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月刊読んだ本【2025.01】


嫉妬/事件

 アニー・エルノー/堀茂樹・菊地よしみ 訳 (ハヤカワepi文庫)

ニュートン式超図解 最強に面白い!! 単位と法則

 和田純生 監修 (ニュートンプレス)

 16-17世紀に生きたケプラーがケプラーの法則を発見したの、正気とは思えない。

月は無慈悲な夜の女王

 ロバート・A・ハインライン/矢野徹 訳 (ハヤカワ文庫)

 今年も毎月SFを読む、が始まりました。
 すごすぎる。1966年の作品というのがエグすぎる。想像力がすごいし、物語の展開やらキャラクタの思想やらが丁寧に描写されていて、完成度が高すぎる。知性を持った機械との友情が描かれるけれど、この本が書かれた当時の状況としては、革新的な物語だったのだろうか。はたまた王道のモチーフだったのだろうか。現代人だったら、その機械が裏切ったり敵側にも同様の機械があって窮地に陥る展開にしそうなものだ。あるいは機械なのは自分たちの方で機械だと思っていたものが実は人間だったという種類の物語もあるだろう。SFを代表する作家の代表作なのでそんな展開にはならなくてよかった。この作品がそういう展開だったら、それがSFのスタンダードになってしまう可能性があったから。
 この作品の特徴は機械との友情という点だけではなく、月世界で発展した文化を描いていることにある。独自の家族観は受け入れがたいが、それは逆に異世界を演出するのに役立っている。ルーツは同じ地球人類なのにもはや異星人に近いように感じさせる。だから地球人たちは月世界人を畏怖しているのだろう。読者はハインラインの想像力に畏怖するのだろう。
 あと、ガンダムみたいだった。月に追放された人たちが反乱を起こすのはジオンのそれだし、地球に岩をぶつけようと画策するのはアクシズやコロニーを落とすあれに似ていた。邦題はディアナ様を想起させる。
 よしなに。

はじめて学ぶ ぼくたちの温泉科学

 森康則 (三重大学出版会)

 温泉の規定が25℃以上という根拠が曖昧だけれど存外妥当という話がおもしろい。
 レジオネラはその病名である「在郷軍人病」の在郷軍人(レジオン:Legion)からというのは知らなかった。何気なく入る温泉も、衛生管理をきちんとしないといけないというのは当たり前だけれど考えたことはなかった。それで営業停止したら温泉施設も入浴客も双方にデメリットがあるのでとても大切なことなのだ。
 δダイアグラムにより酸素と水素の同位体比から温泉の水源の由来を知るというのは興味深い。そもそも温泉水の由来なんて考えたことはなかった。地下水が湧いてくるだけだと思っていた。それが雨由来で地下に染み込んだものなのか、過去の海水なのか、マグマ由来の水なのか、そんなことも推定しうる。
 温泉のことを知ると温泉に行きたくなるし、次に行く温泉のことをよく調べてから行きたいものである。それが温泉に対する礼儀であるように思う。

Q&A 火山噴火127の疑問

 日本火山学会 編 (講談社ブルーバックス)

 火山は興味深いよね。想像を絶する規模の噴火はきっと想像を絶するので正直いって全くイメージできない。火山を知ることは地球を知ることで、プレートの動きがあって噴火があって我々はこの島に住んでいるのだ。つまり自分がいる場所を知ることなのだ。みんな火山をナメ過ぎだけど、もっと火山について知ったほうがいいと思います。火山地帯の温泉に行くときも、どんな山なのかどんな温泉なのかを知ればさらに楽しいだろう。こういう火山だからこういう温泉なのか。そしてもし噴火したらどうすればいいかあらかじめ対策も取れるかもしれない。どうあがいても逃げ場がない場合もあるだろうけれど。とにかくもっと火山について知りたい。

ニュートン式超図解 最強に面白い!! 数学 数と数式編

 木村俊一 監修 (ニュートンプレス)

クソッタレな俺をマシにするための生活革命

 済東鉄腸 (左右社)

