太陽の神様がくれた奇跡
理科の学習で、鏡に日光を反射させる実験がある。
子ども達は、とっても楽しそうに取り組んでくれるのだけど、大きな問題点が。
それは、天気だ。
曇りでは十分な光が得られず、実験を満足のいく形にすることができない。
天気に左右される実験で苦労されてる方も多いのではないだろうか。
そのため、天気予報を見て時間割を変更したり、ちょうど日が出ている時に実験を組み込んだりしている。
ある日のこと、教室での何気ない場面。
「太陽が出ないと実験が進まないんだよねー。」と
子ども達に相談していると
「俺、太陽出せんで!」
とAさん。
私「どうやって出すん?」
A「祈って出す!」
私「それって、今でもできるの?」
A「楽勝やって!先生見ててや!」
そう言うと、教室の窓際にスッと立ち、両手を挙げ始めた。元気玉でも作るんか。
そして、謎の呪文を唱え始めた。もうドラゴンボール繋がりでナメック語にしか聞こえない。
すると、その1分後なんと本当に太陽が出てきた。
「な?先生言ったやろ?」
と得意げな表情を見せる男子。子どものドヤ顔って可愛すぎる。
「凄すぎるわ!もし実験の時に曇ってきたらよろしくね!」
時は進み5時間目。実験のために昇降口に向かった。
序盤は順調だったものの、実験を進めていると徐々に日光が弱くなっていく。
そして、完全に光が途絶えてしまった。
「もう、何だよー。いいとこだったのに。」
「おもんないってー!」
子ども達が肩を落とす中、1人だけ表情が輝いていることを私は見逃さなかった。
「〇〇さん、なんでそんなに楽しそうなん?」
「俺の出番だからや!」
そう言い残すと、運動場付近まで走っては、教室で見せたあのパフォーマンスをし始めた。
それに素早く反応したお調子者男子達が、横に並んで同じように両手を挙げて呪文を唱え始めた。中には、独自の舞いを見せる子もいた。
ちなみに、私はこの子どもらしい世界が大好きだ。
それを見ていた周りの女子は、
「頑張れー!」「行けー!」などと応戦。
ちゃんと冷めずにノってくれるところが、うちのクラスの良いところ。
すると、なんと雲の隙間から太陽が顔を出したではないか!
「すげー!」
「太陽の神様ありがとう!」
と歓喜の声が響く。
「今だー!実験するぞー!」と声をかけ、急いで実験を再開した。
しばらくして、また太陽が隠れた。
もうフリが効いてるから、みんなニヤニヤしている。
今度はクラス全員が、何かしらの形で太陽が出てくることを祈った。両手を挙げて呪文を唱える子、メッカの祈りをする子、訳も分からず運動会で覚えたエイサーを踊る子もいた。全員が同じ思いで異なることをしている。まさにカオス。笑
すると、いつも真面目な女子が、
「先生!日光の反射の学習じゃなくて、太陽を出す学習になってるよー!」
と満面の笑みで話してくれた。
すると、二度目の奇跡が起きた!なんと再び太陽が顔を出した!
「今だー!実験するぞー!」
その後も太陽が隠れたりで実験は不十分のまま終わった。
しかし、みんなの表情を見れば明白である。この実験はある意味
完全勝利だ。
学級を作り上げていく上で、こういった「うまくいかないことに対して学級全体が前向きに捉えたストーリー」は欠かせないと思っている。
・不都合に対して誰かが動き出したこと
・それにみんなが反応できたこと
・そして笑って終えれたこと
このストーリーが後々必ず効果を発揮する。だからこそ、このストーリーの何が良かったかというのを子ども達が腑に落ちる形で伝えてるというのが大切なのだけれど。
体育をしながら様子を見ていた同僚には
「セロリ先生、何してたんですか?変なことしてませんでした?」と言われたが、
「いやー、盛り上がりましたねー。」
と誤魔化した。笑
誰かにとっては無駄と思える時間に見えただろう。
でも、私にとっては価値ある時間だった。
子どもの世界に入り込み、子ども達の温度や思考に触れることができた気がした。
この子どもの世界との距離感って、実は難しくて。
つい大人の世界で、大人のものさしで見てしまう。
それはそうなんやけどさ、それだけじゃ子ども達は苦しいよ。
だから、逆ができる教師こそ本物だと思う。
子どもに大人の世界に付き合わせるのではなくて。
子どもの世界に、大人が入り込んでいけるような教師が。
改めて、その感覚を思い出すことができた。
太陽の神様、素敵な奇跡をありがとう!