見出し画像

ロマンと青春の狭間とそれから

僕が大学生だった頃。
小さい頃から憧れていたロードバイクを買った。

読者の方にはロードバイクと言うとピンとこないかもしれないから何となくのイメージを伝えておくと、ピタッとした服装にヘルメットを被った人が乗っていそうな、細いタイヤにウネっとしたハンドルの速い自転車の事。
決してエンジンのついているモーターサイクルのバイクではない。

本屋でアルバイトをして貯めたなけなし大金をはたき、ネットショップで取り寄せして購入した。

パーツ単位で簡易組み立てされている自転車を自分で組み立て、形になった所で近所の自転車屋へ持ち込み、調整と盗難登録をしてもらってからは、様々な場所に日帰りでツーリングする事が趣味となった。

段々と操作や乗り方、パーツのカスタムなどをして小慣れてくると次に考える事は"一人旅"だろう。
やはり男のロマンだ。
しかも当時の僕は二十歳の青年である。
これはもう、憧れるな。と言う事の方が無理に感じる。

僕はアルバイトでお金を貯めつつ計画を練った。
『より遠くに、より絶景に出会える、しかも無鉄砲な一人旅をしたい』と。

鋭い読者の方はツッコミを入れたと思う。
計画を練ったのに、無鉄砲な一人旅?

そう、当時の僕はこう考えたのである。
『ロマンを求めるなら無鉄砲さは譲れない、つまりは後先を考えずその場の気持ちやフィーリングで判断を重ねて目的地に辿り着き、その地の空気を吸い、絶景を目に焼き付けて帰ってこよう!そして一人旅を果たした結果こそが自分に対する贅沢な時間の使い方として心に残そう!』

こうして僕は新たな挑戦を掲げ、"無鉄砲さ"を重視した計画を立てて準備を始めるのである。

このロマンへの未熟で情熱的な気持ちが、この先待ち受けるとてつもない試練の始まりとは知らずに…。

Googleマップを開き、タブレットで1日に移動できる最大距離に円を描き、候補を考えた。

『男の一人旅…ロマン…。やっぱりテーマとして海は欠かせないな!』

そんな事で幾つか名前に見聞きした事がある海辺の地名をピックアップし、観光サイトやブログを読んでリサーチを始めた。

僕はその時間がとても楽しかった。
少し苦手だった本屋の店長の小言も可愛く感じれる程に。

そうして候補の内から、神奈川県三浦半島の南端に位置する離島、"城ヶ島"に決まった。

離島に自転車で行ける場所は限られている。
城ヶ島大橋という長くて大きい橋で本島と繋がっている離島は、僕にとって最高の目的地であった。
何て言ったって、周りは全て海だし、道路は舗装されているし、離島に一人で旅に出るなんて響きがカッコいいでしょ?

ただし問題があった。近くにあまりホテルがないのだ。
都内に少し遊びに行って泊まって帰ってこよう!くらいの軽い気持ちで行けるはずもなく、ビジネスホテルもない事までは調べ目的地に行く前に手前の三浦半島エリアでホテルに泊まろうか、と考えているあたりで我に返った。

『おっと危ない、保身的になりすぎていた。今回の旅のテーマは"無鉄砲な一人旅"だった。』

そして僕は次々とフラグを立てながら、あえて宿を予約しない選択肢を取り計画を進めるのであった…。

目的地が決まってから、行く準備として荷物を考えた。
僕の貧弱なこの二本足で、荷台もカゴもない自転車で長距離一泊旅行である。
無駄なものは一切持っていけない。
なのでロードバイク関連の雑誌やブログからアイデアを貰い、極力少ない荷物で必要なものを揃える必要があった。

着替えは2着、ポケットWi-Fi、タブレット、ポータブル充電器、現金や身分証の類、防水の小型懐中電灯、施錠用のチェーン、換えのタイヤチューブ・パンク修理キット、六角レンチセット、小型空気入れ、ビニール袋、ビニールテープ等。

これらと夢と希望をデイユースの登山リュックに詰め込み、僕は眠りについた。
もちろんあまり寝れなかった事は言うまでもない。

旅に出る前に、準備に係る所で一つ補足しておこうと思う。
心配性の母親についてである。
悩ましいことに昔から何かと心配ごとの尽きない母は、今回の旅に大反対だった。
「車にはねられたらどうするの?!」
「もし遠くで迷子になったらどうするの!?」
「変な人に誘拐とか暴力されたらどうするの?」
という、まさに子供に対する心配だった。

