拝啓、天職さま
アンドレアスが言った「クリスティーナがこの間、ドミニクが人生において何をしたいのかわからないし、今の彼の生き方がどうかと思う」その後、クリスティーナは具体的内容でドミニクを評価をしていたんだよね。と言った。
私の人生で衝撃を受けた瞬間のことをこれから記録する。
時は10数年前、私は、障がいがある子供たちのサポートをするアルバイトをしていた。高齢者施設でも人が足らず、お手伝いに行き、さっきまで、息があった人が他界する空間にいた。
その前に、(私の命の目覚めについて)・・・・
私は10歳の時に曾祖母が他界し、宗教に目覚め、お寺や坊主に話を聞いたり、書物を読み漁っていた。もちろん仏教に始まり、他の土着の信仰等、色んな国のを触れてみたりして、(人はなぜ生まれて、なぜ生き、死ぬのか?人生とは何なのか?何をすべきなのか?命とは?)等悶々と考え、学び、体験をして、インドへの留学はそうゆう背景もあったのは確かである。
話が脱線してしまったが(私の得意技)
20代のとある日、私は出会った!その肉体に!その命に。部屋に入ると小さな体で機械に繋がれ、チューブや点滴、たくさんの線が肉体とこの世をつないでいて、私は全身に電流が流れ、スローモーションの様に、あの時のあの部屋をあの空気を景色を匂いを今も繊細に記憶していて、言語化できない現象を体験した。
その時「ハッ」っとなったのです。そう、人生には、意味や答えは誰かが与えたりするものではなく、自分で作るのものだし、なくてもいいじゃないか!と、どうして、意味や理由や原因や説明が必要だろうか。
ただ、ただ、私が在るという、この奇跡に理由や意味は必要ない。
私はその時から、自分の小さな脳内のカギが一個外れたのをしっかりと体験した。
*個人の一感想です。
もし、あなたに「やりたいこと」があるのであれば、肉体がある限り、やってみてはどうだろうか?理由や意味を重要にすると動けなくなるのであれば、ただただ、やってみる。それも一つのやり方かもしれない。やりながら、もっとやりたい事が出てくるかもしれない。自分も世界も変わり続ける中で、ずっと同じである必要はない。
やり方や手段はいくらでもあるだろう。どんな自分になりたいか。
十人十色っていう言葉がある。それは、不器用なその人のその部分こそ、美しい色で、本人が問題意識を持っている場合は、こうしたらもっと上手にできるよってやり方を上手に相手が受け取りやすいように伝えれたら素敵だ。
#天職だと感じた瞬間 それは、私が存在するのに理由がいらないと分かった日。私が私という天職を全うしようと強く思った瞬間。
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