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月刊読んだ本【2023.09】


デニムハンター

 舞城王太郎/『群像』2023年10月号 (講談社)

 私達マイジョウハンターは西暁町へ続く穴を探している。舞城の呼ぶ声がする。穴の中をさまよっているその時間こそが宝なのかもしれない。
 何があるかわからない穴の奥は不気味で恐怖を感じる。でもそこには宝があるかもしれない。穴の奥に冒険に赴くのは危険だからやめろというが人はそういうものに惹かれる。主人公は宝探しに来たわけじゃなくて、宝を探しに来て遭難した人を探しに救助に来たのである。助けないといけないという使命を言い訳にどんどん奥へ入り込んでしまう。好奇心とは恐ろしいものだ。自分を呼ぶ声に導かれてもう引き返せなくて、これは舞城王太郎の世界に迷い込んでいる僕自身のようだった。きっと読むものによって、この洞窟が何を暗示しているかは変わってくるように思う。別に何も暗示なんかしていないよという読み方もある。『入口』は日本語で『入る口』なんだという言葉にじゃあここは胃の中で出口は肛門かよ俺は文字通りクソかよ、という主人公だって言葉に囚われている。物語というものはそういう力を持ちうるべきものだし、舞城王太郎の言葉に僕は囚われ続ける。
 洞窟を抜けた先では舞城王太郎が何食わぬ顔で俺が舞城だけど? って待っているような気がする。

ナイン・ストーリーズ

 J.D.サリンジャー/柴田元幸 訳 (ヴィレッジブックス)

 柴田元幸訳ナイン・ストーリーズ。
 アンクル・ウィギリーとカタカナで書いて、訳すのが難しい言葉は元の言葉の響きを伝えることにして、意訳じゃないという点は好感が持てる。ただ、解説がないと意味がわからないとは思う。でも解説するのも野暮な気もする。他の箇所でも日本語で訳した横にカタカナでルビを振ることで英語の響きを大事に残していたりしていてよい。
 あと、久しぶりにサリンジャーを読んで、やはり会話が特徴的な作家だと改めて思った。

ウィザーズ・ブレイン Ⅹ 光の空

 三枝零一 (電撃文庫)

 ついに完結!
 長かった。1巻が出たのが2001年なので20年以上追いかけていたことになる。お疲れ様でした。
 正直ラストバトルは、地上最強VS地上最強という感じで、この世界の命運をかけた戦いにふさわしい二人だった。戦っていたのは地上じゃなくて南極衛生だけど。
 終わり方はこれ以上ないというかこれしかない。その後どうなったかは作者もわからない。もう彼らの戦いが読めないのは寂しい反面、完結してよかったと思う。短編集が出るみたいなので楽しみに待つ。
 最高に面白いライトノベルであった。ありがとうございました。星雲賞とかとってもおかしくない。星雲賞がどういうものかよく知らないけど。そして作者はSFじゃなくてファンタジーと言っていたけど。
 あと、絵柄が安定していて美しくてこちらも最高だった。

九つの物語

 J.D.サリンジャー/中川敏 訳 (集英社文庫)

 少し翻訳が古臭い言葉遣いで、でもサリンジャーが書いていた時代を考えるとその方が訳としてもしっくり来る感じはある。やはりサリンジャーは会話劇が魅力で難解で惹かれてしまうのだろう。
 この新しい集英社文庫は2007年に初版となっているが、オリジナルの訳本の年代や、旧文庫の出版年とかが書かれていないのが気になった。
 冒頭の「~に捧ぐ」がないのも気になる。字間の問題かフォントの大きさの問題か、若干読みにくさを感じた。

両性具有迷宮

 西澤保彦 (双葉文庫)

 ミステリ色は少し弱め。論理的な解決とかはない。でももちろんああだこうだ論理的に推理する西澤保彦の世界は健在。
 そしてセンス・オブ・ジェンダー賞特別賞なるものを受賞している。それは納得で、男性器が生えた女性のエロい小説だからという理由ではない。きちんと、そこに議論がある。肉体的な性、精神的な性、それとどう向き合うか、どのように愛し合うか。様々な立場や悩みがあって、いろんな考え方が描かれている。読者も色々考えてしまう。単に性器の愛撫だけじゃないと思いながらもそこに物理的にモノが生えているから目を逸らせないし、物理的な物質的な快感はあるよねという思いもある。
 実在の作家たちが友情出演(?)していて、読みやすいのやら読みにくいのやら……。そして創作のキャラクタは相変わらず読めない名前ばかりである。5回抜いた(?)。

ソラリス

 スタニスワフ・レム/沼野充義 訳 (ハヤカワ文庫)