大人ぶっていた僕は、「成人もしたし、そんな怪我とかするほど飛ばして走らないし、何とかなるから大丈夫だよ!」
何度となく小競り合いが続いたものの、父の理解と説得もあり旅の計画は決行に向かった。

そして母から思いもしなかった一声が掛かる。
「ヘルメット買ってあげるから自転車乗る時は必ず着けなさい。」
当時の僕としてはとてもラッキーな出来事だった。
ロードバイク用のヘルメットはメーカー品だと一万円くらいは余裕で足が出る。安全性面を考えてもヘルメットは被っている方が絶対良いに決まっている。
僕は専門店でヘルメットを購入し、帰宅してからお釣りを返しながらボソッと感謝を伝えた。

改めて「ありがとう。」という単語を使った事で急に恥ずかしくなった僕は、新品のヘルメットを被って「カッコいいだろ!」とおどけて見せた。

母親はそれを見ると、ニコッと微笑み一言。
「キノコみたいでダサい。」

寝不足の重たい瞼を擦りながら出かける最後の身支度を済まし、愛情たっぷりオニギリをリュックに詰めてついに自宅を出発した。

晩夏で朝の空気は気持ち良い。
これからどんな感動が待っているのかと胸を躍らせながら力を込めてペダルを踏み込む。

段々と見慣れない街並みとなり、足立区の看板を見つけて都内に入ったことを知った。

当時スマホが普及し始め、周りはガラケー勢が残りわずかな世の中だった。ガラケーとポケットWi-Fiでタブレットの二台持ちをしている人もいた。
僕は後者だったので、時々立ち止まってタブレットを開いてGoogleマップを確認してまた進んでを繰り返していた。

地図を見ずに目的地に着く男に憧れを持っていたが、これは方向音痴だからだろうか。

何はともあれ、都内を移動している間は比較的大通り沿いに道を進めていたから特段迷う事はなかった。

電車で遊びに来たことのある街を自分の自転車で走る事はとても不思議な感覚だった。

しかし、国道の車道を走っていると無理に幅寄せしてくるトラックや、猛スピードで隣を過ぎ去っていく車には何度もヒヤヒヤした。実際に服の袖がトラックに一瞬かすった時は、事故った!と思う程の風に巻き込まれる。

僕はキノコヘルメットがあって心から良かったと考えを改めた程には怖い思いもした。

道は進み上野、日本橋、銀座、品川を抜けて多摩川にかかる六郷橋を渡った所で神奈川県に入ったのが正午を少し過ぎた時だった。

多摩川を眺めながら母特製おにぎりを食べた。
高校時代は部活の朝練で五時台の電車に乗っていた僕に毎日お弁当を作ってくれたな、なんて普段は考えない様な事を考えていたら軽く30分が経っていた。

思った以上に体の疲労感が大きい。でもここまで来てしまったからには引き返す訳にはいかない。
今日は予定として三浦半島に行きたい。
そしてホテルを見つけなくてはいけない。
最悪漫画喫茶やネオンの光るホテルでも良いとは考えているが、出来る限り進まなくては明日帰れないからと根の生えかかったお尻を持ち上げてサドルに跨いだ。

ビルの街並みから住宅街が増えてきたと思えばまた栄えた街へ移り変わる景色の中で、考えていた事は目的地に着いた時、どんな感情が待っているのかという好奇心が幾度も湧いた。

タブレットを見ずに自分の感覚を研ぎ澄まし、自分の選んだ道を進む。
国道や県道も分岐したり、大きなカーブがあったりするもんだな、と思いながら重たくなってきたペダルをケイデンスに意識を集中しながら踏み続ける。

改めて紹介するが、僕は方向音痴である。
これは当時も同じく、小さい頃はスーパーですら迷子になれる謂わば一つの生まれ持った才能なのである。
鶴見川を渡って生麦という地名の看板を見て、神奈川に所縁のない僕は、変なのー!なんて楽しんでいた過去の自分を悔やむ。

自分の研ぎ澄まされた感覚を信じた結果、国道1号線の分岐点、立町の交差点で南下すべき地点に気づかず、そのままどんどこ西に進んでいたようでこの後悔している地点は横浜国大前だった。

