大学卒業に際するほどのことでもないけど
あいみょんはあんな歌やこんな歌で恋を乗り越えてきたらしい。
対比にすらなってないけど、私はこんな、他人からすれば非常にしょうもないことを考えながらしか生きていけない。でも、幸せだからそれでいい。
2023/11/22
大学卒業が決まった。
昔バイトしてた珈琲屋を、何年も前に辞めてから初めて訪れてみた。
ここに来たいと思った気持ちは2つ。
1つは、あの頃の自分に「ついに卒業できるよ、なんとか頑張ってここまで辿り着いたよ」と報告したい気持ち。
もう1つは、持ち前の完璧主義を発揮し、ここでとにかく『愚直』で一所懸命だった私を、そろそろ許してあげたい気持ち。当時のダメダメでボロボロだった自分(おそらく実際はそれほどでもなかった…)を許せなくて、たかがイオンモールの中の珈琲屋に5年も足を踏み入れられなかった愚かな自分のこと、今日ついに許せる。
店奥の壁に飾られている大きなサイレンのアート。当時こんな絵があったことにすら気づけなかった。目の前のお客さんに対応し、順番にドリンクを作って、間違いなく手渡すことに、必死だった。
ちょっとした失敗をいつまでも引きずり、自分以外の人達は全て素晴らしく見えてしまって辛かった。今、バーカウンターの中をぼーっと眺め、そこで働くバリスタを見ていて思うことは、私も意外とちゃんとやれてたのかもなって。どんなに頑張っても評価を得ても、「自分はダメだ」と思い込んでしまう心に明らかな問題があった。
まだバリスタになって日が浅そうな雰囲気の女の子が、バーカウンターに1人で入っていた。ドリンクのルーティンをこなすのは大変そうだったけど、ずっと笑顔で、他のバリスタとも和やかに言葉を交わしながら、何よりそこで働いていることに誇りを持っていて働くことが楽しいんだろうなという感じだった。素敵な職場だよなぁと。
(結局はこの米国生まれの某企業の持つブランド力ってとこが大きいのは事実で、資本主義の暴力的な性質とそれに踊らされる大衆の愚かさを感じずにはいられないが、今はほんとにそういう話じゃなくて。)
本当にどうしようもなかったな、私は。
バーカウンターでのルーティンや、CS(カスタマーサポートの略)と呼ばれる業務のルーティンを回すのが遅いことがいつも私の悩みだった。でも、ドリンクを作るのが爆速じゃなくたって、注文通り確実に丁寧に心を込めて淹れることができていたら、きっとそれで大丈夫だった。スピーディさは確かに大切だが、その重要さ度合いは店舗によって変わってくる。例えば、新幹線に乗る直前に利用する客が多い駅ナカ店舗(複雑な注文や複数ドリンクを注文した際には「新幹線は何時何分の便ですか?」と訊ねてくれる)と、私が働いていたようなイオンモールへのんびり遊びにきた家族やカップルにドリンクを提供する店舗では、求められるスキルが異なってくる。後者タイプの店舗では、顧客ひとりひとりとのコネクトに時間をかけていい。むしろそれが求められていたし、自分は比較的そっちが向いてる人間だった。
お客さんは笑顔になってくれたし、周りは私が困っていれば助けてくれる素敵な人達に囲まれていた。ひとりひとりの優しい笑顔をちゃんと思い出せる。笑顔が素敵な人が多い職場だったな、と改めて思ったけど、これは職場に限ったもんじゃないな、と今きづく。バイト以外でもお世話になってきた方々の優しい笑顔って、たとえ今繋がりがない人でもちゃんと思い出せる。これまでの人生、どうしても最後まで憎かった人だっていたけど、笑顔を見せてくれた瞬間があった。本当に私は幸せ者だと思う。
あと、この頃は自分の内面的な問題と向き合うことを避けた反動のように、異常に自分の顔や体型が嫌いだった。けど、誰よりも可愛くある必要なんてなかった。私はいたのはキャバクラじゃない。ただの珈琲屋さんだ。
店内にスチームの音がちりちりと響く。誰よりもきめ細やかなフォームミルクを作らないと、そこにいてはいけないような気がしていた。今日はそんな5年前の私を許してあげるために来た。
もちろん一定の基準を満たし、きちんと質の高いドリンクを提供すること、それは最低限求められていることであり、当然の義務だった。手を抜いて良かったわけではない。でも、当時は分からなかったことが今は沢山みえる。
バーカウンターの中にいた私は、きっとちゃんとそのエプロンが似合うバリスタだった。ドリンクを丁寧に淹れ、笑顔を絶やさず接客する。いつか私が憧れたような素敵なバリスタだったと思うよ。当時の私がそれを認めなかったとしても、暖かく見守ってくれる人達が身近にいてくれたんだなって、最近になって仲間や先輩方からもらった手紙とか読み返して気付けた。周りの人が自分に注いでくれる優しさにちゃんと気づけなかった当時の私の不器用さも、そろそろ許してあげたい。
これから先も、周りと自分を比べてしまって辛くなる時はくるかもしれない。すごく陳腐な感情だと思うけど、人間、そんなもんだろう。今なら大抵のことを、自信を持って笑顔で頑張れる。自信を持って笑顔で頑張るフリをできるようになった、と言う方が正しいかも。実際はもう「頑張る」とかよくわからないのが本音。大人になって、わざと世界の解像度を下げてデータ通信量を節約する、みたいなことが可能になって疲労軽減し、コスパよく生きやすくなった。なんだか寂しい気もするけど、これが今の等身大の私だし、これから先も変わっていくだろう。新人バリスタ(多分)が淹れてくれた珈琲をすすりながら、ちょっと大人の目をしてみた。
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