
民主主義の限界とか言ってる場合じゃない
民主主義をちゃんと発動する必要性について
現在日本で頻繁に行われている「民主主義の限界」とか、「資本主義の限界」とかいう話が、いかに上澄みの話であるかということをラジオでたかしくんが話していたのでそのまとめです。
そもそも日本の民主主義は始まっていない?!
日本は現在、ズブズブの拝金主義である。
「お金持っている人が正しい」
「フォロワー数の多い人が言ってることが正しい」
日本人の多くの人は、フォロワー数の多い人に対し「すごい」と感じ、その人が言ってることなら正しいであろう。という思考でそれを真似して自分も成功を目指す。
これが拝金主義である。
この拝金主義をやめない限り、本当の意味での民主主義は発動されない。
何故ならば、大政奉還以降「その椅子に座り続けるのやめてもらっていいすか?」という不信任案みたいなことは起きていないのである。
これは何を意味するかというと「淘汰する民主主義」が発動されていないということだ。
金を持ってるやつの言うことが正しくなるのである。
すると庶民の発言権はなくなり、もはや「自分の意見」ではなく「家畜の共感」で成り立つ世界が出来上がる。
1人の成功者がより成功するように庶民が後押ししてしまっている。本当にいいか悪いかもわからずに。
この出来上がり過ぎた世界が「拝金主義の日本」である。
本当の民主主義とは?
本当の民主主義とは「家畜にならない」「家畜を買わない」宣言をするだけで成立する。要するにそれは「個人の意識で変えられる」ということだ。
それは何を意味するかというと「お金を持ってる人に洗脳されない」「フォロワー数の多い人に洗脳されない」という意識だけで現在のような「庶民が利用される民主主義」から「個人が主体となる民主主義」へ転換できるのだ。
個人のこの意識だけで、それは可能なのである。
要は成功者の金魚の糞である限り本当の民主主義は発動されないということだ。
世論をコントロールする発言権のある成功者に乗っかっている限り本来の民主主義は成立しない。それでは一部の偉い人が民主主義を利用してお金を稼ぐだけの拝金主義なのだ。
テレビやYouTubeで民主主義がどうのこうの言っている人の上澄みの意見に惑わされている場合ではなく、いいものをいいと言い、悪いものを悪いと言うことが必要である。
そしてその個人の意見を尊重するために必要なのが「道徳」である。
道徳を取り戻すことが、本来の民主主義を発動するきっかけになるのではないだろうか。
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