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奴隷紀①

 下部温泉 2022.9.6-9.7(前編)

 ※奴隷紀とはインプット奴隷合宿の紀行文的なことである。

 以前から行きたかったインプット奴隷合宿に行った。どんなものかと思って。
 インプット奴隷合宿とは、インプットの奴隷である我々が、俗世を捨て温泉宿などに引きこもって読書する行為である。(以下参照)

 このインプット奴隷合宿という行為、すごく楽しそうだと思った。と同時に親近感を覚えた。僕は電車の中が一番読書が捗ると思っているので職場から電車で30分以上はかかるところに住む。新幹線の中で本を読む口実としてわざわざ仙台まで行くこともある。仙台に行くときは、イービーンズの古本市が開催されているときだけだけれど、もはや古本市がメインなのか新幹線での読書がメインなのかわからない。読書のための空間をわざわざつくって読むという意味では、インプット奴隷合宿と僕の仙台行は似ている行為だと思った。
 僕は旅先であまり本を読まないタイプだから、温泉に行っても退屈だった。旅をしているのに本を読むなんてなにか違う気がすると思っていたのだ。だがそうではない。逆に、本を読むチャンスに変える発想はなかった。その手があったかという感じだ。
 旅の記憶と読んだ内容がリンクする。読んだ内容から旅先のことを思い出したり、その逆も然りだと水野さんは言う。確かに。その説明には納得がいった。僕は初めて仙台に行ったとき、スピッツの『おるたな』というアルバムをよく聴いていて、あのアルバム(特に『タイム・トラベル』という曲)を聴くと仙台のことが思い出されるものな。同じ現象が本でも起こりうる。と同時に時間を無駄にしないですむ。
 いつからか僕は、旅先では旅先の音を聴きたいから旅行中に音楽を聴かなくなったし、車窓からの景色を観たいから本も読まなくなった。本を読むと旅に日常生活が混ざってしまう気がして避けるようになっていたのだ。旅人の生き様としてはそれは正しい態度かもしれないけれど、他の生き様だって持っているのだ。だから、本を読んだっていいんだ。
 ということで、僕は今回初めてこのインプット奴隷合宿を実践してみた。その記録である。

 今回、幽閉される場所は山梨県下部温泉である。
 なぜか。
 ――それは僕が山梨県に2時間ぐらいしかいたことがないからだ(山梨県で泊まるの実績解除がしたいの意)。

 選出理由はそれだけではない。
 選出するにあたって自分なりに条件を決めた。

 ①そう遠くない場所
 1泊の予定なので、遠いと移動で1日目が終わってしまう。それだけで疲れてしまって宿では寝るだけになってしまう。距離的な問題だけでなく、アクセスのしやすさも含む。鉄道だけで行けるのが理想。
 主な候補地としては他に石和温泉(山梨県)、塩原(栃木県)、那須(栃木県)、あたりがあった。
 石和温泉はアクセスはしやすいがわりと街なかにあるのでゆっくりできないと思った。2泊以上するときは息抜きに街歩きしたりすることができるので2泊以上するときに利用しようと思った(奴隷は観光してはいけないはずだが)。
 塩原と那須だが、新幹線の駅に那須塩原駅というのがあってアクセスしやすそうだと思った。だが、塩原の温泉と那須の温泉は違うところにあるらしいしどれに行けばいいんだと戸惑った。そして駅からバスでそれなりに時間をかけて移動しないといけない。今回はバスを使うつもりはなかったのでやめた。そして塩原温泉というのは、野岩鉄道の上三依塩原温泉口駅という一体どこに温泉なんかあるんだっていうことで悪名高い駅に関係がある。以前野岩鉄道に乗ったときになんやこの駅と思ったものである。もちろん駅前から温泉までバスは出ているはずだが、そもそも上三依塩原温泉口駅まで行くのがひと苦労なので当然相手にはならなかった。
 あと、アクセスのしやすさには、宿のチェックインの時間に到着することも含まれる。15時からチェックインできるなら15時前には着いて、すぐにチェックインして滞在時間(読書時間)を長くとれるようにしたいからだ。

 ②行ったことのない地域
 せっかくなので未踏の地がよい。
 未踏の都道府県は、富山県、愛媛県、高知県、大分県、宮崎県、鹿児島県が挙げられるがどれも距離があるので今回は断念。
 次の候補は滞在時間の短い県である。それに該当するのは、茨城県、山梨県、岐阜県、滋賀県、福岡県である。距離があるものは避けたいので関東近郊の茨城県と山梨県が候補に挙がる。そして僕は今、山梨県の方が興味があった。あと、身延線に乗ったことがなかったので山梨県が選ばれた。

