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日本の果てに旅したあの日

北海道が涼しすぎて、夏を未だに感じることができていない@anz_0621です。今日は少し長い話(約7000字)ですが、高校生時代の思い出を書いてみます。

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0. プロローグ

高校2年生の夏休み。受験を来年に控えて、自由に遊べる夏休みは高校生活最後となった。だからといって、することは例年とさほど変わりはない。部活に行ったり友達と遊んだり合宿に行ったりしていたら、いつの間にかあと4日しか夏休みが無くて、焦って宿題をやるのが常套である。しかし、何ヶ月も前から計画していた、とある旅が始まる瞬間は少しずつ近づいていた。



この夏休みに僕は友達と地球の裏ほどに遠い
日本の果てに行ってきた。



1. 出港前

2017年7月末の午前9時半。雲が広がりムシムシとした気候の東京・竹芝桟橋で僕らは集合した。一番安いチケットを手に入れて、今から24時間お世話になる船へと向かう。船の名前は「おがさわら丸」。本土と小笠原諸島を結ぶ唯一の交通手段で、基本的に週1回運航している。

今から僕らが向かう目的地は東京から南に1000km離れた孤島、父島だ。一応東京都は小笠原村に属してはいるが、普段生活している「東京」とは全てが違う。僕らはカメラと望遠鏡を携えて、おがさわら丸に乗り込んだ。

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貨物を載せるおがさわら丸
島の住民に物資を運ぶことも大切な仕事だ

今、カメラと望遠鏡と言ったが、この旅行の目的の1つは「天体写真の撮影」をすることだった。都心から1000km離れた孤島は天体撮影の邪魔になる灯りがほぼ無いため、絶好の撮影スポットになる。実際、僕らは東京から離れてすぐに信じられない星空を目にすることになる。


2. おがさわら丸にて

11時、おがさわら丸は汽笛を鳴らしてゆっくりと出港した。東京湾を出て、伊豆大島を横目に進んだおがさわら丸の船内には電波すら繋がらなくなった。

当時のおがさわら丸は就航1年目で、僕も船体が新しくなってから乗るのは初めてだった。学生にお金の余裕はないので1番安い2等和室で1日を過ごす。といっても1人分のスペースは十分に確保されていて、心地よく寝ることが出来る。

唯一の欠点?としてはWi-Fiが無いため通信ができないことだろうか。それはそれで旅気分を高揚させてくれるものでもあると思う。しかしデジタル世代の僕らはスマホを使えない環境下で手持ち無沙汰になり、船内を探検することにした。

売店にあった「どう考えても子供向け」のスタンプラリー台紙を購入した僕らは船内をうろうろとする。船内には食堂やカフェの他、カラオケルームやキッズルームも備えられており、至れり尽くせりである。スタンプラリーは1時間弱で終えたはずで何らかの景品を貰った気がするが、もはやそれが何か思い出すことは出来ない。

映画を見て昼寝をしてゲームをして、ようやく夜になった。おがさわら丸は伊豆諸島最南端の有人島である青ヶ島を過ぎていた。3階デッキから見た海は吸い込まれそうな程に黒く、そこに月からのびる一筋の光が走っていた。

ここで船長から船内にアナウンスが入る。今日は快晴で星がよく見えるため、屋上デッキを特別に解放するらしい。確かにさっき3階デッキからもくっきりと月が見えていたなと思いつつ、ほんの少しの期待をして僕らは屋上に向かう。

屋上には既にいくらかの人がいた。僕らはデッキの手すりにもたれてじっと空を眺める。デッキの電気が消されると、漆黒の中からすぐに明るい星が浮かび上がってきた。

僕らは一応天文部に所属していたのである程度の星座はわかる。2人で互いに星座を確認しあううちに、靄のようなものが見えてきた。そう、天の川である。肉眼で天の川をはっきりと認識したのはこれが初めてだった。

気づかぬうちに時間は過ぎていた。僕らの人生史上1番だったこの星空を撮りたいのだが、船の揺れがあったので残念ながら撮影することは出来なかった。そんなことを考えているうちにデッキを閉める時間が近づいてきたので、僕らは再び船内に戻る。この星空が父島に着いてからも見えることを祈って、その日は眠りについた。

