"DOG FACED HERMANS"の事。
ロックのベーシックな楽器構成は、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスを基本として、サウンドの広がりや深みを求めて様々な楽器のサウンドがミックスされ、実験されてきた。ピアノやオルガンなどの鍵盤楽器、ストリングスやオーケストラなどのクラシカルな要素、シタールやタブラなどの民族楽器、そしてジャズからサックスやトランペットといったホーン類などなどなど。中でも、パンクやポスト・パンクのプリミティヴな傾向のサウンドには、トランペットが与えるインパクトと相乗効果が好きだったりする。ポスト・パンク後期の1980年代後半、目立った成功は収めていないし有名にはならなかったけど、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスのシンプルな構成による、粗っぽくてテンションの高い即興演奏にトランペットを加え、唯一無二の尖がったサウンドを作り出した名バンドが存在しました。そのバンドの名前は Dog Faced Hermans。
Dog Faced Hermansは、英国スコットランドはエジンバラで1986年に結成されたバンドでした。エジンバラの大学で人類学を学んでいたロンドン出身のAndy MoorとColin McLeanが出会ったことがすべての始まり。フリー・ジャズやレゲエなど音楽の好みが似ていた彼らは意気投合して音楽活動を始め、ユニット名をRoland Kirkのアルバムから取ったVolunteer Slaveryとしています。当初は衝動的なDIYパンクのスタイルを持っていましたが、自身のルーツであるフリー・ジャズやプログレッシヴ・ロック、当時聴いていたというBig Flame、Bogshed、The Exといった実験的なパンク・バンドからの影響で、フリー・フォームなサウンドを目指します。女性ヴォーカリストでトランペットとパーカッションも演奏できる才女Marion Coutts、ドラマーのWilf Plumが加わって4人組バンドとなり、バンド名をDog Faced Hermansに改名しています。これは、フランク・R・ストレイヤー監督の1933年のホラー映画『The Vampire Bat』のセリフ「Whose name is Herman, gets turned into a dog」からインスピレーションを得たものでした。フリー・ジャズとパンクを融合した、即興演奏を主軸にしたアヴァンギャルドなセッションからスタートします。
Dog Faced Hermansとしての最初の作品であるシングル"Unbend"は、1987年に自身のレーベル Demon Radge Recordsからリリースされています。ギター、ベース、トランペット、ドラム、ヴォーカルのシンプルな構成での粗削りな演奏ながら、扇動するような激しいヴォーカルと叫ぶトランペット、ザラっとしたフリーキーで粗っぽいギター・サウンドなど、ヒリヒリするようなカオティックで危ういサウンドが魅力的な作品です。Stephen PastelやDavid Keeganと共に53rd & 3rdの創設者として知られるSandy McLeanのFast Forwardが流通を引き受けています。エジンバラのアート・コミュニティで何回かのギグを行うと知名度は上がり、NME出身の音楽ジャーナリスト、The Legend!ことJerry Thackrayからアルバムを出さないかと誘われ、彼のCalculusレーベルからデビュー・アルバム"Humans Fly"をリリースしています。正式タイトルは"Humans Fly but They Can't Be Civil"でしたが、長すぎるという事で短縮されています。1987年の事でした。今作は、先行シングルのカオスを引き継いでいるものの、フリー・フォームなサウンドと、ドラマティックな展開やフックも効いていて、確かな進化を感じさせるものでした。このアルバムは”Menschen Fliegen”というタイトルで、アルバムにシングル曲を追加したドイツ盤も作られており、Phillip Boaが主宰するConstrictor labelからリリースされています。これには、The MembranesのJohn Robbの協力があった様です。1989年には、シングル"Miss O'Grady/Bella Ciao"をリリースしますが、Fast Forwardとプレス工場の間のトラブルによるプレスの遅延により、限定プレスになってしまいましたがラジオでのオンエアでは概ね好評で、同じ頃にBBCのラジオ・セッションでのレコーディングも何度か行っています。
1989年にリリースした2作目のアルバム”Everyday Timebomb”は、Jamie Watsonがプロデュースし、彼の所有するエジンバラのChamber Studioでレコーディングされています。今作はDemon Radge Recordsと、The MembranesのJohn Robbが主宰するVinyl Drip Internationalからのリリースでした。自由に跳ね回りながらアジるヴォーカルとトランペットの伸びやかな響き、シャープなカッティング・ギター、うねるベースライン、自由に走るビートという格段に向上したパフォーマンスに、サンプリング・ノイズも取り入れ、ヒリヒリとしたカオティックなサウンドに圧倒される傑作アルバムです。バンドの初期衝動である即興演奏を思い出させるライヴ感も魅力です。ライヴが身上といえるバンドですので、ライヴ・アルバムも何枚か残しており、いずれも素晴らしいものでした。この頃、Marionがアートの仕事をするために一時的にポーランドへ移転せねばならなくなったため、バンドの活動は一時休止しています。このブランクの時期に、Chumbawambaのメンバーから紹介されたというオランダのバンド The Exと親交を深め、The Exの2枚組アルバム"Joggers & Smoggers"に一部のメンバーが参加しています。アート活動が一段落したMarionがバンドに戻ったため、活動を再開するためにオランダはアムステルダムに拠点を移します。The Exと共にヨーロッパ、アメリカ、カナダをジョイント・ツアーで回り、そのプロモーションとしてDog Faced Hermans + The Ex名義でライヴ・カセット"Treat"をリリースしています。長らく続く事になるこの友好な関係は、Ex Faced Hermans名義での"Lied der Steinklopfer "として1990年にリリースされたのをはじめ、多数の作品で共演しています。その縁で、The Exのサウンド・エンジニアのGert-Jan Blomがサポートとして参加、逆にAndy MoorがThe Exに加入してバンドを掛け持ちすることになります。間もなくオランダのレーベルKonkurrentと契約し、新たな環境で作品を制作する事になります。
