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北海道という田舎で

北海道一の大都会札幌に移り住んでから1年半が経った。今まで一度も行ったことがない街に住むと決まった時から、北海道へ期待を寄せていた。

実際、札幌の環境はこの期待に応えてくれた。周囲の友人にも恵まれた。北国の広い大地を、初心者マークのついた車と、国鉄時代の風情を残す列車で端までまわった。

こうしているうちに、僕は札幌以外の北海道がどのような場所なのか、うっすらではあるが段々と分かるようになってきた。ガイドブックで「広大な自然環境」と銘打たれる場所は、そこで育つ子どもにとっては厳しい環境であるかもしれないと僕は感じ始めた。

ここでは、奈良県の田舎で生まれ、大阪のベッドタウンで幼少期を過ごし、東京の市部で青年期を過ごした僕なりに、北海道の教育について書いてみたい。


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きっかけは、JR北海道のローカル線に乗り、日本最北端の街である稚内へ向かったときのことだった。この日は平日で、僕は春休みに入っていたが、まだ高校生は3学期のようだった。早朝に道北の音威子府駅を出た1両の普通列車は、稚内に向けてゆっくりと走る。しばらく僕以外の乗客はいなかったが、幌延駅で制服姿の高校生が何人か乗ってきた。

このときの僕は「そっか、まだ高校は休み入ってないのか」とたわいもない感想を持ったが、次の駅で高校生が乗ってきたときは驚いた。なぜなら、駅前には一軒たりとも家がなかったからだ。彼女はどこに住んでいるのか疑問に思ったと同時に、この駅が彼女一人のためにある駅と言っても過言ではないと察した。


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簡易的な駅舎の先に、民家は1軒も見当たらない


その後、列車は似たような駅をいくつか経由して、その度に1~2人の高校生を乗せていく。結局全員が終着駅の一つ手前で降りていった。全員制服のデザインが同じだったので、通っているであろう高校は自然と一つに絞られた。


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この数十分間の出来事は、僕にとって衝撃的なものだった。東京の公立中学校に通っていた僕は、幾つかの都立高校から自分の好きな所を選択し受験することが出来た。都立高校はその制度上、推薦・前期・後期と3回の受験チャンスがあった。さらに滑り止めとして、私立高校も受験することが出来た。簡単に言えば、(金銭的な問題で都立高校に通って欲しいとは言われたが)いくらでも選択肢があったのだ。

しかし、ここに住んでいる彼らにとって、受験する高校は自ずと絞られる。気になって稚内市がある宗谷管内にいくつ道立高校があるのか調べてみると、稚内高校・豊富高校・浜頓別高校の3つしかなかった(離島を除く)。3つの高校はいずれも直線距離で50km程離れており、浜頓別に住む高校生が、稚内高校に通うことは事実上不可能だった。つまり、受験する高校の選択肢自体が存在しないのだ。

この記事では北海道を管区という単位に分けて述べることがあります。北海道は他の都府県に比べて広大なことから、行政を管区もしくは振興局とよばれる地域に分割しています。管区の面積はそれぞれ異なりますが、いずれも平均的な都府県の面積程度と考えてください。

列車はほぼ通学需要しかなく、定期的な利用客はおそらく学生しかいないだろう。このような田舎では誰しもが自家用車を使うため、公共交通機関の衰退は著しい。このとき僕が乗っていた区間も、普通列車は1日3往復しか走っていなかった。


僕はこの状況を、本州の田舎とはまた違うものだと感じていた。本州では、都市と都市の間隔が近く、郡部であっても簡単に地方都市へ出向けることが多い。僕が生まれた奈良県北部のとある町でも、1時間あれば奈良市内に辿り着くことが出来たし、奈良市内まで行かなくても大体のものが揃う街は近くにあった。

一方北海道の田舎には、一番近い都市まで100kmのような、想像できない位置にある集落が往々にしてある。一番近いコンビニまで車で15分、一番近い本屋まで車で1時間、一番近いライブ会場まで車で3時間。隣の集落ですら、歩いて向かうには厳しい。そういう場所が数えきれないほどある。