 ③秘湯は避ける
 奴隷初心者がいきなり秘湯に行く資格があると思っているのか?
 山奥にある秘湯は、心底不便で奴隷にうってつけかもしれないがそれは上級者がすることだと思った。特に2泊以上した場合の2日目(初日と最終日以外)は、周りにお店の一つもない場所なら本当に引きこもる以外ないので2泊以上するときのために取っておこうと思う。

 色々候補はあったが、山梨県に行きたい欲が高まったので下部温泉に決まったというのがなにより大きな理由であろうと思われる。

宿

 下部温泉の温泉街は下部温泉駅から1キロほど離れたところにあるが、それぐらいなら歩けばいいしと思って宿を探した。
 宿をいろいろ調べていると、1人では宿泊できない宿もあって断念せざるを得なくなった。あるいは古臭くて雰囲気ありまくりの宿は奴隷初心者向けではないと思ってやめた。あるいは湯治ガチ勢御用達の宿、みたいなところで温泉がメインじゃなくて読書がメインの輩がお邪魔しては悪いと思ってやめた。
 下部温泉は、武田信玄の隠し湯などとキャッチコピーがつけられている。武田信玄が戦の傷を癒やすために浸かったと言われている。ほんとに? それはともかく、その湯は低温で珍しいと思った。同時に新しい熱い湯もある。両方入れる宿も宿探しの条件に入れた。
 そうやって候補を絞っていった。結局泊まったのは駅の近くの宿であった。
 今回、泊まった宿は『梅ぞ乃』さんでした。

 宿泊場所が決まったので、持っていく書物の選定をした。
 せっかくのインプット奴隷合宿なので、前から読もうと思って読めていなかった本を選んだ。つまり積んでいる本を消化するいい機会が訪れたということだ。
 そして今回選んだ本はこれだ。

『禅の道』オイゲン・ヘリゲル/榎木真吉 訳(講談社学術文庫)
 オイゲン・ヘリゲルのファンなのにこんな本が出ているとは知らなかった。仙台の古本屋で偶然見つけた。

『はじめての聖書』橋爪大三郎(河出文庫)
 以前読んだけど、今回持っていく他の本の参考になるかと思って連れてきた。 

『ふしぎなキリスト教』橋爪大三郎/大澤真幸(講談社現代新書)
 話題になっていた当時に買って10年ぐらい積んでいた。出立の数日前から読み始めた。「ヤハウェは国連」とかおもしろワードが出てきて楽しい。

『どろどろの聖書』清涼院流水(朝日新書)
 この人(かどうかは定かじゃないが)は、昔は流水大説などというものを書いていたのにいつの間にかTOEIC本を書くようになって時代小説を書くようになってついにはカトリック信徒になった。ファンとしては戸惑いしかないが読むしかない。

『この一冊で「宗教」がわかる!』大島宏之(知的生き方文庫)
 これも15年ぐらい積んでいた本である。最新の知見では違う見解の記述もあるかも? とは思うがこれを機会に積みをなくす。

 個人的な推し宗教は道教であるが、キリスト教にも興味はある。聖書も読みたい。

 いつ奴隷に行くかの選定は悩んだ。
 なぜか。
 ――暑いから。

 夏の暑いのに外に出るのは苦痛である。最悪死ぬ(死が最悪かどうかは死んだことがないから不明だが)。
 要するに暑いのは苦手である。
 なのであまり夏に旅には出ない。
 でも行きたいという思いが勝った。
 8月はじめに計画を立てたが、8月中は子どもたちが夏休みで奴隷シーズンじゃないと思って避けた。なので9月。
 9月といえば、数年前に日光に行ったことを思い出した。あのときは9月10日前後でそれなりに過ごしやすかったと記憶している。同じぐらいの気候だと僕は勝手に判断してその時期を選んだ。でも冷静に考えて暑い。でも奴隷したい。でも暑い。
 日本の夏というのは決して爽やかなものではない。井上陽水の『かんかん照り』とかいうSFっぽい歌に描かれている情景が日本の夏なのだ。心も動かない。