横浜駅前を通過したかった僕は、少しの時間ロスもまた一興と楽観的に考え、大通りから外れた道を進み出す。

横浜駅近くを走っている時、顔に水滴を感じた。
雨だ。
予報では曇りだったのに!
ここに来て方向音痴のみならず雨男の力を発揮してしまうとは。

まず焦ったのは、ポケットWi-Fiと携帯、タブレットの電子機器が濡れてしまう事だった。
陸橋下の雨の濡れない場所でビニール袋に電子機器類を入れ、リュックの背中側にパッキングする。

気合いを入れ直して濡れながらペダルを漕ぎ続ける。
方向音痴からナビを取り上げたら目的地への到着時間が延びる事は容易に想像がつくだろう。

小雨の中で横浜駅周辺をうろつき、横浜駅をバックにロードバイクを写真におさめたのはオヤツの時間少し前だった。

その後の天気は雨が降ったり止んだりで、ただひたすらに国道16号線を南下して行った。

横浜から根岸、杉田、金沢と順調に進み、途中コンビニで休憩を取りながらGoogleマップと睨めっこをして先を急ぐ。

夏至はとうに過ぎ、だんだんと日没が早まってきている。
横須賀を通過した辺りから雨が強くなり、土砂降りとなる。

しかも三浦半島エリアに入ると山が多く、街灯は少なくなるので真っ暗で、目的地もあやふやになっている今、走っている道をただひたすらに信じ、闇の中を懸命に疲れた身体に鞭を打ちながら進むしかなかった。

ローディのピタッとした格好が嫌だった僕はデニムにTシャツという格好で行ったから、デニムはどんどん雨水を吸い込み、重たく動きづらくなる。

とにかく、ここ1時間以上はタブレットで地図を見る事もできず、備え付けのへぼい光と、想像よりもはるかに光度の不足していた防水懐中電灯で道を照らしながら、半ば絶望を纏いながら進む僕にユートピアが見える。

坂の上に煌々と輝くセブンイレブンだった。
このコンビニには精神的にも肉体的にもとても助けられた。

しかし、びしょ濡れだった僕はお店に入ることを躊躇った。
しばらくすると見かねたのか、店員さんがドアまで来てくれた。
「どうかなさいましたか?」
僕は経緯を軽く話して入店することを躊躇っていると伝えると、店内に案内された。
僕は生まれて初めてコンビニに入る事を躊躇い、初めてエスコート付きの入店をした。

店員さんはとても優しかった。
どこから来たのか、目的地やどんな旅なのかを会計の後に話した。
幸いにも店内は僕しか客が居なかったので会話が弾んだ。
お店を出る前には応援の気持ちとして栄養ドリンクを自腹で買ってくださり、見ず知らずの人間にここまで優しい気持ちで接する人情に勇気をもらった。ありがとう横須賀長沢四丁目店。そしてあの時の店員さんはどうか幸せであってほしい。
そして店内をあちこち濡らしてしまってすみませんでした!

店員さんの心配そうな視線を背中で感じつつ、また暗闇に戻る。
この道を下って分岐点を右折すれば海沿いに出ることは分かり、自暴自棄になっていた僕はとにかくこの足で今晩過ごす宿を見つけることを誓った。

何故自暴自棄になったかというと、タブレットで調べた限り、ホテルもインターネットカフェも漫画喫茶も全くない場所だったからだ。
もはやコンビニのイートインを点々として夜を明かしても良いかと考えたくらいには途方に暮れた。

自転車で走行しながら大粒の雨が肌に当たる感覚は思っている以上に痛い。
道順通りに来ているはずだがどこを走っているかも分からず、全く知らない土地で、体は限界に近く、左の視界は急に真っ暗な状態が続き、スーパーポジティブを売りにして生きている事に自信をなくした。

こんな事になるならもっと近場で旅に慣れてから遠出するのが正解だったのかもしれないと弱気になっている時。
この暗闇に似つかわしくない、賑やかに煌々と光る場所が現れた。

もはや蛾のようである。光に反応して進む本能はまさに蛾の持つ本能と同じ走行性に近いものがあったと思う。

光を頼りに到着した場所は『民宿 魚萬』だった。
入り口で立ち竦んでいる僕を見つけてくれた人は母親と同年代程の女性だった。
「あなた!どうしたの?こんなびしょ濡れで!」
不審がるより、ただただ驚きに満ちた声と表情で僕に話しかけてくれた。