 惑星ソラリスを冒険する話だと思っていたので、ステーションから一向に出ないから壮大に何も始まらない、てやつだと思ったが、そもそも冒険する話ではなかった。
 主人公たちの話の合間に、ソラリス学という架空の学問の話が出てきて、少し難解で何を読んでいるんだとなる反面、世界観の作り込みがすごくて感動する。主人公たちの物語とソラリス学の描写が交互に現れて、そういう静と動の緩急のつけ方はすごく好き。ずっと論文めいたものを読まされても疲れるので。でもその論文めいたものを書きたいわけで、それを読ませるためにはこういうスタイルをうまく活用しなければならないのだろう。
 先月読んだ『海外SFハンドブック(ハヤカワ文庫)』のオールタイムベスト海外長編部門の1位だったので読まなければならないと思った。正直、想像以上だった。圧倒されっぱなし。惑星を覆う海がひとつの生物のような反応を示し、そう考えなければ辻褄が合わないといわれてもにわかには信じがたく、荒唐無稽な話だと感じるのに、ソラリス学のあらゆる記述が真だと伝えてくる。そのソラリス学も本当に存在しているようである。そして、主人公たちの目の前に現れる存在を解明しようという試みがどうなっていくんだろう、どうすればいいんだろうと考えながら続きが気になる。もし自分の目の前にあの人とそっくりのものが現れたら? それは人間ではないとわかっていても、そう振る舞えるだろうか。
 人間を超えた存在あるいは未知の脅威を人間の形に描きがちな風潮(聖書の時代から神を人間に似せている)に一石を投じているという解説の記述にハッとさせられる。人類は地球の支配者だと思い上がって、この形が生物の究極進化系みたいに思ってしまうものな。そうじゃない可能性もあるやんと示した本作を読んだものと読んでいないものでは価値観すら変わっているかもしれないだろう。
 本書は新訳版で、訳者はソラリスが好きすぎてポーランドを学んで、ポーランド語の原典から翻訳したそうだ。すごい情熱だ。人生何があるかわからない。

ゼロからトースターを作ってみた結果

 トーマス・トウェイツ/村井理子 訳 (新潮文庫)

 ノンフィクション版ドクターストーン。
 工業製品に対して、人類の歴史とかどれだけの工程があるんだとか、思いをはせることあるよね。普段なにげなく触れているものたちも冷静に考えるとそこにあることはすごいことなんだよねと改めて感じさせてくれた。
 八重洲ブックセンターが毎年行っている八重洲本大賞のノミネート作品だったので読んだ。トースターの構造を解説して物質をひとつひとつ説明して、という堅苦しい本ではない。ユーモラスに書かれているから読みやすいし読んでいて楽しい。それでいて考えさせるドキュメンタリーになっている。
 実際に鉄鉱石を採りに行って自分で鉄を作ることがいかに大変か。そしてなにより身の回りに溢れまくっているプラスチックがいかに文明の力で作られているか。確かにそうだよなって少し考えればわかるはずだけれど、それに立ち向かってやってみようという著者のチャレンジ精神に拍手。困難だとわかりきっていても実際にやってみなければわからないよねというメッセージでもある。
 ところどころにマルクスやらアダム・スミスといった経済学者の言葉を引用してスマートに見える反面、インテリぶっているだけのようにも見えて、とても愉快。そういう引用をしつつも面白おかしく本を構成していくのは才能だし、幅広い知識をもつことは豊かな思索につながると感じさせる。
 なんの感情もなく工業製品の恩恵を受けている現代社会に生きる我々は全員読んだほうがいい名著だった。

悪文 伝わる文章の作法

 岩淵悦太郎 編著 (角川ソフィア文庫)