1日目①

 そろそろ旅の話をします。

予定

2022.9.6 Tue.
1030 新宿駅→(中央線特急)→1205 甲府駅
XXXX (昼食)
1325 甲府駅→(身延線)→1434 下部温泉駅
1500 (チェックイン)

甲斐路

 僕は高校に自転車で通学するんだけど、途中でズボンを履いていないことに気づいて家に戻る。そしてズボンを履くけど、また途中でズボンを履いていないことに気づいて戻る。それを繰り返す。いつの間にか履いたはずのズボンが消えていて遅刻する。そんな奇妙な夢を見て目が覚めた。8時前のことである。
 何を暗示しているのだろうか。きっと、なんのたとえでも象徴でもメッセージでもない(※)。
 遅刻する夢はよく見る。でもそれは遅刻してはいけないという思いの表れで、時間にきっちりしているよねということを示すとかなんとか。でも強迫的なまでに時間を気にしすぎてしまう。鉄道で旅をする人はわかると思う。徹底的にダイヤを調べて計画を立てるから。何時の電車に乗るには何時にこの駅について、でも電車遅れる可能性も考慮して、途中でお腹痛くなるかもしれないし、ということを考えすぎてしまう。家の最寄り駅から9時40分発の電車に乗れば新宿に10時20分ぐらいに着くと前日に付箋に書いて机に貼っていた。にも関わらず結局、少し早めに家を出て新宿駅には10時前に着いた。
 最寄り駅から品川駅まで京急で行く。「品川駅は港区にある」「北品川駅は品川駅の南にある」などというクリシェが12両編成の列車内のどこかでささやかれる。ついでに言うと目黒駅は品川区にある。僕は本を読む。
 品川駅のホームの位置が変わっていて焦る。しかもリニアがどうたら地下鉄がどうたらで工事していたり、それに伴う改装が進行している。慣れ親しんだ駅が変わっていく。僕は本を読む。
 山手線に乗る度に思う。五反田の発車メロディうるせー。僕は本を読む。
 やがて渋谷や原宿をすぎる。そんな若者の街、怖くて降りられない。刺されるんちゃうか。でも新宿になら刺されてもいい。新宿大好き。まさか甲州街道の新しい宿場として内藤新宿と名付けられたときに、日本一の都会になって、そして世界一乗降客数の多い駅が設置されるとは思わなかったであろう。小さな川の名前だったモスクワがロシア連邦の首都の名になるとは思わなかったのように(という由来を聴いたことがあったけど意外と大きめの川っぽい。少なくとも小川ではない。大陸基準では小さいのか?)。
 新宿駅に着いた僕はとりあえず10番線のホームへ向かう。反対の9番ホームにはあずさが停まっていた。松本とかいう最高の街に向かう列車だ。それを横目に待合室で僕は本を読む。

かいじとは甲斐路である

 10時10分頃に甲府行かいじ15号が入線してきた。E353とかいう車両だ。浅草線の5500とかいうのに顔の形が似ている。最近の流行りなのか? あまり車両に興味ないからよくわからない。

おしゃれね

 以前この車両は、松本から新宿まで乗ったことがあった。普通車に。なので今回はグリーン車に乗ってみた。

1030 新宿駅→(中央線特急)→1205 甲府駅

レッドカーペット

 さすがグリーン車である。快適性が違う。グリーン車の利点はシートピッチが広いとかフットレストがあるとか床がカーペットとか、そんなことではない。それもあるけど、なにより選ばれた人間しか乗っていない点が最大の利点であり快適性につながっている。もちろん選ばれたのではなく、自分でグリーン車を選んでいるんだけれど。ともかく、ワイワイ騒いでいる輩はいない。基本的に子連れも学生もいない。たまに乗ると感動する。僕は本を読む。
 新宿を出て中央線は西へ向かう。立川、八王子、そして山梨県へ。

 ここで問題が発生する。
「エウレーカ! 甲府駅で興奮して、そこで一日過ごした」
 そんなわけはない。
「甲府で交付した」
 何を?
「咳した(cough)」
「水野さんダジャレ好きすぎでしょ」

