THE SMITHS/Morrissey 崇高なる者
大学時代から私は「The Smiths」の信奉者であり、マンチェスター生まれのそのけだるい旋律は、まるで天から降て来たようなに、心にハマり込んだ。モリッシーの耽美で憂鬱なボーカル、ジョニー・マー(ギター)、アンディ・ルーク(ベース)、マイク・ジョイス(ドラム)の奏でるメロディアスな音響に浸りながら四谷の寮生活を過ごしていた。バブルに踊る華やかなる時代、渋谷のHMV、Tower Record、六本木 Wave、新宿 Virgin Megastore辺りに入り浸ってのCD物色は、至福の気晴らしでした。時は駆け巡り、満を持して「The Smiths」とモリッシーへの寄稿を捧げます。
トップ画像※は、1992年発売された「The Smiths」初のベスト盤CD、妻の断捨離攻勢をかわして、大切に持ち続けています。端麗なジャケットデザインの芸術性はにわかに語り切れず、また追って。
(※「Biker Couple」 phot shot by Dennis Hopper(1961) )
何故これほどに、80年代の物憂げなUKインディーズ・バンドに魅了されたのか、根源を顧みると、モリッシーが織りなす審美哲学への共鳴。マイノリティへ寄り添う慈悲、ねじれた皮肉とユーモアに隠れた不屈の「反骨精神」に意気投合したのでした。薄らぼんやり暗い光を灯す、深い文学性を秘めた詞とメランコリックなムード。これらが、何とも言いがたい謎の媚薬のように、眠れない夜も気持ちを鎮めてくれていた。都会に出てきて大人になりきれない自分を見事に誘惑したのです。
イギリス在住ライター:ブレイディみかこさんの言葉を拝借すれば、
「モリッシーという茨をいまだに心に刺して生きる人」となったルーツ。
モリッシーが2023年の来日ライブで「自分は歌手ではなく、精神科医だ(People will think I am a singer. I am a psychiatrist. Your psychiatrist.
Too bad for you.)」と言ったようですが、そうだったか・・という感じ。
バロッククラシック、クープランの演奏に傾倒する妻によれば、
「お経みたいなロックね、変だよ」・・、うーん、そうなのかもしれない。
密教の荒くれ坊主が唱える念仏か、はたまたイスラム教コーランの高らかな朗誦に思えなくもない。モリッシーのアンニュイな歌声が、ジョニーマーの甘美なギターセンスと絶妙に溶け合う心地の良さ。その発祥は、斜陽なマンチェスターの工業団地に暮らす労働者階級、あらゆる弱者を救うゴスペルだったのでしょう。
ザ・スミス解散後、モリッシーは過去を振り返らず、むしろメンバーとの交友を消し去り、いまの自分を存分に生きている。孤高のカリスマは、ニヒリズムやデカダンスに陥ることなく、腐食する社会、欺瞞の権威体制を果敢に批難し続けています。難解なモリッシー自伝を読み、いつしか南米の革命家チェ・ゲバラの「モーターサイクル・ダイアリーズ」を連想していました。徒党を組まずに、独創性を貫くアウトローの生き様は、風狂な美意識に覆われてます。モリッシーの頑固な信念をアルゼンチン生まれの英雄ゲバラと対照し、陰と陽の相似性を捉えるのは、私の無謀な幻想でしょうか。
なにしろ「The Smiths」をコアにして、私が学生時分に心酔したのは、
万人受けしない、80年代 ブリティシュ・ニューウエイブ、
オルタナティブ・ロック、ポストパンク、ゴシック・ロックの面々です。
「New Order (ニュー・オーダー)」
「Depeche Mode (デペシュ・モード)」
「The Cure (ザ・キュアー)」
「Cocteau Twins (コクトー・ツインズ)」
「Bauhaus (バウハウス)」
決して迎合しない裏街道に射し込む月光みたいな異形ロックに波打たれて、社会人の俗世を忍んできました。とりわけ「The Smiths」は、今に至るまで色あせず、私の波長にほどよく合うのです。
🎸私的な「The Smiths」ベスト選📻
“There Is A Light That Never Goes Out”(1986)
"Still III"(1984)
“Please, Please, Please Let Me Get What I Want”(1984)
"Shoplifters of the World Unite"(1987)
"The Headmaster Ritual" (1985)
"Half a Person" (1987)
"Panic" (1986)
"Girlfriend in a Coma"(1987)