さらに、道内で都市と呼べるのは札幌(及びその周辺)・旭川・北見・帯広・釧路・苫小牧・室蘭・函館くらいであり、ここに挙げた都市も疲弊が目に見える。大学進学を目指すなら、その都市で一番偏差値の高い高校に進むように、自動的にレールが決まる。

ここから、文化が集積する街にアクセスすら出来ないという状況下で生活する若年層が北海道には多くいる、ということがわかるだろうか。本州では当たり前にあるものが、北海道の郡部にはない。この点で本州とは距離のスケールが違うことを改めて知る。


更に、高校卒業後の進路を想像してみる。まずこの地域に住む高校生は、大学生と話したことがない人も多いのではないだろうかと思った。宗谷管内にある大学は1つのみで、その大学も定員割れが続いている。ある程度の環境が保証された大学に行くためには、親元を離れ一人暮らしをすることが前提となるだろう。その結果、街に住む大学生はかなり稀有な存在になる。

そして間違いなく大学進学率は全国平均値より低いと思った。実際に調べてみたところ、宗谷管内の大学進学率は21.2%だった。大学全入時代と言われる昨今、この数値はかなり低い。

管区内に一つも市がない鄙びた管区になると、大学進学率は更に低下する。静内や浦河などが所在する日高管区は12.9%、道南の檜山管区に至っては10.1%と著しく低い。この2つの管区には1つも大学がなく、実家から大学に通うという概念がそもそもない。

ちなみに、札幌市がある石狩管区の大学進学率は40.8%と、道内でも断トツで高い。それでも日本の平均値(54.7%)を下回っており、北海道における高等教育が難しいものであると実感させる。東京都の大学進学率は65.1%で、3人に2人は大学に通っている。これだけでも都市と地方の格差が大まかに見える。


このような地域から大学に進むことがどれだけ難しいことか、僕は段々と実感し始めた。

まず、周囲の理解を得ることが難しい。周囲に大学進学者がほぼいないという状況で、大学に行きたいと17,8歳の学生は言えるだろうか。

そして、金銭的な問題がそこに拍車をかける。一人暮らしがほぼ確実になるので、金銭面での負担は免れられない。地方からの学生に対して、大学側は十分なバックアップを取れているのだろうか。

さらに、学習環境も整っているとは言えない。僕が通っている北海道大学は、北海道唯一の国立総合大学だが、道内からの進学者は3割ほどにとどまっている。これは北海道の高校が進学希望の高校生に対応しきれないことも理由にあると思う。

僕の周囲を見ても、公立か私立かにかかわらず、都市部の進学校出身という人が多数を占めている。進学校はカリキュラムを受験向けにシフトさせており、入学当初から全て計算のもと、受験に最適な学習を行っていく。それに加えて塾へ通うことで、受験問題への対策も出来るという理想の環境がそこにはある。本屋が近くにはあり、自分にあった参考書も簡単に手に入るはずだ。

かくいう僕も、偏差値60程度のギリギリ自称進学校と呼べるような都立高校に通い、家から徒歩5分圏内の本屋で参考書を買っていた。塾には通っていなかったが、高校には自習室があり、そこにはともに受験勉強をする仲間がいた。結局、高校同期の多くは実家から通える4年制の私立大学に進学した。

この環境が、北海道の田舎には全くない。進学校と呼べる高校・大学受験に対応した塾・参考書のある本屋・共に勉強する仲間・通える大学の数、そのどれもが満足にない。


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このことを知ってから、僕はローカル線で高校生と鉢合わせる度に、彼らと僕の間にある取り払えない壁のようなものを気にするようになった。彼らの中にある高校生活と、僕が体験した高校生活は大きく違うんだと思うようになった。生まれてきた場所が悪いという一言で、これをかたづけてはいけないと思った。

僕ら大学生は、自分が恵まれた環境の元で育ち大学に通えているんだと、自覚しなければならない(もちろん沢山の苦労をした上で通っている人もいる)。たかが受験のために得た、付け焼き刃の学力というのは、環境と努力の掛け合わせで成り立っているようなものである。環境の数値が1未満という場所が北海道には多くあるということも、北海道に住む大学生として忘れないでいたい。

noteを書くときにいつも飲んでいる紅茶を購入させていただきます。