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翌日の早朝、僕は1人でデッキに向かった。朝焼けを見るためである。寝ぼけ眼を擦りながら左右にゆっくりとゆれる船体をヨボヨボと歩き、階段を5階分のぼってデッキへと向かう。そこから見た海は果てしなくて穏やかだった。残念ながら日の出の瞬間は雲で隠れてしまったが、潮風を浴びながら見る朝の光はとても綺麗だった。

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水平線まで邪魔する大地は何一つ無い

布団に戻りあらかじめ桟橋近くのコンビニで買った軽い朝食を食べたあと、周りを見ても大多数の人は時間を持て余していた。僕はその後も暇になっては階段をのぼってデッキで海を眺める。濃い青の海に、おがさわら丸の航海の軌跡が残る。

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おがさわら丸の航海の軌跡

10時をすぎると船内は慌ただしくなり始めた。乗客が下船の準備をし始めたのだ。デッキからはうっすらと島の形が見えている。どうやら聟島(むこじま)列島らしい。聟島列島は僕らの目的地である父島列島の少し北に位置する列島で、いよいよ目的地が近づいてきた証拠だった。何もない広大な海の中にポツンと現れたシルエットが、旅のわくわく感を増幅させてくれる。

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広い海にポツンと浮かぶ聟島列島
父島に近づいてきた証だ

11時。ちょうど乗船から24時間が経ち、おがさわら丸は予定通りに父島の二見港に停泊した。僕らはここで過ごす1週間の間に、記憶に残る体験をいくつもすることになる。


3. 7月23日

タラップを渡って港のコンクリートに足を踏み出す。僕らはついに遠い日本の果てについたらしい。いつ行っても島民がお出迎えをしてくれる優しい島だ。灼熱をイメージしていたのだが、思ったほど暑くなかった。竹芝桟橋の方がどこか嫌な暑さに感じる。小笠原の暑さはやはり南国らしさを感じさせ、本土の暑さとはまた違っていた。

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ここで少し小笠原諸島の紹介をしたい。小笠原諸島は2011年に世界自然遺産に登録されており、その生態系は他に類を見ない。

『くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト』で、小笠原諸島は次のように紹介されている。

「日本列島から約1000km離れた太平洋上にある『小笠原諸島』は、これまでに日本列島や大陸と陸続きになったことがない海洋島のため、多くの固有動植物が独自の進化を遂げながら生息しており、進化は今も続いている。同じく海洋島に属する火山島のガラパゴス諸島やハワイ島とは異なり、小笠原群島はプレートの沈み込みから誕生した『海洋性島弧』である。父島では、プレートの活動により島が誕生した際に地上に露出したボニナイトを見ることができる。

世界遺産の登録範囲は小笠原諸島の陸域(ただし父島・母島の集落近郊、硫黄島、沖ノ鳥島、南鳥島を除く)と、父島および母島周辺などの海域の一部で、その面積は79.39k㎡に及ぶ。これらの島々の生態系は、島によって大きく異なる」

このような独自の生態系が特徴としてあげられるが、島の名称も特徴的である。基本的に島の名前は家族構成の名前でつけられている。有人島の父島と母島以外にも、兄島、弟島、姉島、妹島、さらには聟島、嫁島、媒島(なこうどじま)など、もはや縁があまりなさそうな人の名前まで揃っている。

今回僕らが過ごすのは小笠原諸島の中で最も面積が大きく、人口も多い父島である。気候は亜熱帯気候で僕らが訪れた時は大体25-30度の範囲で気温が推移していた。

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さて、話を7月23日に戻そう。下船後僕らは大村地区にあるゲストハウスへ歩いて向かった。1週間お世話になるゲストハウスは値段も安く綺麗な内装でかつ貸切状態だった。今僕が大学生活をしている1Kの部屋よりも過ごしやすい。取り敢えずここに重い荷物を置いて、父島を探検することにした。

実は僕が父島に来るのはこの旅が初めてではない。親族が父島に住んでいることもあって、今までにも何回か来ている。しかしそのころは天文に強い興味があるわけでもなければ、自然に強い興味があるわけでもなかった。つまり、今回新たな知識を得たあとに来たことで、その知識を通して初めて見たものが沢山あるのだ。というか、そうじゃなければわざわざこの文章を書くことは無かっただろう。

