同調圧力の根強い社会とは
<国民性だろうか>
比較的長い海外生活を送らせてもらったせいか、日本社会に根付く暗黙の了解にあまりさらされずに生きてこられたのは幸いだった。帰国後しばらくしてコロナ禍となり、日本は人目を気にする人達が本当に多いと痛感した。もちろん、他国でも世間、職場、近隣近所との付き合い上、ある程度は穏便に調和を求めるが、日本人は周囲を過度に気にしすぎる。元々、せまい島国で大勢が暮らす中で、出る杭は打たれるや古来の村八分といった悪習など、歴史的にも顕著。太平洋戦争の戦時下では、非国民と後ろ指をさされないよう、よほど気骨のある人でなければ、戦争反対と大声を挙げられなかった。終戦後は、集団生活で列を乱さないよう、根回しのない自己主張は慎むようといった教育政策の中、安保反対のデモや校内暴力など形を変えて反旗を翻す若者の気概と情熱がほとばしった。しかし、平成から令和へ失われた20年に入り、物質的に程々満たされた家畜化なのか、異論を叫ばない行儀のよさに収れんしている風潮は否めない。
<マスクの行方>
その潮流はコロナパンデミックで顕在化し、日本はいまだにマスクを外せない。海外と比較して単に嘆いたり、欧米に倣うべしと言いたい訳ではなく、一度決めたことを誰も変更できない国民性だとしたら、危険な香りがしてしまう。もうはや80年も前、太平洋戦争に突き進み誰も歯止めを効かせならなかった悪夢が、蘇る気がしてならない。自ら進んでマスク着用しない諸国では、政府の決断で義務化したので、解除されれば外すというコントロールが効くのに対して、強制せずに国民が自発的にマスクをし始めた日本では、逆に外してよい宣言を出しずらい。確かに指示された訳ではなく、推奨されただけで、誰もが周囲を見渡して、みんながしているからしようとなる。マスコミも大合唱で感染マナーと煽られ続け、自主的に抜け出す機会を見失ってしまう。みんなが横並びでやめられない、隣近所を見てはばかられる、怖気ずく性向はなぜだろうか。
<同調カルチャー>
本来は、従来の風習に囚われない若い世代が疑義を呈して変化を呼び覚ますはずが、生まれ育ちからデジタル生活の彼らは、意外にもスマホやネットで世間体とは何が標準化を敏感に探り、逸脱しないよう細心の注意を払うほうに向かってしまうらしい。同質性と匿名性に安住したい気持ちがわからなくもないが、すべてがコンクリートに固められた都会の無機質な闇に消えてしまってよいのだろうか。21世紀に入ってコンプライアンス強化や何がしハラスメント対策など過剰監視で、世知辛さ増大したことも主因であろう。昭和の時代、銀幕の名優や芸人には、破天荒な人物が多く、今でもその人物伝を堪能できるが、芸能界ですら、めっきりサラリーマン化して醍醐味や大胆な魅力は薄れていく。概して品行方正とは、つまらない、面白味のなさなのである。
<打破する気概>
1960年代のヒッピーブームや社会体制を打ち砕くムーブメントを持ち出すと時代錯誤かもしれないが、やはり将来の社会に新鮮な血を流し込む創造力とチャレンジ精神が欠かせないと思う。ミュージックでいえば、ロック、ジャズ、ヒップホップに象徴とでも言うべきか、既成観念に捕らわれない発想と感性で果敢に挑み、時代の鬱屈を切り開いてきた。人目を気にせず、俺は俺、人は人、無論人さまにご迷惑は掛けないのは大前提ながらも、人からどう思われようと、物おじしない表現力。アウトサイダーやマージナルマンと分け隔てなく受容し、異色な独創性を競うことが、変革の波に潤いを与え、多様性の色彩を豊かにしてきた。コロナ禍のマスク着脱は一例に過ぎないとはいえ、規範や模型にいったんハマると抜け出せない気質は、将来に一抹以上の不安がよぎる。
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