ポッドキャストを1年間配信してみたら

皆様大変ご無沙汰しています。
1年前に番組スタートした直後に記事を投稿して以来、本人もパスワードを忘れるほど放置していました。OMG。
今回開局1周年を機に、この1年間のことを書いてみたいと思います。

☆そんな、2020/1/13勝手に開局!ラジオでありポッドキャスト?「勝手にマニャニータ」はこちら↓
https://www.spreaker.com/show/cactuss-show_1

さて、明るくかっこよく喋り、番組をクールに進行するラジオDJに憧れて、幼き頃にこっそりラジオごっこをやっていたという方も少なからずいることだろう。
一方、生まれつきの根暗である筆者は、幼き頃にはそれをやる度胸や自己肯定感すらなく、そもそも自分の声を録音するなどという行為に耐えられるはずもなく、そのまま三十路を迎え、なぜかメキシコに渡った。

メキシコに渡ったはいいものの、社内通訳の御仕事に早々に挫折し、友人もなく首都の片隅でただただひとり体操座りの生活。

ーこれでは、スペイン語はおろか日本語も、というか呼吸のしかたすら忘れてしまうではないか。大体遥々メキシコに来た意味がないじゃないかい。

なんか、やろう。
この、たった6文字のきわめて漠然とした動機で、この番組は生まれた。

よりによって、根暗キャラが発信を行うことを選択したのは、とにかく誰かと繋がりたかったからだと思う。
もしかしたらほかにも、違う片隅で泣いている人がいるかもしれない。言葉がわからなくて困っているかもしれない。または、阿呆な生き方をしている自分を見て笑ってくれるかもしれない。
そういう人たちがふっと見つけてくれて、ささやかな楽しみになるとしたら、サイコーじゃん。

しかも、ラジオなら、顔も名前も出さなくて良い。声は出すけれど、話している最中の挙動不審な姿は一切見られなくてすむ。サイコーじゃん。
そういうわけで、媒体として音声を選ぶことには一切の迷いはなかった。

そうと決まれば、早速準備である。
もちろん、防音スタジオや配信用の豪華な機材を持っているわけなどなく、というかそもそもどうやったら配信できるのかもよくわからない。
こちとら、スーツケースに詰め切れる範囲でしかモノを増やせない人種である。そもそも、機材を買うお金などない。
ネットで「ネットラジオ 配信」などと検索して先人たちの智慧をお借りし、使いやすそうなアプリをダウンロードした。
手持ちのPCと、Skype用のヘッドセットマイクでなんとかなりそうだ。
番組で流す、朝&ラテンっぽい音楽も、著作権フリーBGM集から厳選して集めた。
イメージ画像も、ネット上の写真を加工して作った!

ここまできたら、やらざるを得なくなるように、Twitterとブログを新しく作成して「〇日〇時にオンエア!」と告知。
既存のアカウントでやらなかった理由は、リアル身内バレが非常に厭だからである。

しゃべりに関しては、無論、台本なしで喋れるアドリブ力はないし、本番中どんな失言をかますかわかったもんではない。
エクセルで台本を作成し、下読みをし、虚構新聞を音読して少し喉をならしておく。

朝といえばお天気とか交通情報だな。
今日は何の日的なコーナーも入れたい!
ちょっと小話的な時間もつくろう。

そんなふうにして、初オンエアを迎えた。
放送時間はもちろん、かつて自分が一週間で一番嫌いだった、月曜日朝である。
だって、月曜日の朝の一番憂鬱な時間に、得体の知れないラジオ番組があったら和むじゃん。
自分がリスナーだったら心のよりどころにしてしまう。
この曜日と時間帯だけは自分にとって譲れない。

目覚ましをかけてまだ暗いうちに起きて、異常にドキドキしながら、アプリの「放送開始」ボタンを押す。
どう贔屓目に見ても朝向けのキャラではないが、朝っぽくなるようにやたらと明るい声でしゃべる。
配信アプリの制限時間は15分。
この枠に収まるか、というか、逆に15分もしゃべりつづけていられるのか?カミカミにならないか?
音楽の切り替えはうまくいくか?
など、気を配ることはかなり、ある。

とはいえ台本のおかげもあり、初オンエアは順調にあっという間に終わった。
後で聞き直すと、PCのファンのノイズは入りまくり、さらには接続ミスでBGMが流れていなかった。
が…妙に楽しい。

ところで、世の中の多くの人々がそうであるように、自分の声(しかもやたらノリノリなテンションの、である)を聴き直すというのはなかなかの苦行である。
聞いていられないというか死にたくなる。
だが、これについては、最初の数回を乗り越えれば意外にも「慣れ」ることができた。
ひとたび慣れると、これまた意外にも、やけに微笑ましい立場で聴くことができる。
「今日ちょっといい感じやん」「意外と人並みに話せてるじゃん」などなど。

そのようにして、ほぼ毎週オンエアを続け、なんと1年を迎えてしまった。次回で放送50回を迎える。
結婚でいうと金婚式だ!
たまにしゃべり足りないときは、金曜日の夜などにこっそりもう一回オンエアしたりもしているので、それらも含めると、数としてはもう少し増えるであろう。
毎週末には、週明けの放送の準備というライフワークができた。
もう、結構、生活の一部である。

オンエアのために、スペイン語のツイートやニュース記事を読み、それを噛み砕いて翻訳する、オンエア日にゆかりのある出来事や人物を調べては、歴史や文化について理解を深める、さらにはそれを外向きに説明する、といった作業は、世間から隔絶された者、少なくとも自分にとって、リアルタイムの世界と繋がれるきわめて貴重な作業である。
決して楽な作業ではないが、思わぬ事実を知ったり、自分の知識・趣味や経験などとそれらがリンクしたりしたときの興奮たるや、何度経験しても格別だ。中でもこの過程で知った作曲家、Leroy Anderson氏は、今でも一番の推し作曲家となっている。
いつも番組の最後の方で話す、フリートーク的小咄の話題探しこそ、時に相当に苦しむのだが。

それから、一般的に気になるところとしては、50回も配信をして、しゃべりの技術的なものに何らかの変化があったか否か、という点であろう。
これについては、正直なところ、劇的な変化は自覚していない。しゃべりは変わらず苦手だし、滑舌や発声といった点でもつっこみどころ満載である。

…が!

