧

ミラノの刑務所におけるアート展で思ったことー都市と刑務所をどう繋ぐか?

ミラノの刑務所で開催されたアート展を見てきました。昨年も同じ場所で在監者によるデザイン展…

〇〇人と間違われて怒る人たち

イタリア人の友人と雑談しているとき、彼の口から笑いながら出たのが以下のセリフです。 ぼく…

「ローカリゼーション議論」が再浮上するのか?ー「ガラパコス」は結果論。

日経新聞の以下の記事は、ローカリゼーションがテーマとして浮上してきていると語っています。…

30歳前後の女性が新ラグジュアリーの世界に踏み込む理由

転職とは、自分が求めることに素直になったときの結果であるーー経産省でファッション政策に関…

1982年のザルツブルクとニース

1970年代のイタリアのデザイン状況が80年代以降の第二期的イタリアデザイン史をつくった。これ…

「若い人たちが犠牲になる」という意味 ー 夢をもてるのか?

若い人たちが戦争の犠牲になりつつある実態を日経新聞の記事「ロシア、鉄道建設などで14歳も勤…

どんな人が缶で日本酒を飲むのだろう?

2015年に開催された食をテーマにしたミラノ万博の前後の数年間、日本酒の欧州市場開拓に関わることが多かったので、今もたまに日本酒の海外市場に関する記事が目に入ると「最近はどうなんだ?」と好奇心を持って読みます。 上記の記事中にある、以下の部分、当時に感じた問題に解決策として提案されているのが分かります。 自宅で飲むワインにおよそ10-15€を払っているとすると、日本酒は2倍以上の金額。それを買い、かつ飲みきれないとなれば、どうしても日本酒を飲む機会は外食時に限られます。

精神性の高低はルネサンスとピューリタリズムの妥協の結果であり、これが近代の心の姿…

文化の読書会ノート ホイジンガ『中世の秋』(堀越孝一訳)第一版緒言 I  はげしい生活の基…

食とツーリズムの可能性ーーその先にすべきこと

今週の3日間、ピエモンテ州ランゲ地方に滞在し、テリトーリオー都市と農村の関係、自然、文化…

インドの学生たちにラグジュアリーを教えて学んだこと。

先週の2日間、ミラノの大学でインドの大学でデザインを学ぶ学生たちにラグジュアリーのレクチ…

1-2泊の旅で何が分かる?ー3泊以上の旅を増やそう。

「日本人は旅をやめたのか」というちょっとドキッとする見出しの記事です。海外旅行をする日本…

クラフトがつくる世界ー差別化より共通点を探る方向への転換をヴェネツィアでみた。

2年ごとにヴェネツィアの島で開催されるクラフトの祭典、ホモファーベルを観てきました。 今…

あえての「ですます調」会話がトラブル回避に役立つ

ママ友の仲間との距離の取り方について書かれた記事ですが、どの場面でも使えるツボを押さえた…

経験を積んでくると主語や目的語のサイズは小さくなる

国際会議の基準が国際会議協会と日本政府観光庁の間で異なるため、前者を基準にすると後者の実績数が8分の1になるようです。 慶應義塾大学総合政策学部教授の白井さゆりさんが、この記事に対してThink!欄に次のコメントを書いています。このなかで、ぼくが太字にしたところに注目してください。 日本とは直接関係のない領域やテーマで日本の人が発信力を高めていく大切さに言及しています。きわめてまともな意見ながら、そういえば、最近、こういう発言をあまり目にしていなかったと思い出しました。