僕は寒く震えている身体を出来るだけ抑えながら事情を説明した。
「実は宿を決めずにこの自転車で旅に出たのですが、雨に降られて途方に暮れていたんです。道もわからず進んでいると明かりがついているのを見つけたもので…。大変申し訳ないのですが、ここで素泊まり一泊させていただけませんでしょうか。」

きっとこの時の僕をタイムマシンで見に行ったのならば、とても酷い顔をしていたに違いない。

後に分かったが、この女性は女将だった。
本当に気立の良い方であり、即座に二つ返事を下さった。
こんなずぶ濡れの不審者さながらの男を快く宿泊を許してくれたのだから、心の広い方なのだと当時の未熟な僕でも一瞬で理解できた。

僕は女将に案内されるまま濡れた服を脱ぎ捨て、入れてもらったばかりのお湯に浸かり、用意された浴衣に着替え、洗濯物までさせてもらって別邸の二階部屋で荷物を干した。

ここでのお風呂は罪悪感と安堵のせめぎ合いだった。
振り返れば迷惑しかかけていない事に気づき、今日の旅を反省した。
この優しく、心身共に温まり、心底感謝したお風呂は僕の生涯忘れられる事のできない時間となった。

濡れてしまった荷物を和室で干す事にも罪悪感を覚えながら広げている時に、扉がノックされた。
女将だ。

僕は口早に感謝と謝罪をした。
「この度は本当に助かりました。お風呂までご用意くださり本当に申し訳ない限りです。こんな広いお部屋まで用意してくださり本当にすみません。」

続けて女将。
「ここに来てくれて良かったわ。最初はビックリしたけど、こんな良い男だったのね!あなたが来るまでは地元の方達の宴会だったからたまたま明かりが付いてたの!あまり物で作って悪いんだけど、もし良かったら食べてね。」

お皿に乗った大きな綺麗な三角をしているおにぎりと漬物とお味噌汁だった。
涙が目の縁に溜まった事を今でも鮮明に覚えている。

心からの感謝を伝えると、フフフと軽やかに笑ってから、おやすみなさいと残して僕に一人の時間をくれた。

ホカホカの、絶対にあまり物ではない握りたてのおにぎりを頬張りながら涙ながらに食べたシャケおにぎり。
僕がシャケおにぎりを好きになった所以でもあるこの一つの大きなおにぎりは最高に美味しかった。

一人で随分と遠くまで来てしまった。
そして人の温情の元で人間として生きている事に感謝した。
今までこんなことは考えたことがなかった。自由気ままに生きて来た。

両親の言葉しかり、途中で寄ったホームセンターの警備員さんにロードバイクを褒めてもらった事だって、コンビニの店員さんだって、女将だって皆んな見ず知らずの僕に優しさをくれた。僕は今まで人の気持ちにどれほど応えて来れたのだろうか。どれほど自分から発した優しさがあるだろうか。

人の優しさとはどうしてここまで人の心を動かす力を持っているのかと考え始めたところで僕の充電が切れてしまった。

ピピピ、ピピピ、、ピピピピピピー!
ガラケーから鳴る目覚ましアラームで目を覚ます。身体が鉛のように重いとはこの事か、と引きずるように立ち上がりカーテンを開けた。

そこは一面のオーシャンビューが広がっていた。
空は高く晴れ上がり、目の前には独り占め出来てしまいそうな海があった。
目覚めてからこんな直ぐに感動できるのか!
僕は一気にテンションが上がり、最高な気持ちで無鉄砲な一人旅DAY2が開幕した。

宿主さん?が一階の窓口でタバコを吹かしながら新聞を読んでいた。
残念ながら女将の姿はなかったので、昨日のお礼を心から伝えて、素泊まり料の三千円を払うと、声をかけられた。
「これからも気をつけて。」
昭和の男が魅せるぶっきらぼうながら情のこもったメッセージを受け取り、感謝と共に宿を旅立った。

昨晩の道の左側が真っ暗だった謎は、海だったからだと海道を走りながら気がついた。

着々と道を進めて、気づけば憧れた城ヶ島大橋に到着した。
自転車は無料だからとそのまま道を通してもらい、前方のみならず両サイドの絶景の中、自分のロードバイクで進む爽快感は、旅の醍醐味と充実感を一度に味わう最高の気分だった。

程なくして長い橋を渡り切り、目的地の城ヶ島へ上陸。
ロードバイクを駐車場の片隅に停めて、ハイキングコースを経てウミウ展望台、馬の背洞門を観光してから城ヶ島灯台に向かった。