 本来なら、甲府駅で降りて駅ビルで昼食を摂ろうと思っていた。そして駅前をブラブラして次の電車まで時間つぶしがてら観光しようと思った(奴隷のくせに)。次の電車というのは13時25分発なので一時間半ぐらい時間がある。余裕を持って予定を組んでいるからだいぶ時間がある。身延線は本数が少ないから仕方ない。そう思っていた。
 しかし、甲府駅に着く前に車内アナウンスで、12時11分発の電車があるので乗り換える人は後ろのホームに行ってねと案内があった。接続が考慮されている。これは乗って向こうに着いてから昼食後、15時00分即チェックインからの読書が可能だと判断した。当初の計画だと、14時34分に下部温泉駅に着いて、温泉街を見て回ってから15時30分にはチェックインできたらいいなと思っていたので、読書の時間が増えることを考えたら12時11分発に乗らない手はなかった。
 それが罠だった。うっかりしていた。久しぶりにローカル線に乗ったのである。つまりICカードが使えない。品川駅から甲府駅までの運賃の支払いが済んでいない。めんどくさい。ということでこれは駅員のいる駅で申し出るか降車の際に運転手(ワンマンなので車掌はいない)に伝えないといけない。品川からの入場の記録はICカードに残っているので、運賃を支払って入場記録を消してもらう必要がある。だからICカードの操作をできる駅にいかないといけない。翌日は身延線を南下して静岡側から帰る予定なので、JR東海の駅ではJR東日本の駅の入場記録は消せないかもしれない(知らんけど)。焦った。戸惑った。本は読んでいない。
 いつもならローカル線でICカードが使えるか事前に調べるのに、僕は今回それをしなかった。甲府でいったん外に出る予定だったからそこで考えればいいとどこかで無意識のうちに思っていたのだ。奴隷に気を取られすぎて旅人の生き様を忘れてしまったのだ。しかし、丁寧な計画を立てることは快適な奴隷生活につながるはずなのである。久しぶりの旅に浮かれて奴隷に対する心構えを怠ったのだ。本当の奴隷なら完璧な計画を立てて1秒でも長く読書できる時間を確保したことであろう。現場で戸惑って雑念が入るようではインプットに集中できない。旅人のときに習得したアビリティを使え。
 でも、予定にないトラブルに遭遇することもそれに対処することも旅の魅力なのだと思うのである。よく思う。つまり予定にないことはよく起こるのだ。インプット奴隷合宿などという概念を知らなければ下部温泉を訪れることもなかったかもしれないのだ。そんなことは人生に予定されていなかった。同じことである。

下部徒歩行

 結局、13時30分頃には下部温泉駅に着いた。

 駅前の丸一食堂で昼食をいただく。

やまめそば 1000円

 だいたいどこに行っても迷ったらそばを食べる。

 昼食を終えて時刻は14時になろうとしている。チェックインまで一時間あるので、温泉街を見て回るのにちょうどいいと思った。

斜張橋

 下部川にかかる斜張橋を渡る。温泉街まで1kmの表示。晴れ。気温高し。
 何らかの歌を口ずさみながら歩く。山梨県を歩いている。ここは山梨県南巨摩郡身延町である。以前山梨県に来たときに歩いたのは北杜市だった。まだ、甲府市にも富士吉田市にも行っていない(通過しただけ)。山梨県で一番興味深いのは中央市で、もちろんそこにも行っていない。平成の大合併のせいで生まれた変な自治体名である。県内で一番住み良い街として有名である。ていうか変な地名の土地に行きたい。南セントレア市とかな。
 そうこうしているうちに温泉街に到着する。

 武田信玄推しが激しい。

この周辺が一番栄えている

 山の中の田舎道に宿がある。しかしそれだけである。はっきり言って寂れている。平日の昼間だからというのもあるかもしれないけれど、ほとんど誰とも出会わなかった。地元の人2人ぐらいと猫が一匹。旅人か旅館の送迎かわからぬ車がたまに通り過ぎていくだけである。
 隣には下部川が流れていて、川沿いの宿ではさぞ川の音がうるさかろう。でもそれは自然の音を聴きながら都会の喧騒を忘れるのにはうってつけなのかもしれない。
 このあたりで僕は腹痛に襲われる。夏だものな。汗が冷えてお腹を冷やす。つらい。だから夏に外に出るのはやめたまえ。といつも思うのである。
 なので引き返す。温泉街の端まで来たけれど、開いているお店もない(というか営業しているのか不明)し、閉まっているお店もあるし、廃墟も多い。土日の夕方などは土産屋が賑わったりするのだろうかと幻視してもと来た道をたどる。
 はじめの斜張橋を渡った先に金山博物館というのがあるのでそこでトイレを借りた。トイレだけ借りた。金山のことはインプットしなかった。時間的な問題もあったし、体がまた冷えるため冷房が効いた空間にいるのは避けたかった。外の日陰の方がちょうどよかった。
 金山博物館前の足湯を利用して休んだ。やはり誰もいなかった。駐車場に車は停まっているのに、足湯を利用している人は皆無だった。その方が落ち着けるし心地よかった。足湯って気持ちいいんだね。

 さて、そろそろ15時なので宿に向かう。
 ここまでのインプット時間。
・0930-1000(電車内)
・1030-1200(かいじ)
 ――たったこれだけである。新宿駅のホームの待合室でも読んでいたけど、電車内でずっと読んでいるわけでもないので、結局約2時間ほど。
 でもよく考えたら、休みの日に家でそんなに本読まないのでよくやっていると思います。

(後編に続く)


※いきなりミスチルになるのやめてもらっていいすか。


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縁川央
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