娘のばあい⑦〜起立性障害の検査と中学最後の3学期
起立性障害の検査
心療内科の先生の勧めで、起立性障害の病院を受診することに。
幸運なことにこの先生がとても面白く素晴らしい先生でした!
生命がこの世に誕生した頃から考えたら、今の世の中のように、夜でも明るく電気がついて、寝る前までスマホの明かりを浴びるような生活はほんの最近のことであること。そんな生活に動物としてまだ慣れていないこと。他にも興味深い話をたくさんしてくださいました。
これが正しいからこうしなさいという伝え方はせずに、娘の話をじっくり聞いた後、そこから本人に考えさせた上で、具体的に目標を決めさせて選ばせたり、親として学ぶところがたくさんありました。
肝心な起立性障害の検査の結果は、起立性障害という診断には至らないという結果でした。(起立性障害ではなかった・・・良かったんだけど。)
水分と塩分をしっかり摂ること、夜10時には心療内科の薬を飲んで、早く就寝すること、スマホの悪影響の理解など、今まで知ってはいたけど・・・というところを、先生の専門的な知識と共に説明してもらい、本人と理解をして改めて取り組むきっかけをいただきました。
中学最後の三学期へ突入
高校へ上がるまでに心身ともに整えていくぞーーー!という私の熱い意欲を心療内科の先生に、年明けに伝えたところ、息切れしますよ。と。(苦笑)
・・・確かに。勢い付いていた自分の熱を一旦冷ましました・・・とほほ
高校にきちんと通わねば!準備せねば!!そこに縛られていた気持ちが、先生のおかげで解けました。
とにかく、今まで通り、焦らず、見守る。無理をしない。
肩の力を抜いたことを覚えています。
そして、この頃、下の子の中学受験も山場を迎えていたなぁ・・・(遠い目)
そのころの学校生活
教室に行かなくても、別の校舎でいいので学校に来る練習、きっかけになればと先生が提案してくださり、午後からでも行けるときは通学していました。
ただ、教室に入ることはとても苦痛らしく、お弁当を持っていってもトイレの個室で食べていたと聞いて、愕然としました。
そんな中でも、友達関係で救われていたのは、部活の仲間の存在です。これがなかったら、夏休みに部活に行くことも、文化祭に参加することもなく、学校に行く意欲もゼロにほぼ近い状態になっていたのでは?と。
スクールカウンセリングはその後も何度か受けたものの、受けて帰ってくるたびに暗い表情で食事も摂らない状態になってしまうため、心療内科の先生や起立性障害の先生とも相談し、無理して受けなくて良いのではと。
娘に尋ねても、答えたくない、思い出したくないという状態で、担任の先生にもその旨を伝え、無理して受けることはやめましょう。ということになりました。
(結局、その後は受けていません)
心理学に詳しい友人の推測ですが、、、スクールカウンセラーという立場上、「学校へ行く」ということが大前提、目標になってしまうのが、娘にとっては苦痛なのでは??と。なるほど。それはあるかもしれない。。。
そして中学校卒業へ
最後の試験も、全て受けることはできず、他の皆さんとも受けることができず、いくつかの教科だけ午後に受けさせてもらったりしました。
試験後にメンタルが落ち、先生からお電話をいただき、このまま一人で帰らせるのは危ないということで、迎えに行ったりもしました。
年末の検査でフェリチンの値がだいぶ改善していたにも関わらず、「死にたい」発言もあり、まだまだ不安定だったんでしょうね・・・
先生も、その状態をご存知だったので、とても気を遣ってくださっていました。
そして、担任の先生をはじめ皆さんに支えられ、なんとか中学卒業となりました。卒業式には出席でき、卒業を祝う会にも出席できました。
締め切りを過ぎてしまい、何度も提出し直していた卒業文集には、
10年後の自分への理想と不安が飾ることなく綴られていました。
大人になる頃には弱い自分がかわっていてほしい、その為に今生きて頑張らなけばならないのだから。10年後の自分がこれを読んで、大人になったよ、と過去の自分に伝えてほしい。
・・・と。
間違いなく彼女は頑張っていて、そして成長していました・・・(泣いた)