 昨今では、インターネットを通して、誰もが簡単に文章を書いて発信したり、それを読んだりできる。ネットの海に無数に存在するやばい文章を憂いている本だと思って読み始めたら、前書きの最後に昭和35年とあってびびった。
 本書は、様々な悪文の例を引用してこうした方がいいと指南する。その例文がいちいち面白い。もちろんツッコまざるを得ないから引用しているのだが。新聞や雑誌、広告、子供向けの文章、判決文など、様々な例文があって、日頃からこれは気持ち悪いと思う文章を蒐集しているのかと思った。中にはそこにツッコむのは野暮では? と思うものもあるが、それがこの本の存在意義でもある。例えば、新聞の記事に関しては、紙面が限られるのと締切があるのとで、奇妙な文章になってしまう可能性は多少なりともあると思う。だからといって仕方ないと割り切れるものでもないし、なるたけ悪文にならないように意識してほしいものであるが。
 裁判の判決文や役所が出す文章は、読む人が理解できないと意味がないわけで、それを一見しただけでは理解しにくい文章で書くのはいかがなものかという意見はそのとおりだと納得する。
 昭和30年代に書かれている本ではあるが、現代でも通用することばかりが書かれている。日本語の乱れはその時代からあったんだという発見と同時に思うことがある。それだけ悪文が世にあふれているのは憂うべきことかもしれないが、日本人の識字能力の高さも示しているのではないか。多くの国民が読み書きできるようになったのはおそらく明治以降で、それ以前は文字を読んだり書いたりできない人も大勢いたはずで、しかも文章は文語調で書かれることが一般的だった。それが昭和には誰もが読み書きできるようになっていた。だからこそあやしい文章が存在するようになったのだ。前書きに、明治は美文時代だったとあるが、それはまだ文章の読み書きに精通しているのが一部のインテリに限られていたからではないかと思った。一般人が気軽に文章を書いて世間の目にさらされるような時代ではなかったのだろう。特に新聞広告などは、明治時代に気軽に載せたりできるものではなかったのではないかと推測する。実際どうだったかは知らないが。明治ではそれなりに教養のある人しか文章を発信できなかったであろうし、そうでなかったとしても、昭和30年代にはより多くの人が発信できるような時代になったと推測でき、悪文が目につきやすくなったというのもあるかもしれない。もちろん、そういう時代なら、なおのことしっかりした文章を書くように心がけるべきであるのだが。
『文の筋を通す』という章が個人的には特に面白かった。その中で、現代(書かれた当時)では悪文だが、こういった用法が一般的になれば将来はわからないということが書いてある。そういう記述を21世紀の我々が読んで、半分はそのとおりかもしれないと思った。例えば、受身形は翻訳文に多くて日本人にはとっつきが悪いという箇所がある。それはわかる、と同時に、そういう文章を多く目にして育っているからそこまで違和感はないようにも思う。翻訳された文章や、英語等の発想を取り入れた日本語は溢れかえっているのでそれがもはや英語由来なのか日本語に元々あった表現なのかわからないという事態になっていると思う。「最も~なものの一つ」は「one of the most~」を訳したものと思われるが、自然とその形が定着してもとから日本語でもそう言うんじゃないかと思ってしまう。それが悪文かどうかという話ではなく。
 読んでいて、自分もこういう文章書いてしまうことあるよねと思う箇所が多々あって、もっと意識して文章を書きたいものであると改めて思った。
 本書も八重洲ブックセンターの八重洲本大賞ノミネート作品です。

もう一度、学ぶ技術

 石田淳 (日経ビジネス文庫)

 例によってこれも八重洲本大賞ノミネート作である。
 特に目新しいことは書いてなかった。僕にとっては、半分は無意識のうちに半分は経験から習得してしまっていることだったから。そういうメソッドをもっと幼い頃に教えてほしかったよね。でも子供の頃にそれを実践できたとは到底思えない。
 学生の頃からだけれど、通勤や通学の電車の中で僕は本を読む。それは習慣になっている。そしてそれは本が好きだし読みたいから読むのだ。仕事で必要にかられて読んでいるわけではない。通勤通学電車は本を読むものだと思っているし、それは楽しみでもある。そのために通勤に電車で30分以上はかかるところに住む。たんに趣味で読む本だけではない。試験前はもちろんテキストを開いて勉強していた。試験が終わったらお預けにしていた読書ができる、というご褒美のために。最近では、家から駅まで歩く間は英語の教材を聴いている。毎日英語に触れるだけでも、何もしないよりマシだと自分に言い聞かせて。それも全然苦痛じゃない。何なら楽しい。読書および英語を聴くことを習慣化するのはたやすく、僕は無意識のうちにそういう人間になっていた。
 経験から習得したことは、寝ることだ。10代20代の頃は夜更かししても平気だった。次の日眠たいけれど、若いから体力がある。なんとかなる。それがいつしか夜更かしがきつくなってきた。一度早めに寝てみたら翌日とても楽だった。睡眠って大事なんだなって30歳を超えて気づいた。遅い。そして、眠れないときも、電気を消して布団をかぶっているだけで、起きてなにかしているより、翌日は疲れが少なかった。毎日6時間は寝たいので、6時に起きるなら12時には電気を消して布団をかぶるよう努めた。毎日同じコンディションで読書なり勉強なりをするためには、前日からの準備が大事。翌日のことを考えて早く寝る。翌日だけでなく、先のことを考えて計画を立てるのが好きだった。大学の試験の日程がわかれば、そこから逆算して勉強の計画を立てる。今日はこの科目、明日はこの科目と。その日はその科目しかしない。そういう能力を習得していた。
 最初は少しだけでもいいから毎日続ける、自分にご褒美をあげる、一日一単語覚えただけだったとしても自分を褒める、等が本書には書かれていてすでにやっていることじゃんと思った。もちろん、自分は実践できていない箇所や賛同できない箇所もあるので全くためにならなかったとは言えない。逆に言えば、自分のやり方は間違っていなかったんだと自信になる。
 本書は趣味や資格試験や生活習慣に応用できるという点でいい話だった。ていうか勉強するの楽しいよね。世の中よくわからないことだらけだからもっと勉強しろ。勉強したくて週4日勤務で働いているのだ僕は。パンクに生きているので。

 ▽ついでに僕のおすすめの勉強法も紹介しておく。半分は冗談なのであまり真に受けないように。

ひとこと

 八重洲本大賞、ノミネート作の発表が9月14日で、投票締め切りが10月1日は早すぎる。2週間しかない。せめてひと月はほしい。

 また来月。


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縁川央
もっと本が読みたい。