独裁と忖度による中世の再来
<21世紀世界の退行>
中国共産党大会で習近平の3期目が決定、自らに忠実なイエスマンで固め、露骨な独裁政権を内外に見せつけた。バランスの取れた人徳ある前任者、胡錦涛氏の予期せぬ退場は、冷徹な空気が吹き抜け、異様なメッセージを伝播する。ウクライナへの戦争で徴兵令を出すプーチンともに、終身指導者、つまり皇帝と化すならば、民主政治の綻びが拡大しているように思えてならない。20世紀に二度の世界大戦の教訓はどこかに消えてしまうかのような、21世紀初頭の退行現象に危機感を募らせる。古代ギリシャ、ローマで花開いた民主政治の原型が、中世の到来で途絶えたように、21世紀の行く末に漂う一抹の不安が顕在化している。
<忖度は人間の性>
企業人として長く観察の機会を得たが、上下のレポーティングライン、権限を持った人物への媚びへつらいは、古代から変わらぬ人間性であろう。更に言うと、猿から羊など動物の世界でも、マウンティングと称されるようにボスを中心とした順列を形成するのだから、生物由来といっても過言ではない。率直に異を唱える自由闊達な部下をあっぱれ、よくぞ申したと評価できる腹の座ったボスは珍しく、肝の小さいボスほど、従順で言う通りに動く小役人を取り巻きに登用する。根回しの有り無し同様に、直接・間接的か、やり方の違いあれ、こればかりは、欧米と日本で本質的に同じ気がした。
<民主制の停滞>
多かれ少なかれ独裁支配は歴史上繰り返す人間の本能だとしても、程度や頻度は、その時代の人々の意志に掛かっているのではないだろうか。いったん、強烈な個性と独占欲のある人物が権力の座に就くと、人間心理を上手く操った監視社会が形成され、公然と歯向かうのは容易でなくなる。北朝鮮、中国、ロシア、アフリカのバナナリパブリックしかり、権力者と距離のある民衆・庶民の中にも、異論を発する人物を通報して便益を得ようとする者が出てくる。21世紀になっても、そうした構造を内部から打破することが、如何に大変か独裁・専制国家が強固に続く現状を見るに確かである。自由平等を旗印に発したフランス革命や独立宣言の18世紀後半から、選挙制の確立した20世紀に至るまでは目覚ましい発達局面であったが、21世紀は何かに頭打ちとなり、むしろ迷走・暴走している。
<家畜、社畜ならぬ、国畜の危険性>
日本は一見してそうした国家の窮地とはほど遠いように思われるが、物価上昇一つにも大きな声を挙げてうねりを引き起こせない、萎えた社会に陥っている。平和である程度の生活水準に浸かっていることで、民意の力強さ、弾力性がなくなってはいけない。中国駐在が長い友人の妻は、日本は政策が曖昧で統一性がないのに比べ、中国の方が何でも迅速な指示がなされる共通支配の下が非常に居心地がよいと言っていた。知らぬ間に独裁による監視社会にマインドコントロールされていることにすらもはや気づいていない。幸いにも専制国家に暮らしていない日本で、いつしか自由な言論を放棄してしまっては決してならない。言いたくても主張できない言論統制の敷かれた世界で苦渋する数多の人々に代わって、真意を語るべきであると思う。
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