 1冊目に引き続き名著メイカーでした。
 引きこもりの著者が読書にのめり込んでいって出会った価値観の話である理論編と引きこもりから脱する実践編が描かれる。相変わらず本を読みすぎで最高だし、本を好きな人が本が好きと語っているのは最高である。世の中わからないことだらけだし無限に本読みたいよね。
 理論編ではいきなり性の話が始まる。そんな本だと思っていなかったから戸惑う。でもね、戸惑うことではないんだ。性に関する話題はタブーなんかではない。自分はマジョリティだから? だからマイノリティの人たちを忌避していないか? 確か人間はそういう生き物かもしれないけれど、誰もが何らかの性をもっているのだ。向き合うのは怖い? 恥ずかしい? そうかもしれない。だからこそきちんと考える。著者は考えた。
 僕も考えた。
 僕の場合は、男3人の真ん中なので「真ん中の子が女の子やったらよかったのに」といつも言われることが問題だった。どこにいってもそう言われる。祖母もそう言う。知らない誰かがそう言う。「女の子がほしかった」と母は言う。それらの誰かはどの程度本気で言っているのだろうか。そんなことはわからない。深い意味なんかないかもしれない。でも10歳にもならない子どもにはわからない。
 小学校に通ったら今度は別の問題が発生する。名字の一文字目が「わ」なのでいつも出席番号は最後だった。ひとクラス40人で、いつも出席番号は20番前後だった。19番のこともあるし22番のこともあるけれど、21番のことが多かった気がする。これが問題だった。前から順番に5人ずつ区切られてグループを作られると、21番の僕と女の子4人のグループができあがる。他の男はみんな男だけのグループなのに。いつもそうだった。小学生や中学生にはとても苦痛だった。恥ずかしかった。一人だけ男扱いされていない気がして。なんだよふざけやがって。日本語の50音が赦せなかったし、配慮しない教師も赦せなかっった。男女混合の番号じゃなくて、男から順に番号を振っていってその後ろに女の子がくる制度が赦せなかった。今では違うのだろうか。地域によっても変わるのだろうか。とにかく僕は苦痛だった。家庭でも学校でも男だと認めてくれることは少なかった。憎んだだろう。だから「男」と「女の子」という表記に表れるのだろう。男を軽蔑している僕の意識が。「男」より「男の子」のほうが親しみがないかい? そう思っていないから「男の子」とは表記しない。
 性の自認とか認識とかあまり考えたことないと思っていたけれど、よく考えたら上記のことをいつも考えていた。今でも基本的に男の人は苦手だし友達もいない。そんなものいない。いらない。あいつら敵だもの。そういうふうに僕は作られてしまった。
 そして当然僕も引きこもりだったので、著者の気持ちがわりとわかる。
 でも著者の行動力はすごいし、挑戦する姿勢に僕は敬意を払う。
 行きつけの書店で読者と交流したり、バーのマスターに声をかけたり、もちろん変わっていこうとして変わっていったのだけれど、それが難しいんだって。だからすごい。そしてこの本を読んだ読者は刺激を受けて行動を起こすかもしれない。引きこもりをやめるかもしれない。著者に会いに行くかもしれない。
 そういう行動の引き金になっているのは思考にある。考えること。幸い、引きこもりには時間が大量にある。考えるのにはうってつけである。だから考える。よく考える。
 著者の姿勢で興味深いのは、カタカナ語に違和感を覚えて日本語にできないかと考えて案を出している点だ。「ケア」なんてわかった気になった言葉でごまかされてもなんか壁がある気がする、と。確かに。日本人なので母語である日本語の方がやはり言葉としてしっかり理解できる。すっと馴染む。幸い、日本語はそういうのが得意分野なので、著者も言葉を生み出すことに成功している。主に明治時代に入ってきた多くの外来語を日本語にした経歴が日本人にはある。もちろん中には直感的には理解できない言葉もある。でも日本語にしようという姿勢に敬意を払うべきだ。その言葉が本質とズレてしまっていたら、それはまた考える機会を得ることができるということだ。
 それから、エッセイを書くから語源になった『エセー』を読むというのが素晴らしいし、僕も読みたいと思った。

「狂い」の調教 違和感を捨てない勇気が正気を保つ

 春日武彦・平山夢明 (扶桑社新書)

 この人たちは狂気をわかっているから冷静でいられるんだよな。逆に、狂気を見つめているから狂気を知っているのだろう。正気じゃない人もみんなこの人たちの対談を読めば楽しいし冷静になれるかもしれない。少なくとも一旦立ち止まって考えることは大事だよね。それができない精神状態なことが問題なんだろうけれど。
 小説の終わりを考えていないときに、家とかを燃やす展開にするというのめっちゃ笑ってしまった。それでいいのかよ。
 今の日本の現状に言及してまた対談本を出してほしい。

荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方

 荒木飛呂彦 (集英社新書)

 やはり漫画家という職業、マジ尊敬する。ジョジョが第一部から鉱物にこだわっているということに言及されてはじめて気づいた。言われなければ気づかない細部にきちんとこだわりを持って作っているから作品に奥行きが出るんだと心で理解できた。
 本題の悪役についても非常に興味深くて、めちゃくちゃ強いラスボスが足をすべらせるとかそういうしょうもないミスで負けるなんてあってはならないという作者の矜持が心強い。だから彼の漫画は面白いのだ。

文藝 2025年春季号

 (河出書房新社)

 リディア・デイヴィス『カフカ、料理する』(岸本佐知子・訳)を読む。解題を読んで、カフカが書いた手紙を分解して再構築した作品だとわかる。すごい構成だ。やはりリディア・デイヴィスは現存する神なのか。

哲学史入門Ⅰ 古代ギリシアからルネサンスまで

 千葉雅也 納富信留 山内志朗 伊藤博明/斎藤哲也 編 (NHK出版新書)

 非常に興味深い。「無知の知」ではなく「不知の自覚」という箇所がよくわかった。知らないということを「知っている」わけではない、その途中。知らないと「思っている」のだと。不知を自覚して一生勉強しろ。世の中よくわからないことだらけだ。
 とても良い本だったけれど、誤字と脱字が気になる。
「アリステレス」という表記が出てきて、「アリストテレス」のことだとわかるけれど、もしかしたら「アリステレス」なる人物が存在したのかもしれない。哲学界隈では「アリステレス」という通称があるのかもしれない。そんなことはわからない。こっちは哲学史に入門している読者なのだから。前後の行には「アリストテレス」ときちんと表記があるので、おそらく「アリストテレス」の脱字なんだろうけれど、気になってしまう。
 あと、『「善と何か」「美とは何か」という(略』という箇所も気になる。「善と何か」が正しい表記だろう。「善と何か」と「善とは何か」では全く意味が異なってしまうので、この脱字は危険。文脈的に「善とは何か」だとわかる。でも「善と何か」という可能性は捨てきれないのではないか。絶対にそうじゃないとは言い切れない。
「神の証明」が「神の照明」となっている箇所もあって、全知全能の神が世界を照らすからなと思ったけれど、どう考えても誤字である。
 僕がそんなことを気にしてしまうのは、書いてある文字を一字一句読み落とさずに読みたいタイプだからだろう。だから本読むの遅いんだよ。いったいどうして「アリステレス」なんて表記が出現するのだろうか? この本はインタビュー形式なので、録音した音声を文字起こしツールで文字に起こしたからこうなったのだろうかと思ったりもする。そういうことかどうかは「知らない」。

哲学史入門Ⅱ デカルトからカント、ヘーゲルまで

 上野修 戸田剛史 御子柴善之 大河内泰樹 山本貴光 吉川浩満/斎藤哲也 編 (NHK出版新書)

 2巻は哲学史の花形。ビッグネームしか出てこない。スーパースターの饗宴! という感じだ。
 そしてやはりカントは難しい。やはりヒュームは好き。
「超越論的」とか「理性」「悟性」などの用語をきちんと理解してからでないと理解は深まらない。「純粋理性批判」の「批判」は「分ける」という意味とかいうのはどういうことなのか。じゃあなんで「批判」なんていう日本語を採用したのか。などと戸惑うので元の言語を勉強してそこから意味を汲み取ったら意味が理解できるのではないか。その上で、「批判」で正しい日本語なのかそうでないのかを理解できるだろう。
「合理主義」とか「イギリス経験論」とかいうのは後世の人が勝手にわかりやすく区分したためにうまれたので、勝手に彼らの思想を「経験論だから」と決めつけて一括りにして考えてしまうのは良くない、というのが一番印象に残った。
 他のものを読んでまたこの本に返って来たとき、僕はきちんと理解ができるだろう。その足がかりとなる入門書としては良い本だった。

ひとこと

 一生冬がいい。

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縁川央
もっと本が読みたい。

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