僕らは車の後方座席に乗って、父島の東側へと向かう。到着した長崎展望台からは透き通った海が見えた。曇っているにも関わらず、底まではっきりと見える透明度の高さは何度見ても印象に残る。

展望台の近くには遺構が残る。小笠原諸島は太平洋戦争の戦場になっていたのでそれに関連したものかと思ったがそれは関係ないようだ。遺構には「愛とは決して後悔しない事」と落書きがしてあった。落書きの割にはセンスがある。

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最後まで何なのかよくわからなかった遺構

小笠原を1周したあたりでちょうど日が沈んだ。結局この日、空が晴れることはなく天体観測はやめることにした。僕らは明日の天気に期待して眠りについた。


4. 7月24日

朝の天気は晴れ、絶好のお出かけ日和のなか僕らは港へと向かう。今日は船に乗って小笠原を楽しむのだ。

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夏らしさを集めたような風景

8時半、漁港から小さな船は出港した。透き通った海を突っ切って小船は進んでいく。「ボニンブルー」と呼ばれる海の色はここでしか見ることが出来ない。しばらくすると砂浜が見えてきた。これはジニービーチと呼ばれる幻の砂浜で、ここに歩いて辿り着くには2時間ひたすら進まなければならない。僕はこの世界に存在するとは思えないような砂浜と青空、そしてボニンブルーの海を見てただ凄いとしか言えなかった。

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絵のような綺麗さに圧倒される

船はさらに青の中を進む。段々と海の色がエメラルド色に変わっていく。そのうち船はサメが住むという湾内に入って、僕らは父島とは別の島に上陸した。

島の名前は南島。環境を維持、回復するために上陸人数に制限がかけられており、ライセンスを持った人が同伴していない場合は上陸が許されない。島にはいたるところにカタツムリの半化石が散らばっている。小笠原には多くの固有種が生息しているが、その中でもカタツムリの種類は数が豊富とされている。このカタツムリはヒロベソカタマイマイと呼ばれる種が主だが、研究によると1-4万年前には31種のカタツムリが生息していたらしい。

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半化石と呼ばれるカタツムリの貝殻
数万年前のものらしい

しばらく進むと特徴的な地形の砂浜である扇浜にたどり着く。この小さな穴の隙間からカヤックでやってくるチャレンジャーな人もいるらしい。

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扇浜と真っ白な砂浜

南島から離れて、今日のメインであるイルカ探しへと向かう。船はスピードを出して兄島の方へと進んでいく。兄島周辺の海域は海中公園に指定されており、その美しさは小笠原諸島の中でも指折りだ。海の冷たさも吹き飛ばすほどにその美しさに圧倒された。

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多種多様な熱帯魚が集まる

その後も僕らは荒れ始めた海の上でイルカを探し続ける。少しずつ雨が降ってきて、そろそろ撤収しようという流れになっていたその時、イルカが泳いでいる姿を見つけた。ラストチャンスだと思って海に飛び込んだ。

イルカは優雅に泳いでいた。まるで遊んでくれているように泳ぐスピードを合わせてくれた。耳を澄ますと、イルカの鳴き声が聴こえる。最後に優しいイルカと出会えた僕らは、だいぶ運が良いみたいだった。

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目前に迫るイルカ
僕らと戯れているようだった

スコールを浴びながらも何とか父島に戻ることが出来た。いよいよ天体観測の時間が近づいてくる。夜ご飯を軽く済ませた僕らは望遠鏡とカメラの用意をして、海の近くにある広場へと向かった。

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夜になったら自然と星明かりが浮かんできた。東京都心のように目を凝らさないと見えない状態とは程遠い、ふと空を見上げたらそこに星が瞬いている世界。段々と目が慣れてきて見える星は増えていく。そのうち天の川が出てきて、僕らは2日前と同じ夜を見ていた。