1991年には、オランダに拠点を移してから初となるオリジナル・アルバム”Mental Blocks For All Ages”をリリースしています。The Exとのコラボレーションなどの影響か、地道にカッティングを刻んでいたギターがスピーディでカオティックで変幻自在なものとなり、ヘヴィなベースと複雑になったドラムスとのスリリングな絡みや、スティール・ドラムやチューバを取り入れた奥行きのあるサウンド、高らかに鳴り響くトランペットとヴォーカルは存在感を増し、何よりもフックあるドラマティックなサウンドは、クールでもバンドの熱っぽさが伝わる傑作となっています。KonkurrentからUKとヨーロッパ向けにリリース、アメリカのバンド JonestownのメンバーのGeoffrey Trelstadからの熱狂的なラブコールを受け、彼が主宰するProject A Bombからアメリカ向けにもリリースされています。アルバムをリリースした後、熱心なライヴ・ツアーを行います。
1993年のアルバム”Hum Of Life”は、エジンバラに戻り、再びJamie Watsonと組んでChamber Studioでレコーディングされています。印象的なジャケットは、ジョルジュ・メリエスが監督した1907年の短編映画「L'éclipse du soleil en pleine lune」から取られています。激しいシャウトもメロディアスな楽曲も歌い分けるヴォーカルの進化と、益々攻撃的で変幻自在に迫るテンションの高いギター・サウンド、複雑さを増したビート、それを支える強靭なベースによるバンド・サウンドのテンションはマックスになり、アフリカなどの民族音楽の要素を取り入れ、エレクトリック・ビオラを導入するなどの新機軸がサウンドを新鮮なものにしています。ルーマニアの民謡を取り入れた”Jan 9”のテンションの高い演奏も聴きモノです。Lydia Lunchが在籍したノー・ウェイヴ系バンド 8-Eyeed Spyの"Love Split With Blood"とOrnette Colemanの”Peace Warriors”をカヴァーしています。
1994年頃、過酷なヨーロッパ・ツアーがストレスになり、AndyのThe Exとの掛け持ちでの活動が困難になりはじめ、Marionがアートのキャリアを続けるためにイギリスに戻る事になり、結成時からずっと一緒に活動してきた4人は、ひとりでも欠けたらDog Faced Hermansでは無いと判断して解散を決めます。最後に1枚のアルバムを制作することを決めたバンドですが、Project A Bombが、製造と流通のトラブルに見舞われ、リリースが困難になったため別のレーベルを探し回り、試しに元Dead KennedysのJello Biafraが主宰するレーベル Alternative Tentaclesに打診したところ、驚いたことにスムーズに契約に至ります。以前のアメリカ・ツアーで多くのライヴ音源を4トラックのカセットで録音して残しており、その成果として出来上がったライヴ・アルバム”Bump And Swing”が、Alternative Tentaclesからの最初のリリースになります。ラスト・アルバム”Those Deep Buds”のレコーディングはイギリスに戻ってPeter HookとChris Hewittのスタジオ Suite 16で行われ、Guy Fixsenがプロデュースとエンジニアリングを手掛けています。1995年にアメリカではAlternative Tentaclesから、オランダではKonkurrelからリリースされています。UKでのリリースはありませんでした。
ラスト・アルバムをリリース後に、バンドは可能な限り再度訪れたい場所で演奏しようと決め、最後のツアーはアメリカとカナダで行われ、Huggy BearやSebadohのツアーに同行し、God is My Co-PilotやTrenchmouthなどとコラボレーションでツアーを回り、すべてをやりつくしたと感じたバンドは、1994年11月15日にサンフランシスコのThe Chameleonでのギグをラスト・ライヴとします。最後の時間を共有しようと集まった熱心なファン、ファンの作った「Good Bye Hermans」と書かれた手作りケーキなど、和気あいあいの中で最後を飾りました。Jelloが用意した心のこもったメキシカン・ディナーを最後の思い出に、バンドは友好的に解散しました。解散後、中心人物のAndy MoorとColin McLeanは、The Exの正式なメンバーとなり、他にも多くのプロジェクトでの活動を並行して行っています。Wilf Plumはベルギーに移って、The Exを含む数々のプロジェクトでドラマーとして活動、DJやグラフィック・デザイナーとしても活動しています。Marion Couttsは、アート活動と並行してSpaceheads、Honkies、God is My Co-Pilot、Tom Coraなどとのコラボレーションを単発で行った後に音楽を離れ、ヴィジュアル・アートの芸術家、彫刻家、作家、講師として活動しています。彼女が制作した短編映画の音楽をAndy Moorが手掛けるなど、交流は続いています。
オール・オア・ナッシングを掲げ、ひとりでも欠けたらDog Faced Hermansでは無いという、潔い理由で解散したバンド。その不動のラインナップによるシャープでアヴァンギャルドな唯一無二のサウンドは、今聴いても非常に新鮮なものです。今回は、彼らのサウンドのテンションを実感できると思う、2作目のアルバム"Everyday Timebomb"収録のこの名曲を。
"Frock" / Dog Faced Hermans
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?