改めて考えてみると、これまでの人生において、このオンエア以外で、外向きにしゃべることに関して、「早く解放されたい」「逃げたい」と思うこともなく純粋に楽しめた例が、果たしてあっただろうか。
本来、根暗にとっての敵であり苦痛の対象でしかない、「外向きにしゃべる」という行為を、楽しんでやれている!あまつさえ、自分から好き好んで毎週のようにやっている!
これはもしかしたら、革命的なことかもしれない。Breakthroughなのではないか。

そもそも、音声配信の場というのは、かなり特殊な位置づけを持つものであるといえる。これは、対面のプレゼンテーションやすべてが露わになる動画配信のように、100% face to faceというわけでもなければ、独り言のような完全に非公開の内向きのものというわけでもない。つまり、「隠したいところは隠す」ということと「外に発信する」ということが明確に両立されうる。
この度初めて、そのような中庸的な場を得たことで、話し手としての新しい立ち位置、あるいはパーソナリティ(ラジオだけに)を発現させることができているようにも思う。
外向き(public)すぎず、内向き(personal)すぎない、真ん中あたりのところ。それは緊張とリラックス、借りてきた猫と慣れきった猫の程よく混ざりあった位置であり、もしかしたらこれこそが、本来日常の会話において達成すべき位置なのかも知れないと思う。
やたらと回りくどく書いてしまったが、まとめると、

音声配信という絶妙なシチュエーションを通して、「話す」ということに関する程よい状況的・精神的立ち位置やその中での自分の振る舞い方を見出すことができ、それを楽しんでいるし、今後のコミュニケーションにおける新たな活路が開けたかも!?

ということである。(はじめからそう書け)
当初音声配信を迷わず選んだ自分の読みはまあまあ合っていて、でもやってみたら予想以上だった!という感じだろうか。
これはきっとめでたいことである。

一方、これまた気になるのが、リスナーさんの状況であろう。
実は1年たった今でも、この番組の存在はこのブログの他、ごく親しい友人や師にしか知らせていない。「放送局」であるわが居所の同居人ですら知らない。
番組のTwitterアカウントは鍵をかけることもなく公開してウェルカムな状態にはしているが、わざわざ自発的にフォローをしたり、謎めいた音声ファイルの右向き三角ボタンをクリックしたりしてくれる人などほとんどいない。
まあ、24時間のうちの15分、すなわち1%以上の時間(起きている時間だけで計算するとなおさら)を、見ず知らずの人の訳のわからぬ喋りに費やすヒマはそんなにない。わかるよ。
時間があったり、興味を持ってくださったりする方は聴いてくだされば大変ありがたいし、そうでなければ何も無理することはない。ただただ私は、粛々と勝手に毎週喋っては、音声ファイルをUPするのみ。それでいいじゃん。というか、その方が気楽だ。という考えに至った。

誰かと繋がりたいと思って始めた割に、この限界集落ぶり、カッコよく言えば知る人ぞ知る的性質に居心地の良さを見出してしまったというわけである。
告知不足とか怠慢とかget out of your bed!などと言われれば返す言葉もない。
でも、運営元である自分にとっては、楽しいことのほうが大事で、そのためには今の状況が心地よいんだからこれでヨシ!
今後、もっとたくさんの人に聞いてほしいとかそういう気持ちになれば、その時点でしかるべき行動を起こせればいいのだし。

しかし、これだけネットやSNSが普及し、発信したものがどんどん世界中に広がっていく時代。日々あんなに、KとかMとかの単位で表現されるようなバズツイートをする人がいる一方で、ここまで人の目にも耳にも触れないコンテンツというのも、この世に確かに存在するのだ、というより存在せしめてしまった!というのは新鮮な驚きである。わが番組は今や限界集落どころか既に消滅しかけて、きっとビジュアル化すれば半透明で表されるはずだ。

だからこそ、アクセス数が1つでも増えると、さらには、そのごく近しい人たちからリアクションが得られると、もうめちゃくちゃうれしかったりする。1票の重みがものすごい。そのような個々に根ざしたミクロの世界を楽しみ尽くせるのも、ありがたいことである。

さて、ここまで恐ろしくくどくどと、この1年間のことを書いてきたが、1年間ポッドキャストを続けてきて悪いことなど一つもなかったのではないか。本当に。
せいぜい、この番組の世の中にもたらす恩恵に比して、電波やお世話になっている配信プラットフォームの容量の消費が嵩んでいるであろう点、および隣人の部屋に朝っぱらから配信時の声が漏れているであろう点、くらいではないか。
そのような事柄は、世の中にそうそうあるものではない。ありがたや。

というわけで、少なくともメキシコにいる間は、これからも地味に音声ファイルをUPし続けることであろう。
今後も、生温かく見守ってくださると幸いです。

目下の課題は、このブログには今後何を書いていくべきかという点である。容量の関係でもうお蔵入りとなってしまった、過去放送の内容などをエッセイにして書こうかな、などと企み中。


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