灯台の近くは一人の釣り人を除いて誰もおらず、ただただ広がる海に向かって叫びたい衝動に駆られる。
旅を振り返りながら、山でもないのに「やっほー!!」と恥ずかしい気持ちを抑えながら叫んだ。

灯台から車道側に向かって歩いて行くと、釣り人から
「叫んでなかったか?大丈夫か?」
と声をかけられたが、恥ずかしさが絶頂に達し、急いで謝り「叫びたかっただけです!」と、より一層恥ずかしいセリフを吐き捨ててその場を後にした。

島をぐるっと一周する形で公道を走り、その後はまた城ヶ島大橋を渡って帰路についた。

帰り道は順調で、親にメールしながら帰る時間の予測を定期的に伝えながら進む。

来た道とほぼ同じルートを辿ったからなのか、感動の波に打ちのめされたからなのか、疲れ果てた脳が思考を停止したのかはさておき、帰り道は本当にあっという間に思い出が残っていない。

行きよりも多くコンビニに立ち止まって小休憩を取りながら気づくと家に着いていた、そんな感覚だった。

こうして両親に旅で起きた事や人情に触れたエピソードを得意げに語ってからは、泥のように眠り、翌日旅の振り返りをした。

絵空事として描いた無鉄砲な一人旅は、旅先で出会った人情によって無事達成できた事、一人ペダルを踏み続けながら迷った結果約250kmの走破をした事、死にそうな怖い目にあった事、そして何より女将に『良い男』と言われた事。

そんな冗談混じりで旅を面白おかしく振り返り、僕はこの経験から何が得られたのか真剣に考えた。

この度の計画を考え始めた時の目的は全て叶っている。
無鉄砲さに関しては極まりないし、贅沢な時間を過ごした事は語るまでもない。
民宿で見た朝の風景は僕にとっての大絶景で、目的地の城ヶ島で見た雄大な景色も全て目に焼き付いている。
この旅は一生に一度しかできないと悟っていた。

一番の気づきはやはり、人に対する優しい心持ちが、その向き先の相手の人生を変えてしまう力があるという事だろう。

この優しさや人情が僕にもきっと備わっているはずで、それを今後成長させていこうと心の中で強く感じた。

そして、今この文を書いている時点で僕のマインドにしっかりと刻まれている指針である。

人には優しく、自分には厳しく。という言葉は口にするほど簡単ではないけれど、僕の経験・思い出から人の心に触れて涙を流すほどに感激したあの気持ちは、今後の生涯でもずっと大切にしたいと思っている。


エピローグ

僕は先に語った旅の道中、国道にて何台も横を一瞬の間に抜き去られたバイクに対して憧れを持ち、今はエンジンの力を借りて駆け回っている。

ちょうど昨年の今頃、友人と城ヶ島へツーリングに行った。

城ヶ島の駐車場にて

当時と変わらない馬の背洞門や灯台を見て自転車で良くここまで来たな。と感慨深い気持ちに浸ったものだ。

当時と比べるとカーナビはハンドルについているから迷う事はないし、一人でもないし、天気は良いし、キノコヘルメットではないが、ハイキングコースを少し回るだけで息切れしてしまった。
本当に当時の自分に驚愕した。
何故100km以上自転車で走ってからこの山道を楽々と登ってピンピンして帰れたのか、本当に信じられない気持ちだった。

しかし、やはり旅する事は本来の自分を気づかせてくれるような気がする。

日帰りツーリングで遠出をするだけでも、現地の人と会話し、街並みや看板を見るだけで住み慣れた街と文化の違いがある事に気づく。

日本人に生まれて良かったと思える事は日常でもたくさん転がっているが、旅先では人の温かさに対するアンテナが強く働くらしい。

世の中は暗いニュースでも溢れているが、足元にある身近な人の優しさが何よりも大切なのではなのではないかと改めて思う。

僕のモットーとする、人情深い人間への追求の出発点、城ヶ島。
僕はきっとこの先も二輪に跨って風を切り、旅を続けて行くと思う。
旅先だけではなく、日常のちょっとした優しさを積み重ねていきたいと考えているし、多少面倒なやつと思われても、おせっかいな程の人情で人と関わりたいと改めて考える。

少しでもこの僕が、誰かのためになれる事を強く願ってこの文末とする。

#想像していなかった未来

いいなと思ったら応援しよう!