その後は写真を撮ることに一生懸命だった。その時の僕らは天体写真に疎く何もわからなかったが、それでも出来る限りの知識を使って写真を撮った。

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アンドロメダ銀河


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三裂星雲

あっという間に時間は過ぎて、夜明けすぎになっていた。観測をしている時は時間の感覚がいつもと変わる気がする。眠い目をこすりながら撤収準備をして僕らはゲストハウスに戻る。この時僕らには1つ心残りがあった。というのも雲が完全に無くなることはなく、天の川を端から端まで写した画を撮ることが出来なかったのだ。しかし、普段の星空から考えれば、この星空を見れただけで十分満足して僕らは眠りについた。


5. 7月26日

7月25日はバーベキューだけだったので飛ばして、7月26日へ。

昼は保護センターに行きウミガメを見た。小笠原では成長したウミガメから、生まれたばかりのウミガメまで幅広く保護している。その可愛さのせいでついついシャッターを押すペースが上がる。

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少年ウミガメと赤ちゃんウミガメ

さらに地元の祭りでウミガメを食す。刺身は思ったほどクセがなく美味しかったのだが、どうもスープにすると独特の味がして苦手だった。友達は美味しいと言って食べていたが、そこに関しては多分理解しあえない何かがある。

夜は再び観測に向かう。この日が天体撮影の出来るラストチャンスだったが、正直期待はしていなかった。天気予報は過去で1番悪く、さっさと撤収しようと考えていた。

しかし、そんなことはなかった。空は晴れ渡っていた。これが僕らの待ち望んでいた風景だった。2人で駄弁りながら満天の星を眺める。普段都心にいては絶対に感じることが出来ない体験が、僕らに旅の楽しさを教えてくれた。

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街中でも見える天の川
肉眼で見たものとほぼ変わらない

プラネタリウムのように広がる星空を見ながら、あの星座がいて座で、あの星座がペガスス座で、と二人で脳内の星図を空に一致させていく。この星空を見ることが出来るのも今日で最後なんだなと思うと、一時も無駄にしたくなくて、僕らはずっと星空を見ていた。

こうして僕らは小笠原最後の夜を終えた。


6. 7月27日

最終日、最後に僕らは山の上にある大神山神社に登った。上から見た父島の集落を見ると、何か名残惜しくなってしまう。

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山腹から集落を眺む

ついに、僕らはこの1週間の思い出を全て抱えておがさわら丸に乗船する。その数時間前にカフェで出発前の休息を取っていたとき、この島に滞在した間お世話になった方々からレイ(花で出来た首飾り)を貰っていた。これは持ち帰るためにあるのではない。もう1度ここに戻ってくるよという願いを込めて、出港してから海に投げるのが小笠原の習わしなのだ。

15時半、おがさわら丸は出港した。僕らを見送ってくれる人が沢山いた。港から離れても小さな船が沢山追いかけてきて、ずっと手を振ってくれる。「じゃあね」じゃなくて「いってらっしゃい」と言ってくれる。「またいつでも戻ってきなよ」と言ってくれる。その優しさがこの島にもう1度来たくなる理由になる。

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見送ってくれた島民の方々

10分くらいして船から見送ってくれた人々が海に飛び込み始めた。段々と見送る船の数は減っていく。最後の1隻から手を振っていた人々が飛び込んで、僕らはいよいよ喧騒の街へ帰ってしまう。

段々と島の輪郭が靄がかっていく。まるで島にいた期間が幻だったかのように、青の空と海の狭間に消えていく。僕らは暫くそれを見つめたあと船内に戻った。


7. エピローグ

帰りの船内、時間をもて余していたなかで、何となくひと夏の体験を振り返る。この1週間で僕らはここでしか出来ないことを沢山体験した。南国らしいこともしたし、満点の星空も見た。そして普段から受けているはずである、沢山の人の優しさを改めて確認した。いつでも「ただいま」と受け入れてくれるこの島が大好きになった。

24時間後、僕らはいつも通りの夏に帰って来た。行きと同じムシムシとした曇り空。人でいっぱいの電車に乗って家に帰る。そこからはまた部活で学校へ行ったり、友達と一緒にどこかへ出かけたり、いつもの夏休みを過ごした。

2学期がはじまってからも、高校3年生になってからも、大学生になってからも、僕はずっとこう思っている。


またいつかこの島に戻ってこよう、と。


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7/16 本文を加筆修正しました。


見出し画像---父島 コペペ海岸にて

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